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[塾員山脈] マエキタ ミヤコ君(ソーシャルクリエイティブエージェンシー[サステナ]代表)

2010/09/27 (「塾」2010年SUMMER(No.267)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。

自然を守り、平和な世界を実現するために、チャーミングな表現でNGOの広告をつくる
マエキタ ミヤコ君
【まえきた みやこ】1963年東京都生まれ。1987年、経済学部を卒業し株式会社電通へ入社。コピーライター、プランナーとして活躍。在職中の94年からボランティアでNGOの広告に携わり、「ぬりえピースプラカード」、「100万人のキャンドルナイト」などで多数の広告賞を受賞。2002年にソーシャルクリエイティブエージェンシー[サステナ]を設立し、環境や貧困問題などの社会的な課題に関わる広告を専門的に手掛ける。2008年に電通を退社。『エココロ』編集主幹、「100万人のキャンドルナイト」よびかけ人代表幹事。東京外国語大学平和構築Peace&Conflict Studie・立教大学・上智大学非常勤講師、東北芸術工科大学・京都造形芸術大学客員教授。主著に『エコシフト』(講談社現代新書)。

曾祖父は明治時代の塾生で島崎藤村の後援者

——マエキタミヤコさんは、NGOのための広告メディアクリエイティブエージェンシー[サステナ]の代表として、環境と平和のための広告制作に携わる一方で、「100万人のキャンドルナイト」や「ほっとけない世界のまずしさ~ホワイトバンドプロジェクト」などの中心的なメンバーとして活躍してこられました。マエキタさんは幼稚舎から慶應ですが、曾祖父にあたる方も慶應義塾で学んだ方だそうですね。

(マエキタ)
母方の曾祖父は、神津猛(こうづたけし)といって信州佐久の出身です。福澤先生がご存命だった頃の義塾で学び、長野で銀行を経営する傍ら、縄文土器の発掘をして子どもだった江上波夫さんに影響を与えるなど考古学の発展に尽力したり、島崎藤村の『破戒』の出版に資金援助をしたり、とても文化的な人だったそうです。この猛の幼稚舎時代の友人に、横浜で生糸商人として活躍した山田駒吉という人がいて、猛の娘と駒吉の息子が結婚し、生まれたのが私の母です。駒吉の息子、つまり私の祖父もそして母も、大学は慶應でした。そんなこともあってか、私は幼稚舎から義塾育ちです。ただし、日本航空に勤めていた父の転勤について、幼稚舎の2~4年にあたる学年は香港の日本人学校に通い、5年からまた幼稚舎に戻りました。中等部2年の時の父のオランダ赴任には両親だけ行って、私は叔父の家から中等部に通いました。そして慶應義塾女子高等学校の1年の時に「こっちに来る?」と言われて、オランダに行くものと思っていたら、なぜかイギリスの女子高校に入れられ、寄宿舎暮らしを経験しました。

——香港とイギリスで暮らした経験が、国際感覚を身につけさせたのですね。

(マエキタ)
国際感覚かどうかはわかりませんが、国や人種、言葉は違っても根っこの部分で人間は皆同じだなという感覚は身につきました。イギリスの学校は国際色豊かで、イラン革命で国を追われたパーレビ国王の一族の子女がいたりして。でも10代の女の子の話題はダイエットだったり、ボーイフレンドのことだったり万国共通です。親が離婚しそうだと泣いている子を、みんなで慰めたりしたこともあります。

寄宿舎暮らしは1年間で、帰国後はまた叔父の家から慶應女子高に通ったのですが、夏休みや冬休みには、両親のいるオランダへ行きました。そこで経験したのが、若い人たちが長い間空き家になっている家に勝手に住んでしまう「クラッカー」というムーブメント。地上げの途中かなんなのか、とにかく都市部の建物が空洞化しているのはおかしいということで、どんどん空き家に住みついているのです。一時は警官隊ともみあったりしたのですが、そのうち若者の言い分ももっともだということになって、条件付きながら住んでもいいということになったんです。本来は不法占拠なのに、ムーブメントを盛り上げて、結局は政治がそれを認めるということがとっても面白かった。この経験が、今の私のアドボカシー活動にもつながっていることは確かです。

文学的、哲学的な視点があって面白かった経済学部の授業

マエキタ ミヤコ君
——幼稚舎から女子高の間で印象的なことはありましたか?

(マエキタ)
美術と理科が好きな子で、美術の時間にみんなが油絵を描いているときに、私だけ自然観察を兼ねて校庭の隅っこで植物の絵を鉛筆で描くことを許してくれました。たぶん私はちょっと変わった子だったのだと思いますが、そんな学校の自由な雰囲気が好きでした。ここで熱心に鉛筆画を描いたことが、のちに広告代理店で絵コンテを描くときに役立ったと思います。猿之助さんの弟子の市川右近、本名武田右近が同級生にいて、クラスの劇で演出の彼から指示されたのも懐かしい思い出です。

——大学で経済学部に進まれたのは、何か理由があるのですか。

(マエキタ)
父親の影響です。父は紀州商人の息子で実家は呉服問屋です。幼い頃から商人魂を吹き込まれていたらしく、たとえば家族でレストランに行っても、この規模でこの単価で、回転率はこれぐらいだから採算ラインはこのぐらい、なんてことを話題にするので、私もいつの間にか経済学に興味を持つようになりました。一方で、私は子どもの頃からジャーナリスティックな視点でものを見る傾向があって、商学部で政治学を教えていた小野修三助教授(現教授)の近代思想史の授業が大好きでした。授業があまりに面白くて、別の時間帯の同じ授業にももぐりこんで二度受けたりしていると、私の顔を見て、前の授業と違った話をしてくれたりするのです。きっと迷惑だったのでしょうが(笑)、すごいプロ意識ですよね。いまも一緒にご飯を食べたり、親しくしていただいています。

その他にも、経済学なのだけれど哲学的だったり文学的だったり、深くて厚みのある内容の授業が多くて、とにかく面白かった。単に経世済民というだけでなく、福澤諭吉先生が思想家、哲学者だったことの伝統が、義塾の教育には脈々と受け継がれていて、授業は、経済というものを体系的に視野広く学べる構成になっているのだと思います。

——福澤先生は、マエキタさんにとってどんな存在ですか。

(マエキタ)
大好きですし、福澤先生が生まれた国の人間であることが誇りであり、自慢です。なんといっても、当時の人口は3000万人ほどなのに、『学問のすゝめ』が300万部売れたことがすごい。それまできちんとした書物といえば、知識層を対象に難解な表現で書かれていましたが、普通の庶民が読みやすい言葉で書いたこともすごいことです。『学問のすゝめ』に限らず、先生は書いたものをお手伝いさんに読んでもらい、わかりにくいと言われたら書き直したというエピソードもあります。それほど普通の国民への啓蒙意識が高かったということです。

私は、環境保護、平和構築、戦争防止をテーマに活動をしているのですが、その根本の目的はコミュニケーションのリテラシーを上げることです。政治や権力が人の無知に付け込むのは下品だし、許せないから、環境や平和について、みんなにもっと関心を持ってもらいたいし知ってほしいのです。この思いは、福澤先生が『学問のすゝめ』を書いたことに通じるものだと思います。あの時代に先生が『学問のすゝめ』を書いたのだから、今の自分も現代に合った方法で大切なことを伝えなければならない、と思っています。

——ところで在学中にチベットへ旅行されたそうですが、目的があったのですか。

(マエキタ)
出発時点では、一緒に行くはずだった友達が行けなくなって、しようがないからとにかく香港へ行くことにしたのです。その後、広東、成都と移動し、チベットへ行ったのは成り行きです。そのチベットで仲良くなったおばあさんから、1959年のチベット蜂起のことを聞いてショックを受けました。そのおばあさんたちは、中国軍からダライ・ラマを守ろうとして、ノルブリンカ宮殿に行ったのに、「ダライ・ラマを追放するために集まった農奴たち」にされ、でたらめな宣伝に利用されたことに怒っていたのです。この時、こんな情報操作はひどいと思ったことも、今の人に正確なことを伝えようとする活動につながっています。

猛烈に忙しい中で表現力とプレゼン力は鍛えられた

——卒業後は電通に就職して広告制作の仕事をされるのですが、その後、NGOの広告を専門に扱うサステナを設立するに至った経緯を教えてください。

(マエキタ)
ゼミの友達に「ついておいで」といわれて電通の就職試験を受けて、前年に施行された男女雇用機会均等法の下の女子総合職の第2期生として、就職しました。当時、超売れっ子コピーライターだった川崎徹さんの名前も知らず、よく合格したものだと今思い出してもひやひやです(笑)。

クリエイティブ局に配属されて、上下関係も男女差も比較的ゆるい実力本位の環境で、いろいろなことを学ばせてもらいました。デザインの人と協力しながら言葉を使ってコピーを作ることだけでなく、その広告をクライアントに対して、わかりやすく、説得力を持って説明するプレゼン力も鍛えられました。でも、とにかく忙しかった。「5時から会議ね」と言われて、「夕方の?朝の?」と平気で聞き返せるほど、24時間営業状態でした。

そしてある時、子どもの幼稚園の参観日に親同士として、日本自然保護協会の方と知り合い、会員を増やすための入会パンフレットを作ったことが、NGOの仕事をすることになったきっかけです。もちろん、会社の仕事ではなく、休日を使ってのボランティアです。一応会社に届け出はしましたが、報酬はもらってはいません。サステナを立ち上げてからもしばらくは電通の仕事をしながらのボランティアでした。電通を辞めて、サステナ一本に絞って、今年で3年目です。

——会社を辞めて、独立するのには勇気がいったのではありませんか?

(マエキタ)
当初は電通を変えようと思って、NGO広告に力を入れましょう、などと言っていたのですが、少しずつはその方に向いてきたものの、やっぱりなかなか変わりません。それなら先に日本を変えて、それから電通を変えればいいかと、会社を辞めました。この思いはかなり本気でした。私たちの仕事の影響かどうかは別として、実際に日本は変わりつつあります。去年の政権交代は、なるほどといえばなるほどの出来事でした。時代の風を読むのが仕事なので、会社を辞めてNGOの広告といろいろな社会的なムーブメントに本格的にかかわるのには、いいタイミングだったと思います。
キャンドルナイトポスター(2009年)
キャンドルナイトポスター(2009年)
——休日ボランティアだったということは、「100万人のキャンドルナイト」のキャンペーンの時も、報酬なしなのですか。

(マエキタ)
はい。賛同者が1万円、2万円と出し合って、実行したものです。いわゆる持ち出しですね。環境省とパートナーシップを結んだのはその後のことです。現在は、企業の広告予算とは比べものになりませんが、NGOの広報予算から、制作費をいただくようになりました。よく、「NGOの広告で食べていけるのか」と聞かれますし、私もそう思います(笑)。でも、入ってくるものに合わせて、出るものをフレキシブルに調節しています。この不景気でNGOの広告予算も縮小し、来年は私たちの業務も少し減りそうですから、事務所を家賃が安いところに引っ越します。それでも、お金を払ってでもプロに広告を頼もうという心意気を持つNGOもいくつかあって、なんとかやっていけそうです。

NGOの広告にプロは必要ないのではという意見もあると思いますが、やはりプロが広告に携われば格段に差がつきます。何が格段かというと、会費を出してくれる会員は増えるし、寄付の集まりがよくなります。そうすれば、NGOが掲げている問題解決のパワーが格段に強くなるのです。

エコの問題でも、貧困問題でも、協力して問題の解決をサポートしたいという気持ちは、多くの人たちが持っています。その思いからの協力は、NGOの実際的な行動を支援するだけでなく、その行動を通じて世論を喚起し、税金をこっちのほうに使おうよ、と働きかけることにもなるのです。NGOの人たちは問題への意識は高くても、それを一般の人に広く伝える技術は高くありません。その普通の人たちへのプレゼンテーションというところで、私たちのプロの技術は役に立てると思います。

——お書きになった『エコシフト』という本のサブタイトルは「チャーミングに世界を変える方法」なのですが、この「チャーミングに」が大事なのですね。

(マエキタ)
環境とか貧困問題とかの話は、どこか説教くさくなったり禁欲的だったりします。言っていることは正しいと感じても、伝え方や表現方法で、反発する人も少なくないのではないでしょうか。自然は大切にしなければ、という思いは持っていても、NGOのキャンペーンが堅苦しかったり、理解しにくかったりして参加をためらうとしたら、社会的には大きな損失です。だから魅力的、チャーミングな表現が必要なのです。

——夏至と冬至の夜に部屋の電気を消してエコライフを考える「キャンドルナイト」や、世界の貧困に思いを向けるための「ホワイトバンドプロジェクト」は、実際に参加した人はもちろんですが、具体的に行動しなかった日本人にも印象に残る活動で、多かれ少なかれメッセージは伝わりました。チャーミングな語り口は心に染みるものですね。

(マエキタ)
今は、活動の裾野がもっと広がっています。提言で政府や世論に影響を与える「アドボカシー」の考え方を軸にして、世界に先駆けて日本が紛争を解決し、戦争が起こらないようにする市民主導の「HIKESHI(火消し)プロジェクト」などに積極的に取り組んでいます。

政治というと政党政治をイメージしがちですが、もともとの民主主義の政治は市民自身のものです。その基本を取り戻すために、特定の政党を応援するのではなく、ニュートラルな市民の政治アクションとして、提言を通じてみんなの意思を反映させる政治をつくっていこうというのが、アドボカシーです。国政だけでなく地域も大切で、たとえば風力や地熱を利用した発電など、地元の人たちが提言することが地域の政治にも影響を及ぼします。私はいま、いろいろな場所でフリートークのダイアログカフェを開き、普通の市民の人たちに提言してもらう場をつくっています。

——最後に塾生へのメッセージをお願いします。

(マエキタ)
私は福澤先生の「独立自尊」という言葉が大好きです。「天は人の上に…」もそうですが、ほんとうに先生は素晴らしいコピーライターです。その先生は常に世界を見て、日本を見て、いろいろな提言をなさったのだと思います。いまの塾生の皆さんに期待するのは、国益ばかりを考えるのではなく、世界に目を向けて、もっと大きく世界益の視点で、自分は、日本人は何ができるのか考えてほしいということです。それが世界から戦争や貧困をなくすための第一歩だと思います。

——本日はありがとうございました。
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