メインカラムの始まり
[塾員山脈] 神保 彰君(プロ・ドラマー、国立音楽大学客員教授[2011年4月から])
2011/02/14 (「塾」2011年WINTER(No.269)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。
在学中からカシオペアのドラマーとして活躍 クリアなドラミングは、世界のプロから称賛されている
在学中からカシオペアのドラマーとして活躍 クリアなドラミングは、世界のプロから称賛されている
【じんぼう あきら】1959年東京生まれ。1981年経済学部卒業。在学中の1980年にCASIOPEA(カシオペア)のドラマーとしてプロデビュー。カシオペア時代を含めて、現在までに50枚以上のアルバムをリリース。ライト・ミュージック・ソサエティー(LMS)時代にリリースした『PAPAYAEXPRESS(パパイア・エクスプレス)』も2010年に再発売された。1月12日には最新アルバム『JIMBO JAMBOREE(ジンボジャンボリー)』も発売される。
カシオペア後のユニットのメンバーは、なぜか慶應育ちの塾員ばかり
「PYRAMID」
左から 、鳥山雄司君(1983 年商学部卒業)、神保彰君、 和泉宏隆君(1981 年法学部卒業)
左から 、鳥山雄司君(1983 年商学部卒業)、神保彰君、 和泉宏隆君(1981 年法学部卒業)
——神保彰さんは、LMSに所属する経済学部3年生だった1980年に、日本を代表するフュージョンバンド「CASIOPEA(カシオペア)」に参加、海外からも注目される高い評価を受け、1989年の脱退後も常に世界的な活躍を続けているジャズドラマーです。2007年にはニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれました。まず、プロになって30年の音楽活動について教えてください。
(神保)
義塾の先輩でカシオペアのベースだった商学部の櫻井哲夫さんに誘われて、LMSのバンドマスターを兼任しながら、迷いながらもプロとしてカシオペアのドラマーに。ライブ録音したアルバムの演奏に思いもかけない大きな反響があって驚きました。就職活動と並行してのつもりが、入社試験シーズンと海外レコーディングの時期が重なり、卒業後もプロミュージシャンとして活動して行く事になりました。もし櫻井さんに出会わなければ、矢内原勝先生のゼミでしたので、銀行もしくは商社に勤めていたと思います(笑)。
カシオペア時代は、年間100回以上のライブをこなしながらレコーディングをする忙しくても充実した順風満帆の日々。ただ常にメンバー4人で行動していましたから、10年続くと酸欠状態になり、櫻井さんと僕は1989年にカシオペアを抜けて「JIMSAKU(ジンサク)」というユニットをつくりました。このユニットで1998年まで活動します。カシオペアには1997年にサポートメンバーとして復帰する事になりました。2005年にはギターの鳥山雄司君とピアノの和泉宏隆君と「PYRAMID(ピラミッド)」を結成し、このユニットは休止を挟んで現在も活動中。年末にはライブを行い、今度の夏には3枚目のCDも出す予定です。
——ユニットを組んだ櫻井さんは先輩、鳥山君は塾高で1学年下、和泉君は同級生です。やはり、塾員として通じ合うものがあるのでしょうか。
(神保)
言われてみれば、そうですね。決してそれが理由でユニットを組んだわけではなく、やっている音楽のテイストに共感してのことですが、義塾育ちならではの感性や人間性が引き合うのかもしれません。
(神保)
義塾の先輩でカシオペアのベースだった商学部の櫻井哲夫さんに誘われて、LMSのバンドマスターを兼任しながら、迷いながらもプロとしてカシオペアのドラマーに。ライブ録音したアルバムの演奏に思いもかけない大きな反響があって驚きました。就職活動と並行してのつもりが、入社試験シーズンと海外レコーディングの時期が重なり、卒業後もプロミュージシャンとして活動して行く事になりました。もし櫻井さんに出会わなければ、矢内原勝先生のゼミでしたので、銀行もしくは商社に勤めていたと思います(笑)。
カシオペア時代は、年間100回以上のライブをこなしながらレコーディングをする忙しくても充実した順風満帆の日々。ただ常にメンバー4人で行動していましたから、10年続くと酸欠状態になり、櫻井さんと僕は1989年にカシオペアを抜けて「JIMSAKU(ジンサク)」というユニットをつくりました。このユニットで1998年まで活動します。カシオペアには1997年にサポートメンバーとして復帰する事になりました。2005年にはギターの鳥山雄司君とピアノの和泉宏隆君と「PYRAMID(ピラミッド)」を結成し、このユニットは休止を挟んで現在も活動中。年末にはライブを行い、今度の夏には3枚目のCDも出す予定です。
——ユニットを組んだ櫻井さんは先輩、鳥山君は塾高で1学年下、和泉君は同級生です。やはり、塾員として通じ合うものがあるのでしょうか。
(神保)
言われてみれば、そうですね。決してそれが理由でユニットを組んだわけではなく、やっている音楽のテイストに共感してのことですが、義塾育ちならではの感性や人間性が引き合うのかもしれません。
茶碗をたたいている僕に父はドラムセットを買ってくれた
——音楽、そしてドラムとの出会いは、いつ頃だったのですか。
(神保)
子供のころグループサウンズが流行し、ドラマーのまねをして食卓の茶わんやお皿を箸で叩くのが楽しくてしようがありませんでした。それを見ていた父は、叱るどころか中学生になったらドラムを買ってあげようと約束してくれました。父は若い頃に米軍キャンプでベースを弾き、社会人になってからもエレクトーンやピアノをたしなむ音楽好きだったので。中等部に入学後、本当にドラムセットを買ってくれました。驚喜してしばらくは夢中になりましたが、意外とすぐに飽きてしまい、ドラムは部屋の隅でホコリをかぶって錆びていきました。
当時の僕は、授業が終わるとまっすぐ帰ってテレビドラマの再放送を見るのが楽しみな、とても地味な少年でした(笑)。そんな僕に衝撃をもたらしたのは、塾高時代にクラスメイトから借りた一枚のレコード。当時アメリカではやり始めていたジャズフュージョンのアルバムで、そのドラマー、スティーブ・ガッドのドラミングに強烈に引き込まれたのです。
当時はクロスオーバーと呼ばれていたジャズフュージョンの魅力は、それまでのジャズにない、クリアーで明確なキレの良さ。特にスティーブ・ガッドのドラムは曖昧さのないシャープなリズムが持ち味で、あたかもドラムがソロ楽器であるかのように変幻自在な演奏を繰り広げていました。このドラムの響きが、眠っていた僕の音楽心を叩き起こしました。家のドラムセットのホコリを払い、スティーブ・ガッドをお手本に練習を始め、高3になってからは、鳥山君とバンドも組みました。
そして大学入学後はLMSに入部。LMSの1年生はボーイをひっくり返して「イーボ」と呼ばれ、楽器運びや写譜など先輩のお世話をするのが役目でした。月水金曜は三田の501教室で練習するレギュラーバンドのお世話、火木曜は日吉でジュニアバンドの練習で大忙し、上下関係が厳しく、体育会的なクラブでした。
当時はダンパ(ダンスパーティー)が盛んな頃で、レギュラーバンドはよく土日にダンパのバンドとして呼ばれて、その出演料を部の活動費にしていました。入部してしばらく経った頃、あるホテルで演奏を終えた先輩の楽器を片付けて、なかなか来ないエレベーターを待ちながら、一緒に入部していた和泉君が、なにげなく会場のピアノでNHKの『きょうの料理』のテーマ曲を弾いたのです。タンタカタカタカタンタンターンというあれです。これが帰り支度のお客さんにウケて拍手が起こったのですが、突然「コラ、イーボ。何やってるんだ!」と先輩から声が飛びました(笑)。
それが原因かどうか、和泉君はLMSを去り、その後キャンパスですれ違う事もありませんでした。大学卒業後、彼はTHE SQUAREに参加するのですが、僕はその事を全く知りませんでした。とある大学の学園祭でカシオペアとTHE SQUAREが共演した際、楽屋にいる和泉君を発見して、「あ、和泉君、久しぶり。ここで何してるの?」と尋ねてしまったのです。同じ業界、同じジャンルのバンドに居ながら、インターネットもメールもない頃は、そんなものでした。
(神保)
子供のころグループサウンズが流行し、ドラマーのまねをして食卓の茶わんやお皿を箸で叩くのが楽しくてしようがありませんでした。それを見ていた父は、叱るどころか中学生になったらドラムを買ってあげようと約束してくれました。父は若い頃に米軍キャンプでベースを弾き、社会人になってからもエレクトーンやピアノをたしなむ音楽好きだったので。中等部に入学後、本当にドラムセットを買ってくれました。驚喜してしばらくは夢中になりましたが、意外とすぐに飽きてしまい、ドラムは部屋の隅でホコリをかぶって錆びていきました。
当時の僕は、授業が終わるとまっすぐ帰ってテレビドラマの再放送を見るのが楽しみな、とても地味な少年でした(笑)。そんな僕に衝撃をもたらしたのは、塾高時代にクラスメイトから借りた一枚のレコード。当時アメリカではやり始めていたジャズフュージョンのアルバムで、そのドラマー、スティーブ・ガッドのドラミングに強烈に引き込まれたのです。
当時はクロスオーバーと呼ばれていたジャズフュージョンの魅力は、それまでのジャズにない、クリアーで明確なキレの良さ。特にスティーブ・ガッドのドラムは曖昧さのないシャープなリズムが持ち味で、あたかもドラムがソロ楽器であるかのように変幻自在な演奏を繰り広げていました。このドラムの響きが、眠っていた僕の音楽心を叩き起こしました。家のドラムセットのホコリを払い、スティーブ・ガッドをお手本に練習を始め、高3になってからは、鳥山君とバンドも組みました。
そして大学入学後はLMSに入部。LMSの1年生はボーイをひっくり返して「イーボ」と呼ばれ、楽器運びや写譜など先輩のお世話をするのが役目でした。月水金曜は三田の501教室で練習するレギュラーバンドのお世話、火木曜は日吉でジュニアバンドの練習で大忙し、上下関係が厳しく、体育会的なクラブでした。
当時はダンパ(ダンスパーティー)が盛んな頃で、レギュラーバンドはよく土日にダンパのバンドとして呼ばれて、その出演料を部の活動費にしていました。入部してしばらく経った頃、あるホテルで演奏を終えた先輩の楽器を片付けて、なかなか来ないエレベーターを待ちながら、一緒に入部していた和泉君が、なにげなく会場のピアノでNHKの『きょうの料理』のテーマ曲を弾いたのです。タンタカタカタカタンタンターンというあれです。これが帰り支度のお客さんにウケて拍手が起こったのですが、突然「コラ、イーボ。何やってるんだ!」と先輩から声が飛びました(笑)。
それが原因かどうか、和泉君はLMSを去り、その後キャンパスですれ違う事もありませんでした。大学卒業後、彼はTHE SQUAREに参加するのですが、僕はその事を全く知りませんでした。とある大学の学園祭でカシオペアとTHE SQUAREが共演した際、楽屋にいる和泉君を発見して、「あ、和泉君、久しぶり。ここで何してるの?」と尋ねてしまったのです。同じ業界、同じジャンルのバンドに居ながら、インターネットもメールもない頃は、そんなものでした。
ドラムの練習はいくらやっても楽しい80歳になっても叩き続けたい
——神保さんは2年生の時にLMSのレギュラーに加えられ、3年でバンドマスターに指名されています。その後カシオペアから誘われるのですが、才能はもちろんとしても、熱心に練習したのでしょうね。
(神保)
才能というより、ドラムが好きで、楽しくてしようがありませんでした。授業にはきちんと出席していましたが、それ以外の時間は、三田の裏門の横にあった部室でずっと練習をしていました。今でも、ドラムの練習が苦痛だとはまったく思っていませんし、努力をしているという意識もありません。
楽器の練習に限らないと思いますが、やっていると自分の弱いところが見えてきて、それを克服したくなり、それをクリアできたときの喜びは大きい。好きなドラムなら、この繰り返しが果てしなくできるし、楽しいのです。
現在は、ユニットでの活動以外に、「ワンマンオーケストラ」と題し、一人でコンサートツアーも行っています。2010年はプロデビュー30周年を記念して日本全国108カ所で演奏し、福澤先生の出身地である大分の中津にも行きました。旧居を訪れ、記念館と創立150年の植樹も見て来ました。オーケストラというのにはわけがあって、ドラムの中にセンサーを仕込んで、僕がドラムをたたくことによって信号がミディーコンバーターに送られ、あらかじめプログラミングしておいた各種楽器の音が流れて、生ドラムと合奏するという仕掛けなのです。
アナログのアコースティックドラムと、デジタルプログラミングの融合によって生まれたハイブリッドドラミング、これが僕のワンマンオーケストラです。なかなか言葉で説明しても伝わらないですよね。今度是非ライブを見にいらしてください。ドラムでこんな事もできるのかと、きっとびっくりすると思いますよ(笑)。
意外に思われるかもしれませんが、僕は早寝早起きで食事は低脂肪高たんぱくの和食派。80歳になってもシャキッと背筋を伸ばしてドラムを叩いていたいと思っています。
(神保)
才能というより、ドラムが好きで、楽しくてしようがありませんでした。授業にはきちんと出席していましたが、それ以外の時間は、三田の裏門の横にあった部室でずっと練習をしていました。今でも、ドラムの練習が苦痛だとはまったく思っていませんし、努力をしているという意識もありません。
楽器の練習に限らないと思いますが、やっていると自分の弱いところが見えてきて、それを克服したくなり、それをクリアできたときの喜びは大きい。好きなドラムなら、この繰り返しが果てしなくできるし、楽しいのです。
現在は、ユニットでの活動以外に、「ワンマンオーケストラ」と題し、一人でコンサートツアーも行っています。2010年はプロデビュー30周年を記念して日本全国108カ所で演奏し、福澤先生の出身地である大分の中津にも行きました。旧居を訪れ、記念館と創立150年の植樹も見て来ました。オーケストラというのにはわけがあって、ドラムの中にセンサーを仕込んで、僕がドラムをたたくことによって信号がミディーコンバーターに送られ、あらかじめプログラミングしておいた各種楽器の音が流れて、生ドラムと合奏するという仕掛けなのです。
アナログのアコースティックドラムと、デジタルプログラミングの融合によって生まれたハイブリッドドラミング、これが僕のワンマンオーケストラです。なかなか言葉で説明しても伝わらないですよね。今度是非ライブを見にいらしてください。ドラムでこんな事もできるのかと、きっとびっくりすると思いますよ(笑)。
意外に思われるかもしれませんが、僕は早寝早起きで食事は低脂肪高たんぱくの和食派。80歳になってもシャキッと背筋を伸ばしてドラムを叩いていたいと思っています。
——ドラム演奏だけでなく、作曲も手がけていますね。
(神保)
音楽をつくる要素は、リズムとメロディとハーモニー。ドラムはリズム楽器で、そこが強調されますが、音楽家として美しいメロディをつくりたいという根源的な思いはあります。とくにワンマンオーケストラをやり始めてからその思いは強くなり、毎年出しているソロCDの曲はすべて自分の曲です。作曲は自分の中に眠っているものを掘り起こすような行為で、演奏とはまた違った楽しみがあります。もっとも作曲にはドラムではなく、ギターを使っていますけれど。
——今年から国立音楽大学で教えるそうですが、教育に携わる理由は何ですか。
(神保)
今年から同大学にジャズ専修ができ、そこで客員教授として教鞭を取る事になりました。既にシラバスも提出しています。教えることになった第一の理由は、ピアニストの小曽根真さん(ジャズ専修主任教授)の熱い思いに触れたからです。もともと教えることに興味はありました。教えるためには、教える側がこれまでの経験や勉強で得てきた知識の断片を整理して再構築しなければなりません。漠然とした集積に法則性を見いだすというか。これは非常に重要な作業でもあり、その過程で自分自身が再確認したり再発見したりするものがあるはずです。また荒削りではあっても、磨けば光る原石のような学生から教えられることも、きっとたくさんあるはずです。
——義塾の伝統である「半学半教」に通じることですね。
(神保)
それで思い出しました。中等部に入学して、教師を先生と呼ばずに、さん付けすることに、垣根のないなんて気持ちの良い学校だろうと感動したものです。僕もその半学半教の精神で行きます。
——世界的なドラマーにして大学教授、これからが楽しみです。では、最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(神保)
「人生は発掘である」というのはどうでしょう。さきほど作曲は自分の内にあるものを掘り起こすことだと言いましたが、僕はすべての人の内には、発掘されることを待っているダイヤの原石のような能力が埋まっていると思っています。僕の今までの音楽活動は、演奏にしろ、作曲にしろ、それを少しずつ掘り出すことの積み重ねでした。視野を広げ、人と交わり、知識を身につけることは確かに大切ですが、その外から得るものを刺激として、内なる自分の力を掘り起こしてこそ、本当に価値ある能力になると思います。これは音楽など芸術分野に進む人に限らず、すべての人に当てはまることだと思います。
——本日は、ありがとうございました。
(神保)
音楽をつくる要素は、リズムとメロディとハーモニー。ドラムはリズム楽器で、そこが強調されますが、音楽家として美しいメロディをつくりたいという根源的な思いはあります。とくにワンマンオーケストラをやり始めてからその思いは強くなり、毎年出しているソロCDの曲はすべて自分の曲です。作曲は自分の中に眠っているものを掘り起こすような行為で、演奏とはまた違った楽しみがあります。もっとも作曲にはドラムではなく、ギターを使っていますけれど。
——今年から国立音楽大学で教えるそうですが、教育に携わる理由は何ですか。
(神保)
今年から同大学にジャズ専修ができ、そこで客員教授として教鞭を取る事になりました。既にシラバスも提出しています。教えることになった第一の理由は、ピアニストの小曽根真さん(ジャズ専修主任教授)の熱い思いに触れたからです。もともと教えることに興味はありました。教えるためには、教える側がこれまでの経験や勉強で得てきた知識の断片を整理して再構築しなければなりません。漠然とした集積に法則性を見いだすというか。これは非常に重要な作業でもあり、その過程で自分自身が再確認したり再発見したりするものがあるはずです。また荒削りではあっても、磨けば光る原石のような学生から教えられることも、きっとたくさんあるはずです。
——義塾の伝統である「半学半教」に通じることですね。
(神保)
それで思い出しました。中等部に入学して、教師を先生と呼ばずに、さん付けすることに、垣根のないなんて気持ちの良い学校だろうと感動したものです。僕もその半学半教の精神で行きます。
——世界的なドラマーにして大学教授、これからが楽しみです。では、最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(神保)
「人生は発掘である」というのはどうでしょう。さきほど作曲は自分の内にあるものを掘り起こすことだと言いましたが、僕はすべての人の内には、発掘されることを待っているダイヤの原石のような能力が埋まっていると思っています。僕の今までの音楽活動は、演奏にしろ、作曲にしろ、それを少しずつ掘り出すことの積み重ねでした。視野を広げ、人と交わり、知識を身につけることは確かに大切ですが、その外から得るものを刺激として、内なる自分の力を掘り起こしてこそ、本当に価値ある能力になると思います。これは音楽など芸術分野に進む人に限らず、すべての人に当てはまることだと思います。
——本日は、ありがとうございました。
























