メインカラムの始まり
[塾員山脈] 安達 辰彦君(三越伊勢丹ホールディングス 銀座三越 店長)
2011/06/20 (「塾」2011年SPRING(No.270)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。
銀座に集う人を徹底的にマーケティング分析し、「銀座らしさ」にこだわり新時代の百貨店をつくる
銀座に集う人を徹底的にマーケティング分析し、「銀座らしさ」にこだわり新時代の百貨店をつくる
【あだち たつひこ】1952年東京生まれ。1975年商学部卒業。同年に株式会社三越に就職。銀座店で婦人服売場を皮切りに14年の経験を積んだ後、倉敷店のリモデルを手がけ、本部で関連会社の管理、また三越全店のリニューアルの仕事に携わる。現在は、昨年9月に増床リモデルした銀座三越の店長を務める。
広くなった銀座三越 9階「銀座テラス」は新しい名所
——昨年9月に大幅に売場を広げた銀座三越が好評です。安達辰彦さんはリモデルを手がけ、現在は同店の店長。新しい銀座三越の魅力を教えてください。
(安達)
三越が銀座に出店したのは1930年ですから、80年を超える歴史があります。銀座4丁目交差点という抜群の立地ながら、店舗の狭さがネックでした。ゆったりお買い物を楽しむ環境がつくれずに、お客様の滞留時間が短いのも問題でした。売り上げ効率は悪くないのですが、素早く、手軽に買えるいわばコンビニエンスな百貨店になっていたのです。
そして今回、長年の悲願だった増床が実現しました。本館と新館の間にあった区道を、保有地東端の土地と等価交換で獲得することができ、1、2階こそ駐車場に入るための通路になっていますが、それ以上の階ではこれまで別々だった建物を一体化することができました。そのため、よくある建物間を途中階の通路でつなぐ方式ではなく、それぞれのフロアが面でつながり、一つの館として広く使うことができるようになって、売場面積は約1.5倍強になりました。お客様には、「銀座三越はずいぶん広くなったな」と感じていただけるはずです。
——伊勢丹との統合で持ち株会社として三越伊勢丹ホールディングスができたことが話題になりましたが、その影響は。
(安達)
銀座店のリモデルは、初めは三越の計画としてスタートしたのですが、途中で伊勢丹との統合が決まり、双方の良さを融合させることが重要な課題になりました。とはいえ新宿基盤の伊勢丹と、日本橋と銀座を中心に店を持つ三越では、お客様層はまったく違います。そこで単に融合を進めるのではなく、まず現在の銀座のマーケットを徹底的に調べ直すことを優先して、銀座らしさを発揮できるお店をつくることを第一にしました。
銀座に来る人たちが最も求めているものは何かを探るために、定点観測をして5000枚以上の写真を撮り、洋服や身につけているものはもちろん、男女比や家族連れなどの同伴動向、年齢層などを徹底的に調べて、店づくりと品揃えに反映させました。
また顧客リサーチにおいては販売データだけではなく、入店者のデータも重視しました。買ってくださったお客様の男女比は2対8なのに、来店されるお客様は35%が男性です。また購入者の年齢層は50代以上の比率が高いというデータがあるのですが、入店者データでは、もっと若いお客様が大勢いらっしゃることもわかりました。
このような銀座に来る人、そして入店者の分析をもとに、顧客像を明確にして、それに対応して20~50代の女性、そして男性客への積極的なアプローチを持続的に行うことにしました。着実に成果が上がっていますよ。
(安達)
三越が銀座に出店したのは1930年ですから、80年を超える歴史があります。銀座4丁目交差点という抜群の立地ながら、店舗の狭さがネックでした。ゆったりお買い物を楽しむ環境がつくれずに、お客様の滞留時間が短いのも問題でした。売り上げ効率は悪くないのですが、素早く、手軽に買えるいわばコンビニエンスな百貨店になっていたのです。
そして今回、長年の悲願だった増床が実現しました。本館と新館の間にあった区道を、保有地東端の土地と等価交換で獲得することができ、1、2階こそ駐車場に入るための通路になっていますが、それ以上の階ではこれまで別々だった建物を一体化することができました。そのため、よくある建物間を途中階の通路でつなぐ方式ではなく、それぞれのフロアが面でつながり、一つの館として広く使うことができるようになって、売場面積は約1.5倍強になりました。お客様には、「銀座三越はずいぶん広くなったな」と感じていただけるはずです。
——伊勢丹との統合で持ち株会社として三越伊勢丹ホールディングスができたことが話題になりましたが、その影響は。
(安達)
銀座店のリモデルは、初めは三越の計画としてスタートしたのですが、途中で伊勢丹との統合が決まり、双方の良さを融合させることが重要な課題になりました。とはいえ新宿基盤の伊勢丹と、日本橋と銀座を中心に店を持つ三越では、お客様層はまったく違います。そこで単に融合を進めるのではなく、まず現在の銀座のマーケットを徹底的に調べ直すことを優先して、銀座らしさを発揮できるお店をつくることを第一にしました。
銀座に来る人たちが最も求めているものは何かを探るために、定点観測をして5000枚以上の写真を撮り、洋服や身につけているものはもちろん、男女比や家族連れなどの同伴動向、年齢層などを徹底的に調べて、店づくりと品揃えに反映させました。
また顧客リサーチにおいては販売データだけではなく、入店者のデータも重視しました。買ってくださったお客様の男女比は2対8なのに、来店されるお客様は35%が男性です。また購入者の年齢層は50代以上の比率が高いというデータがあるのですが、入店者データでは、もっと若いお客様が大勢いらっしゃることもわかりました。
このような銀座に来る人、そして入店者の分析をもとに、顧客像を明確にして、それに対応して20~50代の女性、そして男性客への積極的なアプローチを持続的に行うことにしました。着実に成果が上がっていますよ。
——広いだけでなく、売場が見やすくなり、商品の魅力が主張されているように感じました。
(安達)
多彩な商品やブランドを比較できるのが、百貨店の楽しみのひとつ。アイテムを強調するとともに、ショップ間の壁をできるだけなくして、見比べやすくしています。婦人靴のフロアなど、一目でたくさんの靴が目に飛び込んできて、初めての方は驚くのではないでしょうか。
——化粧品売場を地下鉄通路と直結している地下1階に置き、1階が華やかな婦人服飾雑貨、ハンドバッグ、ジュエリー売場になっているのも新鮮です。また地下2階と3階の食品フロアも通路が広いうえにすっきりと見通しがよく、楽しみながら歩けます。そしてなんといっても9階の「銀座テラス」が魅力的です。
(安達)
芝生広場とテーブルがある屋外、そして自由に休憩できるスペースと東京近郊で生産された野菜や果物にこだわったカフェとレストランのある屋内が、ほぼ半々のフロアです。銀座での新しい待ち合わせ場所として利用していただけることを期待しています。
——その「銀座テラス」で、地方からの新入生と上京した保護者の方と待ち合わせて、お買い物を楽しんでくれるといいですね。
(安達)
それは理想的です(笑)。流行語の「銀ブラ」の語源は、大正時代に塾生の間で「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ことがはやったからという説がありますが、これからは「銀座テラスで待ち合わせ」が流行することを願っています。
(安達)
多彩な商品やブランドを比較できるのが、百貨店の楽しみのひとつ。アイテムを強調するとともに、ショップ間の壁をできるだけなくして、見比べやすくしています。婦人靴のフロアなど、一目でたくさんの靴が目に飛び込んできて、初めての方は驚くのではないでしょうか。
——化粧品売場を地下鉄通路と直結している地下1階に置き、1階が華やかな婦人服飾雑貨、ハンドバッグ、ジュエリー売場になっているのも新鮮です。また地下2階と3階の食品フロアも通路が広いうえにすっきりと見通しがよく、楽しみながら歩けます。そしてなんといっても9階の「銀座テラス」が魅力的です。
(安達)
芝生広場とテーブルがある屋外、そして自由に休憩できるスペースと東京近郊で生産された野菜や果物にこだわったカフェとレストランのある屋内が、ほぼ半々のフロアです。銀座での新しい待ち合わせ場所として利用していただけることを期待しています。
——その「銀座テラス」で、地方からの新入生と上京した保護者の方と待ち合わせて、お買い物を楽しんでくれるといいですね。
(安達)
それは理想的です(笑)。流行語の「銀ブラ」の語源は、大正時代に塾生の間で「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ことがはやったからという説がありますが、これからは「銀座テラスで待ち合わせ」が流行することを願っています。
早慶戦応援で、面接日を延期 あの頃はおおらかな時代でした
——ところで、安達さんの銀座との出会いは、どんなものだったのですか。
(安達)
私の家は板橋でしたが、中・高の頃から、同級生や先輩に銀座近辺に住んでいる人がいたこともあって、一緒に銀座の街に来て、当時の若者ファッションの先端だったVAN、JUN、KENTなどの洋服を、テイジンメンズショップなどで買うのが楽しみでした。
——やはりファッションには、興味があったのですね。
(安達)
そうです、人並みには。とはいえ、普通部、塾高はずっと野球に没頭。ショートを守り、キャプテンも務めましたが、とても甲子園には手が届きませんでした。このところの塾高野球部の活躍は、わがことのように喜んでいます。ただ、大学の野球部には、その頃肩を壊していたこともあり、迷った末に入りませんでした。中・高と打ち込んできた野球を大学で手放してしまったことは、いまだに後悔に似たものが心の片隅にあります。たとえレギュラーになれなくても、試合に出られなかったとしても、肩の回復を信じ、愛している野球をとことん突きつめる強さと厳しさがあればよかったと、ちょっと残念です。
いまの塾生の皆さんには、やりたいことを貫いて、後悔のない学生時代を送ってほしいものです。
——商学部では、どんな学生でしたか。
(安達)
当時は多くの大学が同じような状況でしたが、1971年当時の大学はピークは過ぎつつあったとはいえまだ学園闘争中でした。2年から3年になる時期はキャンパスがバリケードで封鎖されていて、試験もなかなかできず、3年進級が決まったのが夏休み後の9月でした。勉強熱心な学生だったとは、決して言いませんが(笑)、勉学に打ち込むべき時に授業がない期間が長かったことは、何か大きなやり残しがあるように感じてしまいます。
そんななかで印象に残っているのはマーケティング理論の村田昭治教授(現在は名誉教授)です。第1回福澤基金を受けてハーバード・ビジネス・スクールに留学した方で、その斬新なマーケティングの授業は面白かったし、百貨店に入ってからも私の仕事の基礎のひとつになっています。
——厳しい就職状況が続いていますが、安達さんの頃はどうでしたか。
(安達)
いまの塾生には申し訳ない気もするのですが、当時、オイルショックはあったもののまだおおらかな時代で、就職も、なんとかなるさという気分でした。実は、三越の面接日が野球の早慶戦と重なり、どうしても応援に行きたいと伝えると「わかりました、それでは」と面接日を変えてくれました(笑)。
——楽しい話ですが、いまでは考えられませんね。入社後はどんなキャリアを積んだのでしょう。
(安達)
1975年に入社して、まず銀座店の婦人服に配属されました。男性ですから仕入れか販売計画立案をするのかと思っていたのですが、「まず販売最優先です」と言われて売場に立ちました。大変だったのはワンピースの丈つめ。お客様に試着していただいた状態で、ひざまずいて丈を合わせてピンで留めるのですが、この時モタモタして、「手際のいい人に代わってよ」と何度言われたことか(笑)。また当時は洋服をきちんと箱に入れてお渡ししていましたから、レジ横で一日中箱詰めをしていたこともあります。
3年目ぐらいから、計画を立てたり仕入れにかかわったりするようになりました。よく売れる時代でしたから、よく品切れします。そこで自分で車を運転してメーカーの倉庫へ行き、なんとか商品を確保するのです。事前にキープできていなかった商品でも、「わざわざ来たなら仕方がないな」とメーカーの担当者も渡してくれたものです。
1984年には有楽町マリオンに西武さんと阪急さんが出店し、プランタン銀座も開店して銀座も変わりつつありました。そしてファッションではDC(デザイナー・キャラクター)ブランドが人気になりました。それに対応するために、上司に掛け合ってagne`s b.の銀座初出店にこぎつけたのも懐かしい思い出です。
その後、銀座を離れて倉敷店の責任者として大改装をしました。いまは閉店してしまいましたが、当時は美観地区にふさわしい美しい店舗として評価されました。それから、本部に戻って関連会社の管理に携わりました。
——ファストファッションのお店が増えて、銀座の街が様変わりするのでは、という声もありますが、どうお考えですか。
(安達)
銀座はいつも新しいものを取り入れながら、それをシャッフルして必要なものだけを残してきた街です。ですからファストファッションを否定するつもりはありません。私たちとしては「新しい価値」を創造する百貨店として、これからの銀座に寄与するように努力するだけです。また、ファストファッションの多くは銀座5丁目から8丁目にかけて出店しており、百貨店エリアとは自然とすみ分けられています。
——中国をはじめ海外のお客様も増えていますが。
(安達)
着実に伸びています。ただ中国からのお客様に対して、お土産物をたくさん揃えて、「ぜひどうぞ」というスタイルはとりません。なぜなら、日本のお客様が求めるセレクトされたものをお売りすることが、結果として中国の方に対してもいちばんいいお買い物になると思うからです。もちろん中国語での接客を含めて、サービスの質は高めていきます。また東側M2階には外国人の方たちに、より銀座エリアを楽しんでいただけるように、外国人観光案内所を設けています。
——では最後に、銀座のオーソリティとして、塾生たちに銀座の楽しみ方を伝授してください。
(安達)
そんなおこがましいことはできません(笑)。ただ、さっきも言ったように明治以降、常に新しいものをシャッフルしていいものだけを残してきた街ですから蓄積されているものは魅力的です。たとえば銀座の画廊は大小合わせて300店とも400店ともいわれています。大きな展覧会に行くのもいいですが、ここでは無料でいろいろな絵が楽しめます。名も知らない画家の絵をたくさん見て、鑑賞眼を養うのもいいものです。また路地裏を歩けば、リーズナブルな価格の、食べ物の老舗も各所にあります。銀ブラしながら楽しんでください。
——本日はありがとうございました。
(安達)
私の家は板橋でしたが、中・高の頃から、同級生や先輩に銀座近辺に住んでいる人がいたこともあって、一緒に銀座の街に来て、当時の若者ファッションの先端だったVAN、JUN、KENTなどの洋服を、テイジンメンズショップなどで買うのが楽しみでした。
——やはりファッションには、興味があったのですね。
(安達)
そうです、人並みには。とはいえ、普通部、塾高はずっと野球に没頭。ショートを守り、キャプテンも務めましたが、とても甲子園には手が届きませんでした。このところの塾高野球部の活躍は、わがことのように喜んでいます。ただ、大学の野球部には、その頃肩を壊していたこともあり、迷った末に入りませんでした。中・高と打ち込んできた野球を大学で手放してしまったことは、いまだに後悔に似たものが心の片隅にあります。たとえレギュラーになれなくても、試合に出られなかったとしても、肩の回復を信じ、愛している野球をとことん突きつめる強さと厳しさがあればよかったと、ちょっと残念です。
いまの塾生の皆さんには、やりたいことを貫いて、後悔のない学生時代を送ってほしいものです。
——商学部では、どんな学生でしたか。
(安達)
当時は多くの大学が同じような状況でしたが、1971年当時の大学はピークは過ぎつつあったとはいえまだ学園闘争中でした。2年から3年になる時期はキャンパスがバリケードで封鎖されていて、試験もなかなかできず、3年進級が決まったのが夏休み後の9月でした。勉強熱心な学生だったとは、決して言いませんが(笑)、勉学に打ち込むべき時に授業がない期間が長かったことは、何か大きなやり残しがあるように感じてしまいます。
そんななかで印象に残っているのはマーケティング理論の村田昭治教授(現在は名誉教授)です。第1回福澤基金を受けてハーバード・ビジネス・スクールに留学した方で、その斬新なマーケティングの授業は面白かったし、百貨店に入ってからも私の仕事の基礎のひとつになっています。
——厳しい就職状況が続いていますが、安達さんの頃はどうでしたか。
(安達)
いまの塾生には申し訳ない気もするのですが、当時、オイルショックはあったもののまだおおらかな時代で、就職も、なんとかなるさという気分でした。実は、三越の面接日が野球の早慶戦と重なり、どうしても応援に行きたいと伝えると「わかりました、それでは」と面接日を変えてくれました(笑)。
——楽しい話ですが、いまでは考えられませんね。入社後はどんなキャリアを積んだのでしょう。
(安達)
1975年に入社して、まず銀座店の婦人服に配属されました。男性ですから仕入れか販売計画立案をするのかと思っていたのですが、「まず販売最優先です」と言われて売場に立ちました。大変だったのはワンピースの丈つめ。お客様に試着していただいた状態で、ひざまずいて丈を合わせてピンで留めるのですが、この時モタモタして、「手際のいい人に代わってよ」と何度言われたことか(笑)。また当時は洋服をきちんと箱に入れてお渡ししていましたから、レジ横で一日中箱詰めをしていたこともあります。
3年目ぐらいから、計画を立てたり仕入れにかかわったりするようになりました。よく売れる時代でしたから、よく品切れします。そこで自分で車を運転してメーカーの倉庫へ行き、なんとか商品を確保するのです。事前にキープできていなかった商品でも、「わざわざ来たなら仕方がないな」とメーカーの担当者も渡してくれたものです。
1984年には有楽町マリオンに西武さんと阪急さんが出店し、プランタン銀座も開店して銀座も変わりつつありました。そしてファッションではDC(デザイナー・キャラクター)ブランドが人気になりました。それに対応するために、上司に掛け合ってagne`s b.の銀座初出店にこぎつけたのも懐かしい思い出です。
その後、銀座を離れて倉敷店の責任者として大改装をしました。いまは閉店してしまいましたが、当時は美観地区にふさわしい美しい店舗として評価されました。それから、本部に戻って関連会社の管理に携わりました。
——ファストファッションのお店が増えて、銀座の街が様変わりするのでは、という声もありますが、どうお考えですか。
(安達)
銀座はいつも新しいものを取り入れながら、それをシャッフルして必要なものだけを残してきた街です。ですからファストファッションを否定するつもりはありません。私たちとしては「新しい価値」を創造する百貨店として、これからの銀座に寄与するように努力するだけです。また、ファストファッションの多くは銀座5丁目から8丁目にかけて出店しており、百貨店エリアとは自然とすみ分けられています。
——中国をはじめ海外のお客様も増えていますが。
(安達)
着実に伸びています。ただ中国からのお客様に対して、お土産物をたくさん揃えて、「ぜひどうぞ」というスタイルはとりません。なぜなら、日本のお客様が求めるセレクトされたものをお売りすることが、結果として中国の方に対してもいちばんいいお買い物になると思うからです。もちろん中国語での接客を含めて、サービスの質は高めていきます。また東側M2階には外国人の方たちに、より銀座エリアを楽しんでいただけるように、外国人観光案内所を設けています。
——では最後に、銀座のオーソリティとして、塾生たちに銀座の楽しみ方を伝授してください。
(安達)
そんなおこがましいことはできません(笑)。ただ、さっきも言ったように明治以降、常に新しいものをシャッフルしていいものだけを残してきた街ですから蓄積されているものは魅力的です。たとえば銀座の画廊は大小合わせて300店とも400店ともいわれています。大きな展覧会に行くのもいいですが、ここでは無料でいろいろな絵が楽しめます。名も知らない画家の絵をたくさん見て、鑑賞眼を養うのもいいものです。また路地裏を歩けば、リーズナブルな価格の、食べ物の老舗も各所にあります。銀ブラしながら楽しんでください。
——本日はありがとうございました。
























