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[塾員山脈] 山口 絵理子君(株式会社マザーハウス代表取締役)

2010/03/15 (「塾」2010年WINTER(No.265)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。

援助やボランティアではなく途上国に世界に通用する産業を育てたい
山口 絵理子君
【やまぐち えりこ】平成16年総合政策学部卒業。在学中に政治家秘書、開発コンサルタント企業のリサーチャー、米州開発銀行の期間限定スタッフなどを経験し、卒業後にバングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。 途上国の産業を発展させるために、バングラデシュでバッグの製造工場を立ち上げ、製造販売企業として株式会社マザーハウスを起業。著書の『裸でも生きる~25歳女性起業家の号泣戦記』『裸でも生きる2~KeepWalking 私は歩き続ける』(ともに講談社)は、読者の共感を呼んでいる。

SFCの竹中ゼミで開発経済学に出会う

マザーハウス
——世界最貧の開発途上国のひとつといわれるバングラデシュで、一人で工場を立ち上げ、自らデザインしたバッグを製造し、起業した「マザーハウス」の店舗や百貨店で販売。若い起業家、デザイナーとして注目を浴びています。途上国での活動のきっかけはSFCで開発経済学を学んだことにあるそうですね。
(山口)
竹中平蔵教授のゼミで、途上国の経済成長理論を知ったことが、今につながっています。でも、それまでにはイジメられっ子時代、グレた非行少女期、工業高校での柔道熱中期など、いろいろありました(笑)。AO入試でSFCに入学してからも、英語はできないし、基礎学力も社会的な知識も足りないとコンプレックスを抱き続けていました。授業の予習復習は人の何倍もしなくては追いつけないうえに、どう生きればいいのか、どんな仕事が人のためになるのかがわからず、ずっと悩んでいました。遅くまで学校に残って、哲学や社会学の本を読みふけり、自分自身のことや、将来について日々、考えていました。

イジメにあったり非行に走った体験から、大切なのは教育改革であり、そのためには政治家にならなくては、と思い込んでいて、政治家秘書も経験しました。でも、教育のことを考えれば考えるほど、教育機会すら満足に与えられていない途上国が気になってきたのです。それにSFCには教育への思いも深い優秀な政治家志向の人がたくさんいるし、国内のことは彼らに任せようなんて思っていたところに、竹中ゼミで、開発経済学に出会ったのです。

——竹中ゼミは、金融や財政を学ぶ学生に人気が高いゼミですね。

(山口)
難関ですから、入れるとは思っていなかったのですが、なぜか受け入れてもらいました。その時の面接官だったのが、ゼミのリーダー的存在だった先輩で、現在は仕事上のパートナーでもある副社長の山崎大祐さん(平成15年総合政策学部卒)です。

ゼミに集まっているのは、日銀や外資系の証券や投資銀行を目指す、すごく優秀な人たちばかり。あまりに高度な内容に私はろくに意見も言えず苦痛さえ感じていました。ゼミ生は、順番にプレゼンテーションをするのですが、当日は銀行、証券など企業の第一線で仕事をしているOB・OGも参加して、実にシビアです。開発経済学にのめり込んでいた私は、がちがちに緊張しながらも「発展途上国における経済格差と経済成長の関係」というテーマでプレゼンテーションをしました。そして思いがけず竹中先生から、「すごくよかったですよ。がんばったね」の一言をもらい、大きな勇気になりました。
バッグ
貧しい途上国への支援というと、資金援助やNGOのボランティア活動というイメージが強いのですが、私の考えは違います。一人一人まで届くかどうかあやふやなお金の援助や、限られた人々しか救えないボランティアよりも、その国の経済構造を変えることこそが一番大切だと考えています。つまり世界に通用する産業を育てることです。ですから、私たちの会社マザーハウスで販売しているバッグは、「貧しい国のために」とか「かわいそうだから買ってあげましょう」という同情で買い求められるのではなく、「かわいい」「素敵」と求められることを目指しています。規模は小さいながら、着実に実現していると信じています。
そんな考え方のベースになっているのが、竹中ゼミで学んだ開発経済学なのです。

同情でなく品質で選ばれる素敵なバッグを作りたい

——国際的な援助機関で仕事をし、バッグ工場を立ち上げる前に、バングラデシュでも大学院で2年間学んだそうですね。

(山口)
4年生の時に、ワシントンにある、ラテンアメリカ向けに援助や融資をする米州開発銀行で夏期雇用のスタッフになりました。国際機関での仕事は憧れでしたし、たとえ短期でも途上国の役に立ちたいと意気込んでいました。しかし、スタッフには現地に行ったこともない人が多く、数字を操っているだけみたいな印象で、対象である途上国にあまり興味がないのです。きっと熱意のある人もいるのでしょうが、残念ながら私は出会えませんでした。
山口 絵理子君
これでいいのだろうかと悩んだ末、現場を見るしかないと決心して、最貧国のひとつであるバングラデシュ行きのエアチケットを買いました。初めて見るスラムに驚き、治安の悪さに恐怖を感じる一方、のんびりした田舎の風景に癒されたりしながら、自分に何ができるのだろうと考えましたが、短期滞在では、本質は見えません。そこで2年間有効の教育ビザを取るために、大学院に入ることにしたのです。学び方そのものは、本の丸暗記など得るものは少なかったのですが、2年間、狭いアパートで一人暮らしをしながら、毎晩毎晩悩み考えました。そして、産業を活性化するしかないと、特産品のジュート(麻の一種)を使って、現地の人たちの手で世界に通用する高品質のバッグを作る工場を立ち上げたのです。

裏切られたり騙されたりの連続で、何回もめげそうになりましたが、とにかく160個のバッグとともに帰国。さて、どうやって売ればいいのかと、まずは手始めに会社を作ることにしました。必死でアルバイトをして資本金を貯め、ゼミの先輩の山崎さんにも出資してもらい、マザーハウスを設立しました。マザーは、尊敬するマザー・テレサからつけたものです。

山崎さんは、当時ゴールドマン・サックスでエコノミストとして活躍していました。卒業後も、いろいろと相談に乗ってくれ、彼はマクロの視点で、私はミクロの視点で、経済について考えていました。バングラデシュで大学院に行くことも、バッグを作ることも、周囲はみんな反対でしたが、彼だけはいつも「いいんじゃないか」と応援してくれていました。彼は、会社を共同で設立した後も1年間ゴールドマン・サックスで仕事をしていましたから、マザーハウスのことを話し合うのはいつも深夜のファミレス。山崎さんは、深い知識と広い視野、そして熱い心を持っていて、途上国の発展は産業構造を変えることが大切という考えを共有できる、素晴らしい共同経営者です。
店内の様子
——マザーハウスは、援助でもボランティアでもなく、お二人が始めた、途上国経済を構造的に強くするための新しいビジネスモデルというわけですね。現在は2カ国目としてネパールのダッカ織を使った、新しいバッグも生産しています。

(山口)
私たちが始めてから、いまバングラデシュではたくさんの工場がジュートバッグを作りはじめましたし、ユニクロの製品を作っているところもあります。苦労して播いた種が、伝播して育ちつつあることを感じて、すごくうれしいですね。ダッカ織バッグはネパールで生産したかったのですが、政情不安やいろいろな課題があって、生地はネパールから仕入れ、製造はインドで行っています(※)。これも途上国の悲しい現状の一端です。しかし、これからもひとつでも多くの途上国に種を播き続けようと思っています。

店内の様子
——悩み苦しんでも、最後は常識破りの突破力で、思いを結実させる山口さんの行動力には圧倒されます。先輩として塾生にメッセージをお願いします。

(山口)
不景気のせいもあり、氾濫する情報に惑わされて辛いと思います。しかし、自分の生き方は、そう簡単に見つかるものではありません。だから、とことん悩むのも一つの方法。私はSFCに在籍している頃もバングラデシュの大学院時代も、ずっと悩みながら、自分を見つめ、その自分自身を社会とつなぐ方法を探していました。その結論がマザーハウスなのです。トラブルをはね返しながら、少しずつ進んでこられたのも、悩みに悩んで自分で決めたことだから、という思いがあるからです。眠られぬ夜があってもいい。とことん悩んだことは、いつかきっと力になります。それと小さなことでも成功体験を素直に喜ぶことも大事です。竹中教授の「よかったよ」の一言を喜んだことが、今の私につながっています。

※現在はインドからバングラデシュに拠点を移し製造されている(2010/03/15 Webへの転載に際し追記)
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