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[塾員山脈] 土屋 聡君(世界経済フォーラム 日本統括)

2009/05/25 (「塾」2009年SPRING(No.262)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。

人と人が世界をひとつにつなぎ、社会を変えてゆく
【つちや あきら】総合政策学部卒業、政策・メディア研究科修士課程修了。政策分析ネットワーク事務局、参議院議員政策スタッフ、SFC研究所上席研究員(訪問)などを歴任し、渡米。ジョージタウン大学公共政策研究所、オックスフォード大学トリニティ・カレッジ、ハーバード大学ケネディ行政大学院などで公共政策コミュニティ形成のあり方や情報通信政策について研究。その後、OECD(パリ)を経て、世界経済フォーラム本部(ジュネーブ)において日本人初の正規職員として採用され、現在に至る。

世界の問題を解決するために

——まず、世界経済フォーラムについて教えてください。

(土屋)
世界経済フォーラム(以下、フォーラム)は世界的な企業約1000社で構成される国際機関で、ジュネーブに本部を置く非営利組織です。スイスの保養地ダボスで開催する年次総会は「ダボス会議」の名称で知られ、経営者のほかに各国の大統領や首相などの政治指導者、大学・シンクタンクなどの知識人、NPO関係者、ジャーナリストなどが集まり、世界が抱えている問題を解決するためにいろいろなことが話し合われます。今年のダボス会議には麻生首相も参加されました。
ダボス会議の特徴の一つは、公開されるオフィシャルな会議のほかに、非公開のセッションが行われることです。非公開セッションでは、政治家も企業経営者も胸襟を開いて自由に意見を交換するため、問題を発見したり、共有したり、また解決の糸口を見つけたりなど、きわめて有益なコミュニケーションが行われています。
非公開なのでマスメディアでは報道されませんが、ここで話し合われたことがきっかけとなり、経済問題や環境問題、紛争などが解決に向けて動き出すこともよくあります。麻生首相も環境問題関連のセッションでアル・ゴア元米国副大統領や、トニー・ブレア前英国首相などと打ち解けて話をされました。
ただこの年次総会が有名なためか、フォーラムのことをダボス会議のためだけの会議事務局と誤解している方もいます。しかし、年次総会のほかに、年間を通して世界各地でさまざまな活動をしており、グローバルな課題や各地域・産業が抱える課題に取り組んでいます。

——現在、土屋さんはフォーラムの日本統括として、どんな仕事をしているのですか。

(土屋)
ひとことで言うと、いろいろな問題の解決のために、日本の人材、政府・企業等の組織、技術、知識などを世界に紹介して役立てるということでしょうか。
日本のGDPは今も世界第2位。かつてはその経済力が国際社会で評価され、「日本人の意見を聞きたい」といわれたものですが、近頃はアジアといえば中国とインドが注目されていて日本への関心は低下気味、日本からの声が届きにくい状況になっています。しかし、例えば日本の省エネ技術は世界的に見ても最先端ですし、これまでに蓄積してきた経験や技術などで、日本は世界に貢献できるものをたくさん持っています。
そこで私の仕事の一つは、フォーラムの活動にその優れた技術や知恵をたくさん送り込んで、世界とつなげることです。例えば今回のダボス会議には、総理や環境大臣・経済産業大臣のほかにも、財界の環境関係者、iモードの生みの親で元NTTドコモの夏野剛氏、日本のインターネットの父として知られるSFCの村井純教授などにも参加していただきました。また、昨年、福田前首相がダボス会議に出席された時には、トニー・ブレア前英国首相、ゼーリック世界銀行総裁、ビル・ゲイツマイクロソフト会長、国際的な慈善活動家として知られるロックグループU2のボノ氏などと、アフリカ支援に関するセッションをセッティングしました。国際機関の職員ですからあくまで中立な立場で行動していますが、日本担当として、日本をアピールする仕事には大きなやりがいを感じます。
さらにフォーラムのジャパンデスクの仕事として、日本に関するさまざまな情報提供を的確に行うことも私の大切な役割です。ですから、何より大切なのが情報収集と人とのネットワークづくりで、スイスと日本を行ったり来たりしています。

人と人をつなげることの大切さを知った大学時代

——いつ頃から国際的な仕事に興味を持ったのですか。

(土屋)
高校生の時に、1年間オーストラリアのキャンベラに留学したことがありました。留学先の高校は各国の大使館が集まる地域にあったため、60カ国以上の外交官の子どもたちが在籍していました。
その学校では、アメリカやイギリス、オーストラリアの英語だけでなく、アジアやラテンアメリカなど、いろいろな地域で話されている英語が入り乱れていて、いわゆるイギリス英語や米語だけではコミュニケーションに限界を感じました。ここで地球の広さ、多彩さを実感したことが、国際的な仕事への興味を持った一つのきっかけだと思います。
一方、私の父はNPOでアジアの国々の学校や道路をつくったり、井戸を掘ったりする活動をしていました。その影響で中学時代には、生徒会長としてアルミ缶集めをして、その収益を寄付するボランティア活動もしました。またAO入試でSFCへの入学が決まった後、父とカンボジアへ行き、短い期間ですが河川を引くボランティア活動を手伝ったこともあります。ところが、その直後に実家のある兵庫県で震災に遇い、近所の小学校の体育館で避難生活をしたのです。短期間のうちに、援助をする側からされる側に変わってしまったわけです。この経験も、将来社会貢献ができる仕事に就きたいという気持ちが強くなった理由の一つだと思います。

——義塾の総合政策学部を選んだ理由は何ですか。

(土屋)
これからの社会で問題を解決する力を身に付けるには、既存の学問体系ではなく、学際的・総合的に学問を学ぶことが重要である……と、総合政策学部が掲げる理念に魅力を感じたからです。
入学してみると、予想どおり多彩な教授陣のユニークな授業がたくさんあり充実していました。しかしその一方で、「学際的というと聞こえはいいのだけれど、真にそれを生かして学ぶにはどうすればいいのか、総合政策って何なのだろうか」という、新しい学部の学生ゆえに悩むことも出てきました。そこで、その頃同じような学部を立ち上げていた他大学で同じ悩みを持つ学生たちと、政策・情報学部系学生の交流会を立ち上げたのです。
参加したのは慶大のほか、中央大、立命館大、関西学院大、関西大の学生たち。交流を深める中で見えてきたことは、象牙の塔から飛び出して社会とかかわりを持ちながら行動する学問であるべきだ、ということです。また、4年間にわたり毎年2回、200~300人が参加する交流会を開催したことで、多様な人々を集めて議論することの大切さ・面白さにも目覚めました。

——研究会ではどのようなことを学んだのですか?

(土屋)
「アメリカと日米関係を包括的に見る」ということで、草野厚教授の研究会で政治を、竹中平蔵教授の研究会で経済を、田村次朗教授と阿川尚之教授の研究会で法律等を学びました。ここで身に付けた知識と方法論は、後にアメリカの大学院で学ぶときにも、今の仕事でいろいろな人と会って話をするにも、私のベースになっています。
大学院に進んでからは、竹中教授が組織された政策分析ネットワークの事務局としても活動しました。これは政策研究者、実務家、官僚、シンクタンクの人たちが業界横断的に集まり、問題解決のためのプラットフォームをつくるというもので、ここでも人と人をつなぐということの重要さを知るいい勉強になりました。
さらに通産省を辞めてSFCで教鞭をとっていた鈴木寛助教授(当時)が参議院議員になる時に、政策形成を実際に垣間見るため、一翼を担う国会議員の政策スタッフとしての活動も体験しました。
大学院時代は、永田町、霞が関、シンクタンクの集まる虎ノ門界隈などとSFCを行き来していろいろな人と会い、数々の貴重な経験を得ました。

世界を動かす潮流を知ってほしい

——その後、アメリカで研究を続け、フォーラムへとつながった経緯を教えてください。

(土屋)
大学でアメリカの政策研究に取り組んだこともあり、本物のワシントンD.Cはどうなっているのか、知りたかったのです。フルブライト奨学金を受けてワシントンにあるジョージタウン大学公共政策研究所で公共政策修士を取得し、その後もハーバード大学ケネディ行政大学院などで研究を続けました。
ただ、ケネディスクール在籍中に奨学金は底をついてしまいましたし、外国人としての労働時間に制限があり、金銭的な壁にぶつかってしまいました。そこで、いったん外に出てみようと思ってケネディスクールの支援でパリのOECDに行きながら、国際機関の正規採用試験を受け、国際諸機関やフォーラムに受かったのです。どこに行くか迷いましたが、竹中教授や田村教授からダボス会議の話をお聞きしていたこともあり、これまで取り組んできた学際的交流や業界間交流をさらに一歩進め、世界規模で産官学、NPO等を横断した各界のリーダー達のプラットフォームである世界経済フォーラムを選択しました。
また創始者であるクラウス・シュワブ会長がハーバードの行政大学院で学んだことがフォーラムを始める一つのきっかけだったと聞いたことがあり、興味がわきました。

——自己分析すると、フォーラムに採用された理由は何だったのでしょう。

(土屋)
政策を学んでいただけでなく、学部時代に学生交流会をつくったのに始まる、人と人をつなぐことの重要さを知っていることと、実際にそのようなプラットフォームづくりに情熱を燃やして取り組んできたことが評価されたのではないでしょうか。

——その経験はまさに、地球全体の課題を人や組織が知恵を出しあって解決するフォーラムでの活動にすぐに役立ちますからね。さて、今後のことについて教えてください。

(土屋)
今の仕事が面白いし、やりがいも感じているので、当分続けたいと思っています。日本人のスタッフも徐々に増えてきましたし、日本が世界に貢献できることを、フォーラムを通じてどんどんアピールしていきたいですね。
たぶん誰でも、小、中、高校、そして大学と、通う学校の校区が広がるにつれて自分の世界が広がった感覚を持っていると思います。私の場合は、兵庫県西宮市の高校から義塾に進学して世界が大きく広がったし、アメリカで学び、そしてヨーロッパの国際機関で仕事をして、今は視野が地球全体に広がったことを実感しています。
そして昔、西宮が“世界”だった高校までの自分が大学に入り、西宮出身ですと言って初めて日本全体の視点で外から西宮を見たのと同じく、今は地球的な視点で、外から日本を見ているので、日本はたまたま自分の出身地であったという感覚を持つようになってきました。しかし、やはり後ろ髪を引かれるというか、どんな国際的な仕事をするとしても、出身地としての日本への強い思いは残っており、その思いから、日本と世界の両方に貢献できるのではないかと思っています。
ですから、将来の自分がどうしているかは、まだわかりませんが、国際貢献や社会貢献に関わる仕事は続けていきたいと思っています。

——最後に塾生へのメッセージをお願いします。

(土屋)
グローバル化は、する/しないの問題ではなく現実として起こっている事象です。学生時代から視野を広く持ち、能動的に活動して、自分がいま学んでいることが世界の中でどのような位置付けなのかを確かめるアンテナを立てていてほしいと思います。可能なら是非とも海外に出てみることを奨めます。そしてもっと多くの皆さんに、世界がどんな潮流で動いているのかを、肌で確かめてもらいたいです。
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