メインカラムの始まり
[塾員山脈] 江藤 省三君(慶應義塾体育会野球部監督)
2010/10/25 (「塾」2010年AUTUMN(No.268)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。
野球部を春季リーグ優勝に導く 秋は連覇、そして目指すは日本一
野球部を春季リーグ優勝に導く 秋は連覇、そして目指すは日本一
【えとう しょうぞう】1966年文学部卒業。野球部では主将を務め、4季連続六大学ベストナイン選出、在部中のリーグ優勝3回。フィリピンのアジア大会でMVPに選ばれる。卒業後は読売巨人軍に入団して活躍、その後中日ドラゴンズを経て、藤田、王両監督のもとで巨人一軍コーチを務めたほか、多くのプロ球団でコーチ、フロントとして活躍。メジャーリーグのドジャースへのコーチ留学も経験。2009年12月1日から野球部監督に就任。
うつむいて反省しているよりも顔を上げて練習をしろ
——少し前のことになりますが、東京六大学野球の春季リーグ優勝、おめでとうございました。そしてありがとうございました。塾生、塾員はもちろん塾に関係しているすべての人が、うれしく晴れがましい気持ちになりました。願わくば、秋季リーグも優勝し、秋こそは、神宮大会で日本一になってください(注:取材は秋季リーグ開始前に行われました)。
(江藤)
そう簡単に言わないでください(笑)。第一に勝ったのは選手であって、あの優勝は部員一人ひとりが厳しい練習を重ねてつかみ取ったものです。そして秋はマークされますから、春の2割、3割増し以上の練習をしないと、勝てません。もちろん目標は日本一ですが、それも練習次第です。リーグ優勝に続いて開かれた全日本大学野球選手権では、準決勝で負けてしまいました。でも、この敗戦を悔しく思いながら、私はどこかで喜んでいます。なぜなら、この悔しい経験が秋に向けて、闘志を燃やすいい材料になっていると思うからです。
——その言葉を聞いて、ますます期待が高まりました。ところで春季リーグ制覇は11季ぶりの快挙です。早稲田に勝って優勝を決めたあの瞬間のことを振り返っていただけますか。湯本主将のグラブにボールが収まった瞬間、選手たちはベンチから一気に飛び出したのですが、監督はなんだかワンテンポ遅れたような気がしました…。
(江藤)
その瞬間を待つというのではなく、全然別のことで頭がいっぱいだったのです。ランナーが出ていて、ボールがふたつ先行、安易にストライクを取りにいったら打たれて同点になってしまう、そうしたらピッチャーをどうするか、頭はそのことでいっぱいでしたから、勝った瞬間にタイミングよく喜べませんでした(笑)。それでベンチを出るのも遅れてしまったのです。
——なるほど、監督の頭の中は、試合中は常に次のことを考えてフル回転しているものなのですね。
(江藤)
あの時ランナーがいなければ、もう少し余裕があったのでしょうけれど。
——それでも、胴上げ後には目に涙が光っていました。
(江藤)
猛烈にうれしかったですから。私は感激するとよく泣くんです(笑)。子どもの頃から、試合では負けて泣いたことはありませんが、勝ったときにはけっこう泣いています。それから、誕生日に部員たちからサプライズで祝ってもらったときにも泣いちゃいましたし。
——サプライズバースデーですか。部員のみんなも、なかなかやりますね。失礼ながらその部員たちは孫みたいな年齢です。戸惑うことはありませんか。
(江藤)
ふだんは仲のいいおじいちゃんと孫たちでかまいません。信頼関係をつくることが大切ですから。しかし、こと野球に関してはきちんと距離をつくって、監督と部員という立場を徹底するし、させています。そこに甘いものを持ちこんだら、絶対に駄目です。交代させるとき、ベンチに下げるときに迷いが出るようでは、勝てる野球はできません。このけじめはきちんとつけています。
——でも、ミスをしても、試合に負けても決して怒らないとか。
(江藤)
そうですね。落ちこんでいるところに、怒ってもしようがありません。「もっと練習しよう」と言うだけです。うまくなるには、そして、強くなるには練習しかないのです。
春のリーグ戦で、法政との1試合目に負けた後にロッカールームに行くと、まるで悪いことをした後の子どものようにみんなうつむいて、暗い雰囲気なのです。私が「何なんだ、明日勝てばいいんだろ。
早く風呂に入ってしまえ」と言うと、みんなキョトンとしていました。たぶん反省ミーティングで怒られるのを覚悟していたのでしょうね。でも、そんなことをやってもストレスがたまるばかりです。それより気持ちを切り替えて、翌日練習したほうがいいのです。そして法政に連勝して勝ち点を得ました。そのときから何かが変わりはじめました。
——その直後の立教戦で勝ち点を取られましたが、そのときはどうだったのですか。
(江藤)
なんと私より立ち直りが早かったですよ。「監督がいちばん落ち込んでいましたね」と言われるくらいに(笑)。ただし、私は落ち込むというより、次の明治とどう戦うかで頭がいっぱいだったのです。
でも、面白いことが起きました。そんな私の姿を見て、翌日は学生スタッフが1、2年生に「いつも以上に元気を出して、明るく練習しろ」と指示を出したというのです。落ち込む暇があったら練習しろという私の考え方を、いつの間にか実践していたのです。やっぱり頭がいいんですよ、部員たちは。だからこそ、私は方向性を間違えないことが大事。それをきちんと示せば、自主的に量も質もいい練習をして、成長します。
率直に言って、早稲田の選手のほうが素質は上でしょう。それに勝つには何倍も練習しなければならない。今の部員たちは、そのことをしっかりわかってくれています。
(江藤)
そう簡単に言わないでください(笑)。第一に勝ったのは選手であって、あの優勝は部員一人ひとりが厳しい練習を重ねてつかみ取ったものです。そして秋はマークされますから、春の2割、3割増し以上の練習をしないと、勝てません。もちろん目標は日本一ですが、それも練習次第です。リーグ優勝に続いて開かれた全日本大学野球選手権では、準決勝で負けてしまいました。でも、この敗戦を悔しく思いながら、私はどこかで喜んでいます。なぜなら、この悔しい経験が秋に向けて、闘志を燃やすいい材料になっていると思うからです。
——その言葉を聞いて、ますます期待が高まりました。ところで春季リーグ制覇は11季ぶりの快挙です。早稲田に勝って優勝を決めたあの瞬間のことを振り返っていただけますか。湯本主将のグラブにボールが収まった瞬間、選手たちはベンチから一気に飛び出したのですが、監督はなんだかワンテンポ遅れたような気がしました…。
(江藤)
その瞬間を待つというのではなく、全然別のことで頭がいっぱいだったのです。ランナーが出ていて、ボールがふたつ先行、安易にストライクを取りにいったら打たれて同点になってしまう、そうしたらピッチャーをどうするか、頭はそのことでいっぱいでしたから、勝った瞬間にタイミングよく喜べませんでした(笑)。それでベンチを出るのも遅れてしまったのです。
——なるほど、監督の頭の中は、試合中は常に次のことを考えてフル回転しているものなのですね。
(江藤)
あの時ランナーがいなければ、もう少し余裕があったのでしょうけれど。
——それでも、胴上げ後には目に涙が光っていました。
(江藤)
猛烈にうれしかったですから。私は感激するとよく泣くんです(笑)。子どもの頃から、試合では負けて泣いたことはありませんが、勝ったときにはけっこう泣いています。それから、誕生日に部員たちからサプライズで祝ってもらったときにも泣いちゃいましたし。
——サプライズバースデーですか。部員のみんなも、なかなかやりますね。失礼ながらその部員たちは孫みたいな年齢です。戸惑うことはありませんか。
(江藤)
ふだんは仲のいいおじいちゃんと孫たちでかまいません。信頼関係をつくることが大切ですから。しかし、こと野球に関してはきちんと距離をつくって、監督と部員という立場を徹底するし、させています。そこに甘いものを持ちこんだら、絶対に駄目です。交代させるとき、ベンチに下げるときに迷いが出るようでは、勝てる野球はできません。このけじめはきちんとつけています。
——でも、ミスをしても、試合に負けても決して怒らないとか。
(江藤)
そうですね。落ちこんでいるところに、怒ってもしようがありません。「もっと練習しよう」と言うだけです。うまくなるには、そして、強くなるには練習しかないのです。
春のリーグ戦で、法政との1試合目に負けた後にロッカールームに行くと、まるで悪いことをした後の子どものようにみんなうつむいて、暗い雰囲気なのです。私が「何なんだ、明日勝てばいいんだろ。
早く風呂に入ってしまえ」と言うと、みんなキョトンとしていました。たぶん反省ミーティングで怒られるのを覚悟していたのでしょうね。でも、そんなことをやってもストレスがたまるばかりです。それより気持ちを切り替えて、翌日練習したほうがいいのです。そして法政に連勝して勝ち点を得ました。そのときから何かが変わりはじめました。
——その直後の立教戦で勝ち点を取られましたが、そのときはどうだったのですか。
(江藤)
なんと私より立ち直りが早かったですよ。「監督がいちばん落ち込んでいましたね」と言われるくらいに(笑)。ただし、私は落ち込むというより、次の明治とどう戦うかで頭がいっぱいだったのです。
でも、面白いことが起きました。そんな私の姿を見て、翌日は学生スタッフが1、2年生に「いつも以上に元気を出して、明るく練習しろ」と指示を出したというのです。落ち込む暇があったら練習しろという私の考え方を、いつの間にか実践していたのです。やっぱり頭がいいんですよ、部員たちは。だからこそ、私は方向性を間違えないことが大事。それをきちんと示せば、自主的に量も質もいい練習をして、成長します。
率直に言って、早稲田の選手のほうが素質は上でしょう。それに勝つには何倍も練習しなければならない。今の部員たちは、そのことをしっかりわかってくれています。
プロ、アマのこだわりを捨て野球界のレベルアップに貢献したい
————ところで、野球部の監督要請があったとき、すんなり受けられたのですか。
(江藤)
いえいえ、一度は「考えさせてください」と遠回しにお断りしました。というのは、アマチュアはアマチュアが指導すべきで、プロとの一線を画しておくべきというのが私の考えだったのです。ですから、本来、アマのスポーツ大会であるべき、オリンピックの野球にプロが参加することも賛成ではなかったほどです。そうしないとアマの目指すべき頂点がぼやけてしまうと思ったのです。
——それでも受諾してくれました。その理由は。
(江藤)
それは、端的には2度目の要請があったからです。たぶんいろいろ考えられたでしょうから、その上で再度要請してくださったのなら、それに応えないのは、私の生き方に反します。だからこのときは快諾しました。
それと、私の中でプロとアマに対する考え方に変化があり、王さんが言われるようにプロとアマの垣根を越えて、「野球人として、野球界のレベルアップに努める」ということの大切さを感じるようになってきたのです。ちなみに今回の優勝後に、最初にお祝いの電話をくれたのは王さんでした。うれしかったですね。
——就任後すぐに11季ぶりのリーグ優勝。やはりプロの選手、コーチとして活躍してきた手腕はすごいですね。
(江藤)
いえ、肝心なのは技術ではなく、「思い」です。プロの選手のヒットを打ちたい、投げ勝ちたいという思いの強さには、すごいものがあり、そのためには猛烈に練習もします。伝えたのは技術よりもこのことなのです。つまり勝ちたいという心を強く持つことと、それを果たせるのは練習しかないということです。部員たちが、そのことをしっかりと受け止めてくれたから、春の勝利があったのです。毎日1000本、1500本とバットを振り込んでいましたから。
——監督になって、組織など何か変えたところはあるのですか
(江藤)
いちばん大きいのは、選手コーチを廃止して、選手スタッフにしたことでしょう。従来4年生でレギュラーでない者が、選手コーチとして後輩を教えていました。しかし、非情に聞こえるかもしれませんが、登録選手メンバーに選ばれない人が、コーチになったからといって、独自の判断で練習メニューを組んだり、指導したりすることに私は疑問を感じます。伝統的にそうだとはいっても、そこには甘さが見えます。ですから今はコーチではなく、私の指導に沿ったことだけを教える選手スタッフとして、支えてもらっています。当初は戸惑ったかもしれませんが、立教戦の後に1、2年に指示を出してくれたように、現在はいい役目を果たしてくれています。
もう一つ、ストッキングの2本線を隠してパジャマのようにユニフォームのズボンを着用することを禁じました。今はみんなスッキリと2本線を見せています。
——大学野球らしく、爽やかな印象です。さて、塾員の監督ですから、塾生時代のことも聞かせてもらわねばなりません。
(江藤)
来ましたか(笑)。たしか文学部社会学専攻の真面目な学生だったはずです。休講の掲示は大好きでしたが(笑)。1、2年でできるだけ単位を取り、レギュラーだった3、4年はレポート提出主体の授業を選んで、練習に打ち込んでいました。
でも、最も勉強したのは受験時ですね。甲子園で準優勝した中京商業高校の選手でしたから、引く手はあまた。そんな時に高校に来られた当時の前田祐吉監督の「慶應には、野球だけでは入れませんよ」との言葉に発奮して、「じゃあ合格してやる」と、半年間は4時間睡眠で猛勉強しました。国体出場時に宿舎で勉強していたことも懐かしい思い出です。
——野球部在籍中に3回のリーグ優勝、3年の春からベストナインに連続4回選ばれ、中心選手として大活躍でした。
(江藤)
いちばん印象に残っているのは、4年の春の立教戦で打った逆転サヨナラホームランです。3年では、後に南海ホークスで活躍する渡辺泰輔先輩の六大学野球初の完全試合が忘れられません。
(江藤)
いえいえ、一度は「考えさせてください」と遠回しにお断りしました。というのは、アマチュアはアマチュアが指導すべきで、プロとの一線を画しておくべきというのが私の考えだったのです。ですから、本来、アマのスポーツ大会であるべき、オリンピックの野球にプロが参加することも賛成ではなかったほどです。そうしないとアマの目指すべき頂点がぼやけてしまうと思ったのです。
——それでも受諾してくれました。その理由は。
(江藤)
それは、端的には2度目の要請があったからです。たぶんいろいろ考えられたでしょうから、その上で再度要請してくださったのなら、それに応えないのは、私の生き方に反します。だからこのときは快諾しました。
それと、私の中でプロとアマに対する考え方に変化があり、王さんが言われるようにプロとアマの垣根を越えて、「野球人として、野球界のレベルアップに努める」ということの大切さを感じるようになってきたのです。ちなみに今回の優勝後に、最初にお祝いの電話をくれたのは王さんでした。うれしかったですね。
——就任後すぐに11季ぶりのリーグ優勝。やはりプロの選手、コーチとして活躍してきた手腕はすごいですね。
(江藤)
いえ、肝心なのは技術ではなく、「思い」です。プロの選手のヒットを打ちたい、投げ勝ちたいという思いの強さには、すごいものがあり、そのためには猛烈に練習もします。伝えたのは技術よりもこのことなのです。つまり勝ちたいという心を強く持つことと、それを果たせるのは練習しかないということです。部員たちが、そのことをしっかりと受け止めてくれたから、春の勝利があったのです。毎日1000本、1500本とバットを振り込んでいましたから。
——監督になって、組織など何か変えたところはあるのですか
(江藤)
いちばん大きいのは、選手コーチを廃止して、選手スタッフにしたことでしょう。従来4年生でレギュラーでない者が、選手コーチとして後輩を教えていました。しかし、非情に聞こえるかもしれませんが、登録選手メンバーに選ばれない人が、コーチになったからといって、独自の判断で練習メニューを組んだり、指導したりすることに私は疑問を感じます。伝統的にそうだとはいっても、そこには甘さが見えます。ですから今はコーチではなく、私の指導に沿ったことだけを教える選手スタッフとして、支えてもらっています。当初は戸惑ったかもしれませんが、立教戦の後に1、2年に指示を出してくれたように、現在はいい役目を果たしてくれています。
もう一つ、ストッキングの2本線を隠してパジャマのようにユニフォームのズボンを着用することを禁じました。今はみんなスッキリと2本線を見せています。
——大学野球らしく、爽やかな印象です。さて、塾員の監督ですから、塾生時代のことも聞かせてもらわねばなりません。
(江藤)
来ましたか(笑)。たしか文学部社会学専攻の真面目な学生だったはずです。休講の掲示は大好きでしたが(笑)。1、2年でできるだけ単位を取り、レギュラーだった3、4年はレポート提出主体の授業を選んで、練習に打ち込んでいました。
でも、最も勉強したのは受験時ですね。甲子園で準優勝した中京商業高校の選手でしたから、引く手はあまた。そんな時に高校に来られた当時の前田祐吉監督の「慶應には、野球だけでは入れませんよ」との言葉に発奮して、「じゃあ合格してやる」と、半年間は4時間睡眠で猛勉強しました。国体出場時に宿舎で勉強していたことも懐かしい思い出です。
——野球部在籍中に3回のリーグ優勝、3年の春からベストナインに連続4回選ばれ、中心選手として大活躍でした。
(江藤)
いちばん印象に残っているのは、4年の春の立教戦で打った逆転サヨナラホームランです。3年では、後に南海ホークスで活躍する渡辺泰輔先輩の六大学野球初の完全試合が忘れられません。
——プロ野球では巨人、中日で活躍し、その後コーチやフロントも経験しています。お兄さんの江藤慎一選手もプロ野球のスラッガーで知られる方ですが、どんな方でしたか。
(江藤)
父が戦争前に社会人野球の新日鉄八幡の選手で、戦後も町のチームで野球を楽しんでいました。そんな父の影響で兄も私も自然と野球に親しみました。その後プロで首位打者を3回も獲得した兄は、素晴らしい実力をもった選手なのですが、私はその兄の背中を見て育ったわけです。父は、まあ野球のことしか頭にない極楽トンボで(笑)、私を含めて3人の弟たちは、兄がプロで稼いだお金で大学まで行かせてもらったのです。
オールド野球ファンは覚えているかもしれませんが、兄はユニフォームのいちばん上のボタンをはずして着たり、肌寒い4月からシャツの袖をまくりあげたり、野性味あふれる選手でした(笑)。でも私たちにとっては、頼れる優しい兄でした。私が慶應に入学したときも、巨人に入団したときも、大喜びしてくれました。残念ながら2008年に亡くなったのですが、生きていれば今回、慶應の監督になったことも、優勝したことも我がことのように喜んでくれたはずです。
——野球一家だったのですね。塾員や保護者の中には、監督とお兄さんの現役時代を懐かしく思い出した方も多いと思います。では最後に、これから社会に出て行く塾生たちに、先輩塾員としてメッセージをお願いします。
(江藤)
プロ野球でも、他の仕事でも、プロフェッショナルとして重要なことは、ミスをしないことだと思います。ミスをどう防ぐかは、いかに準備をするかにかかっています。野球ならとことん練習することだし、仮に営業なら相手を十分に調べて知ったうえで、伝えたいことをきちんと伝えられる知識と会話力をしっかりと身につける努力をすることです。
もしミスをしてしまったなら、落ち込んでいてもしようがありません。どんな準備が足りなかったのかを検証し、また準備を始めればいいのです。十分な準備こそ、成功の原点です。
*取材後、秋の目標を色紙に書いていただきました。何がいいかな……と目を輝かせて「やっぱりこれだろう」と書いてくださったその文字は、『日本一』。
(江藤)
父が戦争前に社会人野球の新日鉄八幡の選手で、戦後も町のチームで野球を楽しんでいました。そんな父の影響で兄も私も自然と野球に親しみました。その後プロで首位打者を3回も獲得した兄は、素晴らしい実力をもった選手なのですが、私はその兄の背中を見て育ったわけです。父は、まあ野球のことしか頭にない極楽トンボで(笑)、私を含めて3人の弟たちは、兄がプロで稼いだお金で大学まで行かせてもらったのです。
オールド野球ファンは覚えているかもしれませんが、兄はユニフォームのいちばん上のボタンをはずして着たり、肌寒い4月からシャツの袖をまくりあげたり、野性味あふれる選手でした(笑)。でも私たちにとっては、頼れる優しい兄でした。私が慶應に入学したときも、巨人に入団したときも、大喜びしてくれました。残念ながら2008年に亡くなったのですが、生きていれば今回、慶應の監督になったことも、優勝したことも我がことのように喜んでくれたはずです。
——野球一家だったのですね。塾員や保護者の中には、監督とお兄さんの現役時代を懐かしく思い出した方も多いと思います。では最後に、これから社会に出て行く塾生たちに、先輩塾員としてメッセージをお願いします。
(江藤)
プロ野球でも、他の仕事でも、プロフェッショナルとして重要なことは、ミスをしないことだと思います。ミスをどう防ぐかは、いかに準備をするかにかかっています。野球ならとことん練習することだし、仮に営業なら相手を十分に調べて知ったうえで、伝えたいことをきちんと伝えられる知識と会話力をしっかりと身につける努力をすることです。
もしミスをしてしまったなら、落ち込んでいてもしようがありません。どんな準備が足りなかったのかを検証し、また準備を始めればいいのです。十分な準備こそ、成功の原点です。
*取材後、秋の目標を色紙に書いていただきました。何がいいかな……と目を輝かせて「やっぱりこれだろう」と書いてくださったその文字は、『日本一』。
























