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[塾員山脈] 犬飼 基昭君(財団法人 日本サッカー協会会長)

2010/06/07 (「塾」2010年SPRING(No.266)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。

いよいよサッカーワールドカップ 日本代表の闘う準備は整っています
犬飼 基昭君
【いぬかい もとあき】1942(昭和17)年埼玉県生まれ。1965(昭和40)年商学部卒業。体育会ソッカー部では1年からレギュラーになり、その後主将。在学中に全日本大学選手権優勝2回。65年に三菱重工業(株)に入社、サッカー部でプレーし68年に現役引退。70年に三菱自動車工業(株)に転籍し98年からは欧州三菱自動車工業取締役社長を務める。02年に浦和レッドダイヤモンズ取締役社長に就任。06年よりJリーグ専務理事、08年(財)日本サッカー協会会長に就任した。

新キャプテンの決断に70名のソッカー部員は……

——6月には南アフリカでサッカーワールドカップが開催されます。「ベスト4を目指す」と宣言した岡田武史監督のもと、日本代表の活躍に期待が集まっています。犬飼基昭君は代表チームを送り出す日本サッカー協会のトップです。キックオフが目前に近づいてきた今回のワールドカップへの思いをお聞かせください。

(犬飼)
岡田監督が信念を持って掲げたベスト4入りという目標は、決して不可能なことではありません。日本代表のレベルは確実に向上しており、戦い方次第では上位に食い込むことのできる位置にいます。私たち協会は岡田監督と代表チームが納得いくまで準備ができるように、徹底的にサポートするのみです。私自身、大いに手応えを感じています。

——犬飼さんは埼玉県浦和市(現さいたま市)のご出身。高校サッカーの名門、浦和高校で大活躍をして義塾に入学されました。義塾を選ばれたのはどうしてですか。

(犬飼)
いちばん大きな理由は、義塾には浦和高校の先輩が多かったことです。入学当時のレギュラー11名のうち6名が浦和の先輩でした。もう一つは義塾の明るくスマートなスクールカラーが好きだったことです。

たとえば、高校時代の1960年に今も語り継がれている野球の「早慶六連戦」がありました。東京六大学のリーグ戦で、正規の早慶戦で決着がつかず再試合、さらに再々試合まで行われたまれにみる早慶戦でした。最後は早稲田が勝ちましたが、日本中が熱狂した伝説の早慶対決でした。これを見ていて、早稲田は主力投手に5試合完投させるなど悲壮感が漂っているのに比べ、義塾の選手たちは真剣ななかにもスポーツを楽しんでいる雰囲気が伝わってきたのです。この自由でスポーツを楽しむことを知っている感じも義塾に進んだ理由です。

——入学時は三田新聞で大きく取り上げられるほど注目され、1年生でも即レギュラーでした。

(犬飼)
デカデカと新聞に出たのには本人がいちばん驚きました(笑)。入学直後に、高校時代の活躍が評価され、ユース日本代表としてバンコクに遠征しました。その前に塾長室に呼ばれ高村象平塾長から励ましの言葉とお餞別をいただきました。私自身その後塾長室に入ったことはありませんが、塾長室でお餞別をいただいた学生はあんまりいないと思いますよ。

そのバンコクの大会を終えてソッカー部の練習に初参加したのは、もう5月中旬になっていました。6月に行われる早慶定期戦に向けて練習に熱が入っているところに、遅れてきた1年の私がいきなりレギュラーに選ばれたので、かなり風当たりが強かった(笑)。

シゴキという言葉も今はあまり聞かなくなりましたが、その頃の体育会はシゴキがあった最後の時代。私はレギュラーとしての練習を終えると1年生としての練習があり、さらにボールの手入れと空気入れ、おまけに先輩のマッサージもさせられました。ただこれは言っておきたいのですが、きつかったけれど先輩はしっかりと私を含めて後輩のことを冷静に見てくれていて、サッカーでも生活面でもきちんと正しい指導をしてくれたことです。

犬飼 基昭君
——厳しい練習は、大物新人の犬飼さんが天狗にならないための愛のムチだったかもしれませんね。

(犬飼)
忙しくて天狗になる暇なんかまったくなかったですからね(笑)。早慶定期戦は引き分けたものの、1月の全国大学選手権でソッカー部は10年ぶりに優勝しました。先輩たちがどっと駆け付けてくれて、寝かせてくれずに朝まで祝ってくれました。

——3年でキャプテンになり、もう一度選手権で優勝しています。

(犬飼)
優勝したのですが、1回戦が危なかった。楽勝のはずだった相手に引き分けてしまい、当時はPK戦はありませんでしたから、くじ引き抽選になったのです。コイントスで負け、先に相手が封筒を選びました。残された封筒を開くとそこに「次回に進む」の文字、心底ホッとしたものです。そして釜本選手のいる早稲田に辛勝し、決勝では杉山選手を擁する明治を3対2で下して優勝しました。優勝するには実力だけでなく、運も大切なのです。

実はキャプテンになったときに、私は大きな決断をしました。それまでのソッカー部は練習を休まずに毎回出てきた者を優先的に試合に出す傾向があったのですが、私はそれを完全に実力主義に変えたのです。練習はもちろん大切ですが、その出席率で決めるのはナンセンスに思えましたし、たとえ集合練習に出なくてもひとりで努力している者もいると考えたのです。そして、もしこの考えに不満な者は辞めてもいい、とまで全部員に伝えたのです。

信念を持ってそう宣言したものの、実は内心不安でたまりません。70名以上の部員がいたのですが、もし退部者が続出し試合に絶対必要な11名以下になってしまったら廃部を覚悟しなければならない。その夜もそして翌朝も食事が一口ものどを通りませんでした。ドキドキしながら日吉グラウンドに行くと、一人も欠けることなく部員全員が揃っていました。思えばこれが選手権優勝への第一歩だったのかもしれません。

——キャプテンは勝利を目指して部員をまとめ、ときには反発も覚悟して大きな決断をしなければならない。責任は重いし、なかなか大変な役割ですね。

(犬飼)
キャプテンを引き継ぐときに、下級生と仲良くしてはいけないといわれました。キャプテンは威厳を持って接することが大切というわけです。一方で、副キャプテンが下級生の声に耳を傾ける役割を担っていました。

また体育会では、年2回貸切バスで山中湖へ行き、泊まり込みでキャプテン会議を開いていました。義塾の体育会としてあるべき姿を求めて、いろいろなことを議論するのですが、運動部間の横のつながりを強化し、協力し合ううえで大きな意味がありました。そのとき当時の体育会主事の照井伊豆さんが「キャプテンは文武両道に秀でるべし」として、「部員の模範であるべきキャプテンの学業成績が、Aの数がひとけたでどうする」と言われたことがあり、私はなんとか10個以上あったので胸をなでおろしたものでした(笑)。

そのキャプテン会議に、小泉信三元塾長がいらして話をして下さったことがありました。戦前には庭球部部長を務め、戦争中には野球部の出陣学徒壮行早慶戦の実現に尽力するなど、体育会発展の功労者である小泉元塾長を迎え、キャプテン全員が感動して姿勢を正してお話に聞き入ったものです。

——小泉元塾長は66年にお亡くなりになりましたから、忘れられない貴重な経験だと思います。ところで運動部以外の義塾での思い出はどうですか?

(犬飼)
将来は経営者になりたいと思い、高校の先生の勧めもあって商学部に入りました。義塾では経営学、原価計算、マーケティングなど、将来を見据えて科目を選びました。ただし第二外国語だったフランス語はバンコク遠征でスタートが遅れたために、最初からもうダメ(笑)。受け持ちだった原田教授が、大のサッカーファンだったためになんとか苦労して単位をもらうことができました。
 
4年生のときに、学費値上げ反対闘争があり、学生食堂で騒いでいる学生に、「物価が高騰しているのだから私立が学費を上げるのはしようがないじゃないか」と言うと、ぐるりとまわりを取り囲まれて散々非難されましたが、間違ったことを言っていないのですから、一歩も引かずに主張し続けました。

物怖じせず主張することはビジネスの世界でなおさら大切

ワールドカップ日本代表ユニフォーム
ワールドカップ日本代表ユニフォーム
——卒業後は三菱サッカーチームで活躍し、数年後には三菱重工、三菱自動車でビジネスに専念。タイで工場を立ち上げたり、欧州三菱自動車取締役社長を務めたり、スポーツマンからビジネスマンに見事に転身しました。さらに浦和レッズの社長になってからは強いだけでなく、プロサッカーをビジネスとして成功させました。そして、現在は日本サッカー協会会長という重職にあって、Jリーグ、日本代表チームのみならず、サッカー界全体を引っ張る立場です。ビジネスの世界で義塾時代に身につけたことが役立っていますか?

(犬飼)
もちろんです。自由な反骨精神とでもいえばいいのでしょうか、物怖じせず、自分で考え、自分の意見をしっかりと主張することを歓迎する福澤先生以来の義塾の伝統によって身につけたものは、はかり知れません。会社などの組織で、何か新しいことをしようと思うと、7割の人は反対します。でも7割ならやるべきです。もちろん相手の話もきちんと聞き、自分の主張を論理的に伝えれば、必ず道は開けます。この根本の部分を義塾で、そしてソッカー部で学んだと思います。

——2018年、2022年のワールドカップ招致に積極的に取り組んでいるのも、その精神のあらわれですね。

(犬飼)
そうですね。2002年の日韓大会は日本では半分だけの開催でしたが、それでも日本人はスポーツ文化の魅力をある程度理解したと思います。しかしもっともっとスポーツの素晴らしさを知るには、日本単独開催が必要なのです。ぜひ皆さんも盛り上げてください。

——招致運動に弾みをつけるためにも、今年のワールドカップで好成績をあげたいですね。

(犬飼)
そうです。そのための準備は十分にしました。代表チームの初戦は6月14日のカメルーン戦です。期待して、応援してください。
ワールドカップ日本代表ユニフォーム
ワールドカップ日本代表ユニフォーム
——最後に塾生へのメッセージをお願いします。

(犬飼)
学んだことの価値やかけがえのない人脈など、義塾の良さは卒業してからだんだんとわかるものです。学生のいまは、友達をたくさん作ることを心掛けてください。クラスでもクラブでも、何かの機会でも、出会った友達と共に語り活動して友情をはぐくむことが、将来の財産になります。

——ありがとうございました。サムライブルーのユニフォームの日本代表が、活躍することを祈っています。
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