メインカラムの始まり
[塾員山脈] 小嶋光信君(両備ホールディングス株式会社 代表取締役会長兼CEO)
2012/09/18 (「塾」2012年SUMMER(No.275)掲載)
※職名等は掲載時のものです。
ひと呼んで「地方公共交通の再生請負人」
アイデア事業の出発点は塾生時代の世界旅行プラン、家庭教師派遣にあり
ひと呼んで「地方公共交通の再生請負人」
アイデア事業の出発点は塾生時代の世界旅行プラン、家庭教師派遣にあり
【こじま みつのぶ】1945年東京生まれ。慶應義塾中等部、高等学校、大学経済学部を卒業後、1968年三井銀行(現 三井住友銀行)入社。中小企業の与信担当として事業経営をつぶさに学び、1973年両備グループの両備運輸株式会社の常務に就任、同社の立て直しを成功させる。1974年慶應義塾大学ビジネス・スクール1年制教育課程を修了。その後2007年両備ホールディングス社長就任、2011年より現職。両備グループ52社の代表兼CEO、和歌山電鐵他25社の社長も兼務。
「公設民営」方式で赤字ローカル線を再生
——三毛猫の「たま」がかわいい駅長さんを務めていることで、全国的に知られる和歌山電鐵貴志川(きしがわ)線。水戸岡鋭治さんデザインのいちご電車やおもちゃ電車なども人気を集め、各地から多くの観光客がやってきます。ところでこの路線、実は廃線寸前の赤字ローカル線でした。それを見事に生き返らせたのが、岡山県を中心に事業を展開する両備ホールディングス会長の小嶋光信さんです。「地方公共交通の再生請負人」との異名を持つ小嶋さんですが、なぜ岡山の会社が和歌山のローカル線再生に着手したのですか。
(小嶋)
その前に、両備グループについてお話ししましょう。1910年に設立された岡山の西大寺鐵道から発展し、現在はバス、タクシー、トラック、フェリー、路面電車などの交通運輸・観光関連事業、スーパーや不動産などの生活関連事業、そして情報関連事業をコアに、およそ50社を展開しています。両備ホールディングスはその中核をなす企業です。
岡山という地方都市で交通事業に深く携わっているため、高齢化社会が進行する中、住民の足が奪われる地方の公共交通の衰退に、私は大きな危機感を抱いています。ですから、和歌山の貴志川線の問題も他人事ではありませんでした。
当社の場合も、十数年前に公共交通部門の事業分析をしたところ、10年持たないかもしれないという結果が出るほど、事態は深刻でした。しかし、長く地域に愛されてきた公共交通を衰退させてなるものかと、維持発展を決意し、バスと路面電車の利便性アップと効率化を図りました。路面電車に高齢者が乗降しやすい超低床式LRV(ライトレールビークル)「MOMO(モモ)」を新たに導入するなど、魅力づくりにも積極的に取り組み、着実に成果を上げています。
——そういった取り組みが注目され、貴志川線の救世主として小嶋さんに白羽の矢が立ったわけですね。
(小嶋)
貴志川線との関わりは、地域住民の皆さんから両備グループの岡山電気軌道に再生プラン作成を依頼されたことに始まります。南海電鉄が経営していた2005年当時は、年間5億円の赤字を出して廃止が発表されていました。依頼を受けて現地を視察したところ、地域の方々が存続に向けて熱心に取り組んでおられるだけでなく、沿線には日前宮(にちぜんぐう)(日前(ひのくま)神宮・國懸(くにかかす)神宮)、伊太祁曽(いたきそ)神社、竈山(かまやま)神社を擁し、西日本最大の「三社参り」が観光資源として期待できることがわかりました。これなら「公設民営」方式を導入することで赤字を大幅に縮小できると考え、プランを立案しました。いざ事業者を公募する段になると、実績ある企業からの応募がなく、地元の声に押されてわれわれが運営することになったのです。
——「公設民営」とはどのような方式でしょうか。
(小嶋)
その前に、両備グループについてお話ししましょう。1910年に設立された岡山の西大寺鐵道から発展し、現在はバス、タクシー、トラック、フェリー、路面電車などの交通運輸・観光関連事業、スーパーや不動産などの生活関連事業、そして情報関連事業をコアに、およそ50社を展開しています。両備ホールディングスはその中核をなす企業です。
岡山という地方都市で交通事業に深く携わっているため、高齢化社会が進行する中、住民の足が奪われる地方の公共交通の衰退に、私は大きな危機感を抱いています。ですから、和歌山の貴志川線の問題も他人事ではありませんでした。
当社の場合も、十数年前に公共交通部門の事業分析をしたところ、10年持たないかもしれないという結果が出るほど、事態は深刻でした。しかし、長く地域に愛されてきた公共交通を衰退させてなるものかと、維持発展を決意し、バスと路面電車の利便性アップと効率化を図りました。路面電車に高齢者が乗降しやすい超低床式LRV(ライトレールビークル)「MOMO(モモ)」を新たに導入するなど、魅力づくりにも積極的に取り組み、着実に成果を上げています。
——そういった取り組みが注目され、貴志川線の救世主として小嶋さんに白羽の矢が立ったわけですね。
(小嶋)
貴志川線との関わりは、地域住民の皆さんから両備グループの岡山電気軌道に再生プラン作成を依頼されたことに始まります。南海電鉄が経営していた2005年当時は、年間5億円の赤字を出して廃止が発表されていました。依頼を受けて現地を視察したところ、地域の方々が存続に向けて熱心に取り組んでおられるだけでなく、沿線には日前宮(にちぜんぐう)(日前(ひのくま)神宮・國懸(くにかかす)神宮)、伊太祁曽(いたきそ)神社、竈山(かまやま)神社を擁し、西日本最大の「三社参り」が観光資源として期待できることがわかりました。これなら「公設民営」方式を導入することで赤字を大幅に縮小できると考え、プランを立案しました。いざ事業者を公募する段になると、実績ある企業からの応募がなく、地元の声に押されてわれわれが運営することになったのです。
——「公設民営」とはどのような方式でしょうか。
(小嶋)
この場合は、線路や車両などのハードを行政が保有し、運行は民間企業が行うことです。事業者は土地、建物などの取得・維持の負担から解放され、運行に専念することでより魅力的なサービスの提供に力を割くことができます。
和歌山電鐵のケースでは、沿線の自治体が公設民営スキームに理解を示し、支援を約束してくれたからこそ引き受けることができました。
——三毛猫たまの駅長就任は、小嶋さんのアイデアだそうですね。
(小嶋)
はい。顔を見た瞬間に「この子は駅長だ!」と閃(ひらめ)いたんです。もともとは貴志駅隣の商店の飼い猫でしたが、和歌山電鐵開業の日に住処を失って、飼い主さんから「駅舎に住まわせてもらえませんか」と頼まれたことがきっかけです。マスメディアにもとり上げられて大人気のたまは、いまでは常務執行役員に出世しました。
この場合は、線路や車両などのハードを行政が保有し、運行は民間企業が行うことです。事業者は土地、建物などの取得・維持の負担から解放され、運行に専念することでより魅力的なサービスの提供に力を割くことができます。
和歌山電鐵のケースでは、沿線の自治体が公設民営スキームに理解を示し、支援を約束してくれたからこそ引き受けることができました。
——三毛猫たまの駅長就任は、小嶋さんのアイデアだそうですね。
(小嶋)
はい。顔を見た瞬間に「この子は駅長だ!」と閃(ひらめ)いたんです。もともとは貴志駅隣の商店の飼い猫でしたが、和歌山電鐵開業の日に住処を失って、飼い主さんから「駅舎に住まわせてもらえませんか」と頼まれたことがきっかけです。マスメディアにもとり上げられて大人気のたまは、いまでは常務執行役員に出世しました。
濫読(らんどく)の中で「経世済民」との出会い
実業の世界で身を立てることを決意
——義塾には中等部からの入学でしたね。
(小嶋)
小学校時代は読書少年で、ある本で、福澤先生のこんなエピソードを読みました。屈強な武士と道をすれ違いざまに互いの刀の鞘(さや)がふれあい、「これは斬り合いになったらたまらんぞ」と走って逃げると、向こうも必死で逃げていたというものです。その合理精神とユーモアあふれる人柄にひかれて、先生を敬愛するようになったのが義塾中等部入学のきっかけです。当時はまだ官立上位の意識が強く、父は私学への進学に難色を示しました。それならばと、麻布の自宅から私一人で自転車に乗り、願書を提出しに行ったことを覚えています。
中等部でも、濫読と言っていいほど本を読みました。その中で「経世済民」という言葉に出会ったのがひとつの転機となりました。民の苦しみを救うのが経済であると知り、実業の世界を志すようになったのです。実業家であった祖父と父の姿を見て育ったことも影響していたのでしょう。そんなわけで、中等部2年の時には経済学部へ進むものと決めていました。義塾の経済学部は実学重視の「理財科」が前身で、その精神にもとても魅力を感じていました。
——慶應義塾高等学校(塾高)を経て経済学部に進学、航空部でグライダーに乗っていたそうですね。
(小嶋)
大学のときにしかできない部活をやろうと、射撃、パラシュート、グライダーの中からグライダーを選び、航空部に入部しました。練習では先輩に同乗して飛ぶのですが、急旋回や急降下などの手荒い洗礼に、30名ほどいた新入部員は私を含めて5名ほどになっていました。練習は厳しかったですが滑空は実に爽快だし、なぜか期末試験の時期になると始まる合宿所生活もとにかく楽しかったです。しかし、万が一の事故を心配した母から「頼むからよしてくれ」と泣かれ、退部することになりました。退部を見計らったように、塾高時代の友人から「外国事情研究会」というサークルにスカウトされました。そこでは塾生を対象に海外旅行を企画していて、私も何かアイデアを出すように求められました。知恵を絞って「40日間世界一周の旅」を計画したところ、これが大いに当たりました。スカンジナビア航空の飛行機を一機丸ごとチャーターし、ロンドン、パリ、ローマ、ニューヨークはホテルに泊まるものの、あとは安いYMCAを利用しての世界一周です。当時は旅行会社もやっていない斬新なプランで、定員の130人はすぐに集まりました。日経新聞で「慶應にこんなアイデア学生がいる」と紹介もしてもらいました。残念ながら、私自身は試験と重なり参加できませんでしたが、アイデアが実現し大成功したことに満足でした。
中等部生への家庭教師派遣もやりました。落第の危機にある成績DやEの生徒を半年でBに引き上げることを請け負ったのです。教えるのは全員中等部出身の塾生、つまり先輩が後輩の家庭教師をするのです。目的はあくまでも自学自習の習慣が身につくよう軌道に乗せることで、そうなれば派遣は打ち切ります。これもうまくいって保護者にはずいぶん感謝されました。
(小嶋)
小学校時代は読書少年で、ある本で、福澤先生のこんなエピソードを読みました。屈強な武士と道をすれ違いざまに互いの刀の鞘(さや)がふれあい、「これは斬り合いになったらたまらんぞ」と走って逃げると、向こうも必死で逃げていたというものです。その合理精神とユーモアあふれる人柄にひかれて、先生を敬愛するようになったのが義塾中等部入学のきっかけです。当時はまだ官立上位の意識が強く、父は私学への進学に難色を示しました。それならばと、麻布の自宅から私一人で自転車に乗り、願書を提出しに行ったことを覚えています。
中等部でも、濫読と言っていいほど本を読みました。その中で「経世済民」という言葉に出会ったのがひとつの転機となりました。民の苦しみを救うのが経済であると知り、実業の世界を志すようになったのです。実業家であった祖父と父の姿を見て育ったことも影響していたのでしょう。そんなわけで、中等部2年の時には経済学部へ進むものと決めていました。義塾の経済学部は実学重視の「理財科」が前身で、その精神にもとても魅力を感じていました。
——慶應義塾高等学校(塾高)を経て経済学部に進学、航空部でグライダーに乗っていたそうですね。
(小嶋)
大学のときにしかできない部活をやろうと、射撃、パラシュート、グライダーの中からグライダーを選び、航空部に入部しました。練習では先輩に同乗して飛ぶのですが、急旋回や急降下などの手荒い洗礼に、30名ほどいた新入部員は私を含めて5名ほどになっていました。練習は厳しかったですが滑空は実に爽快だし、なぜか期末試験の時期になると始まる合宿所生活もとにかく楽しかったです。しかし、万が一の事故を心配した母から「頼むからよしてくれ」と泣かれ、退部することになりました。退部を見計らったように、塾高時代の友人から「外国事情研究会」というサークルにスカウトされました。そこでは塾生を対象に海外旅行を企画していて、私も何かアイデアを出すように求められました。知恵を絞って「40日間世界一周の旅」を計画したところ、これが大いに当たりました。スカンジナビア航空の飛行機を一機丸ごとチャーターし、ロンドン、パリ、ローマ、ニューヨークはホテルに泊まるものの、あとは安いYMCAを利用しての世界一周です。当時は旅行会社もやっていない斬新なプランで、定員の130人はすぐに集まりました。日経新聞で「慶應にこんなアイデア学生がいる」と紹介もしてもらいました。残念ながら、私自身は試験と重なり参加できませんでしたが、アイデアが実現し大成功したことに満足でした。
中等部生への家庭教師派遣もやりました。落第の危機にある成績DやEの生徒を半年でBに引き上げることを請け負ったのです。教えるのは全員中等部出身の塾生、つまり先輩が後輩の家庭教師をするのです。目的はあくまでも自学自習の習慣が身につくよう軌道に乗せることで、そうなれば派遣は打ち切ります。これもうまくいって保護者にはずいぶん感謝されました。
——たま駅長やおもちゃ電車などを生み出したユニークなアイデアマンぶりは、塾生時代から発揮されていたのですね。
(小嶋)
ですからとても忙しい学生でした。全部の授業に出る時間がないため友人と3人で分担して出席し、それぞれカーボン紙を挟んで3枚複写でノートをとって交換したものです。
ゼミはさすがにそれぞれで選びましたよ。ノートはカーボン複写でも勉強はしっかりしていましたから、当時大人気だった気賀健三(きがけんぞう)先生(故人、元経済学部長)のゼミに入ることができました。学びたかったテーマは、「資本主義経済と社会主義経済はどちらが効率的なのか」ということで、そのテーマを選んだのは7名。初回こそ気賀先生が講義をしてくれましたが、学部長になられたばかりで忙しいらしく、2回目からはお弟子筋の加藤寛さん(名誉教授)や助手の方が代講されるうちに、いつの間にか誰も教えに来なくなりました。しようがないので仲間との輪読のかたちで勉強を進めました。そうこうするうちに翌年には後輩が入ってきて、今度は否応(いやおう)なく教える立場に。教えるにはよりしっかりと勉強しなければならず、いい経験になりました。講義は一回だけだった気賀先生ですが、卒業論文はしっかり読んで丁寧に指導してくださいました。
——卒業後は三井銀行に就職し、与信の仕事をしたそうですが。
(小嶋)
いずれは起業したいと思っていましたが、何をすればいいのかわかりませんでした。そこでまずは商社か銀行で勉強をしようと考えたんです。入社後は経営を間近で見聞すべく、「支店で中小企業を担当したい」と伝えたところ、「じゃあ下町の神田ですなぁ」とあっさり希望が通って配属されました。与信、つまり貸付担当に早くなりたくて一生懸命働きました。おかげで本来は十年選手の調査役クラスが就くところを、入行1年半で担当することができました。融資の判断指標は、いろいろありますが、最終的には経営者の資質、能力、人柄をしっかり見極めることです。たとえ業績がよくても、情熱と資質のない経営者に融資はできません。当時お会いした人の中には、成長途上のリクルートの江副浩正さんもいました。後のことはともかく、その頃は仕事一途の素晴らしい若手経営者でした。
——28歳で銀行を辞し、両備グループの両備運輸の常務に転身しました。
(小嶋)
家内の実家の松田家から、経営が悪化していた両備運輸の立て直しを託されたのです。売上40億円ながら、毎年4億円の赤字を出している状態でした。資金調達しようにも、岡山の銀行は貸してくれません。そこで綿密な再建計画を立てて、縁も所縁(ゆかり)もない当時の日本興業銀行神戸支店に飛び込んで、融資を申し込みました。面識のない若造によく会ってくれたものだと思いますが、支店長がじっくり話を聞いてくれて、目を見ながら「この計画を実行できますね?」と念を押したうえで融資をしてくれました。あれで一息つくことができ、再建を達成できました。
——その後、グループを率いて両備ホールディングスの社長になり、現在は会長職を務めています。最後に、事業経営や起業に関心を持っている塾生に向けアドバイスをお願いします。
(小嶋)
ですからとても忙しい学生でした。全部の授業に出る時間がないため友人と3人で分担して出席し、それぞれカーボン紙を挟んで3枚複写でノートをとって交換したものです。
ゼミはさすがにそれぞれで選びましたよ。ノートはカーボン複写でも勉強はしっかりしていましたから、当時大人気だった気賀健三(きがけんぞう)先生(故人、元経済学部長)のゼミに入ることができました。学びたかったテーマは、「資本主義経済と社会主義経済はどちらが効率的なのか」ということで、そのテーマを選んだのは7名。初回こそ気賀先生が講義をしてくれましたが、学部長になられたばかりで忙しいらしく、2回目からはお弟子筋の加藤寛さん(名誉教授)や助手の方が代講されるうちに、いつの間にか誰も教えに来なくなりました。しようがないので仲間との輪読のかたちで勉強を進めました。そうこうするうちに翌年には後輩が入ってきて、今度は否応(いやおう)なく教える立場に。教えるにはよりしっかりと勉強しなければならず、いい経験になりました。講義は一回だけだった気賀先生ですが、卒業論文はしっかり読んで丁寧に指導してくださいました。
——卒業後は三井銀行に就職し、与信の仕事をしたそうですが。
(小嶋)
いずれは起業したいと思っていましたが、何をすればいいのかわかりませんでした。そこでまずは商社か銀行で勉強をしようと考えたんです。入社後は経営を間近で見聞すべく、「支店で中小企業を担当したい」と伝えたところ、「じゃあ下町の神田ですなぁ」とあっさり希望が通って配属されました。与信、つまり貸付担当に早くなりたくて一生懸命働きました。おかげで本来は十年選手の調査役クラスが就くところを、入行1年半で担当することができました。融資の判断指標は、いろいろありますが、最終的には経営者の資質、能力、人柄をしっかり見極めることです。たとえ業績がよくても、情熱と資質のない経営者に融資はできません。当時お会いした人の中には、成長途上のリクルートの江副浩正さんもいました。後のことはともかく、その頃は仕事一途の素晴らしい若手経営者でした。
——28歳で銀行を辞し、両備グループの両備運輸の常務に転身しました。
(小嶋)
家内の実家の松田家から、経営が悪化していた両備運輸の立て直しを託されたのです。売上40億円ながら、毎年4億円の赤字を出している状態でした。資金調達しようにも、岡山の銀行は貸してくれません。そこで綿密な再建計画を立てて、縁も所縁(ゆかり)もない当時の日本興業銀行神戸支店に飛び込んで、融資を申し込みました。面識のない若造によく会ってくれたものだと思いますが、支店長がじっくり話を聞いてくれて、目を見ながら「この計画を実行できますね?」と念を押したうえで融資をしてくれました。あれで一息つくことができ、再建を達成できました。
——その後、グループを率いて両備ホールディングスの社長になり、現在は会長職を務めています。最後に、事業経営や起業に関心を持っている塾生に向けアドバイスをお願いします。
(小嶋)
仕事へのあふれ出るような情熱と信念を持つことが、いちばん大切です。そして見識と哲学。塾員である岳父の松田基(もとい)は、素晴らしい経営哲学を持つ人で、学ぶことがたくさんありました。付け加えるなら、義塾に学んでいる皆さんの多くは恐らく恵まれた環境に育ったと思います。そのことに感謝し、学んだことを生かして、社会にお返しする意識を持ってもらいたいですね。
あと、塾生の皆さんには地方で働くことの素晴らしさも知ってもらいたいと思います。地方にいれば自分の働きで社会が動き、その結果が間近に見えるんです。私も岡山に来なければここまでの仕事はしていなかったと思います。皆さんの活躍を期待しています。
——本日はありがとうございました。
仕事へのあふれ出るような情熱と信念を持つことが、いちばん大切です。そして見識と哲学。塾員である岳父の松田基(もとい)は、素晴らしい経営哲学を持つ人で、学ぶことがたくさんありました。付け加えるなら、義塾に学んでいる皆さんの多くは恐らく恵まれた環境に育ったと思います。そのことに感謝し、学んだことを生かして、社会にお返しする意識を持ってもらいたいですね。
あと、塾生の皆さんには地方で働くことの素晴らしさも知ってもらいたいと思います。地方にいれば自分の働きで社会が動き、その結果が間近に見えるんです。私も岡山に来なければここまでの仕事はしていなかったと思います。皆さんの活躍を期待しています。
——本日はありがとうございました。
























