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[慶應義塾豆百科] No.36 社中の協力

「慶應義塾社中之約束」
明治12年1月25日に開かれた「慶應義塾新年発会」の記事のなかで、福澤先生は次のように述べている。

「慶應義塾の今日に至りし由縁は、時運の然らしむるものとは雖ども、之を要するに社中の協力と云はざるを得ず。其協力とは何ぞや。相助(あいたすく)ることなり。創立以来の沿革を見るに、社中恰(あたか)も骨肉の兄弟の如くにして、互に義塾の名を保護し、或は労力を以て助るあり、或は金を以て助るあり、或は時間を以て助け、或は注意を以て助け、命令する者なくして全体の挙動を一にし、奨励する者なくして衆員の喜憂を共にし、一種特別の気風あればこそ今日までを維持したることなれ」(『福澤文集二編』)と。

ここでいう社中とは、慶應義塾を構成している教職員、学生、卒業生をすべて包含した結社と考えてよく、在学生の父母も広い意味での社中の一員といえよう。先生が指摘しているように官尊民卑の気風の強いわが国で、慶應義塾を日本を代表する学問・教育の府となし得たのは、社中の協力があったればこそである。その内「金を以て助けた」過去の主な例を拾ってみると、まず最初に義塾が存廃の岐路に立たされた明治11、2年の危機に制定した同13年の「慶應義塾維持法案」が挙げられよう。年間の経常収支において1万円あればほぼ事足りた時代に実に4万4700円の維持資金の申し込みを得ることができた。その後明治23年の大学部開設のための資本金募集、30年の一貫教育確立のための基本金募集、34年には今も続いている維持会の創設等がある。これは年々の経費補充を目的としたものであった。さらに明治40年の創立50年記念事業として大学図書館建設のための募金、大正6年の医学部設置に向けての募金、同12年震災復旧のための塾債発行、昭和8年の日吉建設を意図した総額400万円の募金、戦後の復興資金、そして昭和33年創立100年を迎えての総額15億円にのぼる募金、工学部の矢上復帰と続くなかで、いずれにも共通しているのは、当初に設定した目標額を遥かに上廻る募金成果を挙げていることである。昭和57年7月から始まった創立125年の総額150億円の募金目標が、最終的に193億円という輝かしい成果を収め得たのも、その昔福澤先生の指摘した社中を挙げての「一種特別の気風」に基づく協力が、見事に結実したものといえよう。勿論その陰には藤原銀次郎、松永安左ェ門らに代表される個人の篤志も忘れられてはなるまい。

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