メインカラムの始まり
[塾員山脈] 星出彰彦君(JAXA宇宙飛行士)
2009/02/09 (「塾」2009年WINTER(No.261)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。
人類は捨てたもんじゃないと宇宙で改めて感じました
人類は捨てたもんじゃないと宇宙で改めて感じました
【ほしで あきひこ】1992年理工学部機械工学科卒業後、宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構)に就職。1997年UNIVERSITY OF HOUSTON CULLEN COLLEGE OF
ENGINEERING 航空宇宙工学修士課程修了。1999年国際宇宙ステーション(ISS)に搭乗する宇宙飛行士の候補者に選ばれる。2008年6月スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、打ち上げ2便目にあたるSTS-124 /1J ミッションに参加した。
地球の想像以上の美しさ 力強い存在感
「きぼう」日本実験棟イメージCG(提供 JAXA)
——昨年6月、14日間の宇宙でのミッションを無事成功されました。
(星出)
日本、アメリカ、ロシア、カナダ、ヨーロッパ各国の計15カ国の参加のもと地上約400km上空に建設中の国際宇宙ステーション(ISS)に、「きぼう」日本実験棟の船内実験室を取り付け、起動するミッションでした。
スペースシャトル「ディスカバリー号」の乗組員7名とISSに滞在中の3名の計10名が協力して作業にあたり、無事に任務を終了しました。
私は、今回のミッションである「きぼう」日本実験棟の船内実験室に関わる作業全般等を担当しました。船内実験室は、大型バス並みのサイズの円筒形で地上での重量は約15トン、これをまずISSのロボットアームを操作してスペースシャトルの貨物室から取り出し、ISSに取り付けました。繰り返し訓練していた操作でしたが、操作卓に窓はなくいろんな角度からのカメラの画像をモニターで見ながらの作業でした。作業のあと、仲間のひとりが実際にスペースシャトルの窓から外を見て、「ほんとについてるよ」と声をかけてくれるまでは実感がわきませんでした(笑)。3月に土井隆雄飛行士が運んだ船内保管室とあわせて、これで「きぼう」で船内実験ができる準備が整い、8月からは実験を開始しました。
——宇宙へ行くと人生観や世界観が変わると聞きますが、宇宙から見た地球に、どんなことを感じましたか?
(星出)
宇宙飛行初期の人々に比べると、たぶんインパクトは小さかったのではないでしょうか。今は飛行前に映像や先輩飛行士から聞いた話でたくさんの情報が入ってきますし、スケジュールもタイトでのんびり外を眺める暇がないためかもしれません。それでも、予想をはるかに上回る地球の美しさ、力強い存在感には感動しました。地形は地図を見るようでしたが、ただひとつ、どこにも国境線がないということが、地図とは決定的に異なります。文字通りひとつの地球ですね。また、漆黒の闇に浮かぶ、銀色に輝く、ラグビーグラウンドくらいの大きさの宇宙ステーションを、スペースシャトルから自らの眼で初めて見た時は、鳥肌が立ちました。文化、技術、政治など多くの違いを乗り越え、15カ国が協力して宇宙ステーションを建設・運用している——それを間近で見て実感したとき、人類は捨てたもんじゃないなと、人類の一員として誇りに思いました。
(星出)
日本、アメリカ、ロシア、カナダ、ヨーロッパ各国の計15カ国の参加のもと地上約400km上空に建設中の国際宇宙ステーション(ISS)に、「きぼう」日本実験棟の船内実験室を取り付け、起動するミッションでした。
スペースシャトル「ディスカバリー号」の乗組員7名とISSに滞在中の3名の計10名が協力して作業にあたり、無事に任務を終了しました。
私は、今回のミッションである「きぼう」日本実験棟の船内実験室に関わる作業全般等を担当しました。船内実験室は、大型バス並みのサイズの円筒形で地上での重量は約15トン、これをまずISSのロボットアームを操作してスペースシャトルの貨物室から取り出し、ISSに取り付けました。繰り返し訓練していた操作でしたが、操作卓に窓はなくいろんな角度からのカメラの画像をモニターで見ながらの作業でした。作業のあと、仲間のひとりが実際にスペースシャトルの窓から外を見て、「ほんとについてるよ」と声をかけてくれるまでは実感がわきませんでした(笑)。3月に土井隆雄飛行士が運んだ船内保管室とあわせて、これで「きぼう」で船内実験ができる準備が整い、8月からは実験を開始しました。
——宇宙へ行くと人生観や世界観が変わると聞きますが、宇宙から見た地球に、どんなことを感じましたか?
(星出)
宇宙飛行初期の人々に比べると、たぶんインパクトは小さかったのではないでしょうか。今は飛行前に映像や先輩飛行士から聞いた話でたくさんの情報が入ってきますし、スケジュールもタイトでのんびり外を眺める暇がないためかもしれません。それでも、予想をはるかに上回る地球の美しさ、力強い存在感には感動しました。地形は地図を見るようでしたが、ただひとつ、どこにも国境線がないということが、地図とは決定的に異なります。文字通りひとつの地球ですね。また、漆黒の闇に浮かぶ、銀色に輝く、ラグビーグラウンドくらいの大きさの宇宙ステーションを、スペースシャトルから自らの眼で初めて見た時は、鳥肌が立ちました。文化、技術、政治など多くの違いを乗り越え、15カ国が協力して宇宙ステーションを建設・運用している——それを間近で見て実感したとき、人類は捨てたもんじゃないなと、人類の一員として誇りに思いました。
やはり夢は宇宙に戻ってくる
——宇宙飛行士になることは、幼い頃からの夢だったとか。
(星出)
父の仕事の関係でアメリカに住んでいた4歳の頃、NASAのケネディ宇宙センターでロケットに感激し、スミソニアン博物館で本物の宇宙服を見たことで、宇宙への憧れの種が蒔かれたようです。「スタートレック」や「宇宙戦艦ヤマト」などの影響もありました。そして高校生の頃、ニュースで毛利衛さんはじめ日本で最初の宇宙飛行士が選ばれたあと、しばらくして新聞で2期生募集関連の記事を読みました。その時初めて、職業としての宇宙飛行士をリアルに実感しました。
——願書を受け付けてもらえなかった初回を含めて、挑戦3回目での合格でした。
(星出)
理工学部4年の時に、大学卒業資格と3年以上の実務経験という応募資格を満たしていないのにチャレンジ。窓口で「なんとか受けさせてくれ」と談判したもののあえなく断念。まあ、無理ですよね(笑)。理工学部の恩師・菱田公一助教授(現・教授)から「研究室に残れ」とのあたたかいお言葉をいただきながら、卒業後は宇宙開発事業団(NASDA、現宇宙航空研究開発機構[JAXA])に就職。もし飛行士になれなくても宇宙に関わる仕事をしたい、そのためにはチャンスのあるときにチャレンジしたいと思ったのです。宇宙飛行士の試験には、その後2度挑戦し、1999年にようやく合格しました。
——その初志貫徹のエネルギー源は何でしょうか?
(星出)
4歳からの夢とはいえ、子供の頃は警察官や消防士もいいなと思ったこともありました。でも、やっぱり夢は宇宙に戻ってくる。頭のどこかに「宇宙へ」という思いが常に居座っていたのです。その思いのもとを探ると、未知なるものを見たい、知りたい、肌で感じたいという、好奇心が強いのだろうと思います。
(星出)
父の仕事の関係でアメリカに住んでいた4歳の頃、NASAのケネディ宇宙センターでロケットに感激し、スミソニアン博物館で本物の宇宙服を見たことで、宇宙への憧れの種が蒔かれたようです。「スタートレック」や「宇宙戦艦ヤマト」などの影響もありました。そして高校生の頃、ニュースで毛利衛さんはじめ日本で最初の宇宙飛行士が選ばれたあと、しばらくして新聞で2期生募集関連の記事を読みました。その時初めて、職業としての宇宙飛行士をリアルに実感しました。
——願書を受け付けてもらえなかった初回を含めて、挑戦3回目での合格でした。
(星出)
理工学部4年の時に、大学卒業資格と3年以上の実務経験という応募資格を満たしていないのにチャレンジ。窓口で「なんとか受けさせてくれ」と談判したもののあえなく断念。まあ、無理ですよね(笑)。理工学部の恩師・菱田公一助教授(現・教授)から「研究室に残れ」とのあたたかいお言葉をいただきながら、卒業後は宇宙開発事業団(NASDA、現宇宙航空研究開発機構[JAXA])に就職。もし飛行士になれなくても宇宙に関わる仕事をしたい、そのためにはチャンスのあるときにチャレンジしたいと思ったのです。宇宙飛行士の試験には、その後2度挑戦し、1999年にようやく合格しました。
——その初志貫徹のエネルギー源は何でしょうか?
(星出)
4歳からの夢とはいえ、子供の頃は警察官や消防士もいいなと思ったこともありました。でも、やっぱり夢は宇宙に戻ってくる。頭のどこかに「宇宙へ」という思いが常に居座っていたのです。その思いのもとを探ると、未知なるものを見たい、知りたい、肌で感じたいという、好奇心が強いのだろうと思います。
大学は夢に向かう道を探し見つける場
(提供 JAXA)
——菱田教授のお話が出ましたが、義塾での学生生活はいかがでしたか?
(星出)
理工学部4年の時には前田昌信教授(現・名誉教授)、菱田公一助教授(現・教授)のもとで、流体のメカニズム解明に取り組んでいました。流体力学を選んだのは、宇宙との接点を考えての選択でもありました。そのときの研究が直接私の仕事に結びつくことはありませんでしたが、「きぼう」日本実験棟では流体力学の実験も行っています。
でも、正直にいえば、理工学部体育会ラグビー部での活動のほうが熱心だったかもしれません(笑)。前田教授には「4年春の大会が終わるまでは猶予をください、それ以後は研究室に泊まり込んで研究します」と頼み込んでいました。その4年の春の関東理工系リーグでは、惜しくも優勝を逃して3位。渋谷に仲間と飲みに繰り出して、悔し涙にくれたことは、今となっては懐かしい思い出です。ちなみに翌年、後輩たちが見事に優勝してくれました。
ラグビーで培ったチームプレーの精神は、宇宙飛行においても、クルーを含む多くの関係者との信頼関係を築くための基礎になっているのかもしれません。
ラグビー部のメンバーをはじめ、義塾の仲間とは先輩、後輩を含めて今も交流があります。また、今回のスペースシャトルの打ち上げ時には、日本時間で早朝にも関わらず多くの方々が大学に集まり、インターネット中継を見ながら応援してくださったと伺いました。本当にありがたいですね。安西祐一郎塾長もいらしてくださったそうですが、安西塾長は理工学部体育会ラグビー部の先輩でもあり、学生時代からずっと励まし、見守っていただいています。
——星出さんは飛行士として宇宙に飛び出しましたが、近い将来には一般の人々が宇宙旅行をできるようになるのでしょうか?
(星出)
アメリカでは民間で宇宙旅行計画も進めていますし、一部の実業家は既に国際宇宙ステーションを訪れています。宇宙ステーションまでなら、一般の人が行ける日も、そんなに遠くはないと思います。多くの人に宇宙から見る地球の美しさを実感してもらいたいものです。宇宙の魅力を宇宙飛行士だけが独り占めするのは、あまりにももったいないですから。
また、アメリカでは2020年頃にはもう一度月に、そしてその後火星に行こうというプロジェクトが進行中です。僕もなんとか月には行きたいと思っていますが、火星は僕の年齢だと、行くのはちょっと無理ですかね。でも、いま学生の皆さんが宇宙飛行士になれば、可能性はありますね。
——最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(星出)
義塾の自由な校風のもとで、多くの仲間、先輩後輩、尊敬する師と出会えたことが、その後の僕の大きな力となりました。大学はいろんなことに関心を持ちつつ、自分を磨き、そしてかけがえのない仲間を作るところではないでしょうか。自分の夢を実現するために、これだけは誰にも負けない、と信じられるものをつかんでほしい。僕は普通の学生時代を過ごしましたけれど、宇宙に行くという夢は常に頭の片隅にありましたし、多くの仲間に支えてもらいました。それが宇宙飛行士試験へのチャレンジ、候補になってから飛ぶまでの9年間を支える力になったのだと信じています。
(星出)
理工学部4年の時には前田昌信教授(現・名誉教授)、菱田公一助教授(現・教授)のもとで、流体のメカニズム解明に取り組んでいました。流体力学を選んだのは、宇宙との接点を考えての選択でもありました。そのときの研究が直接私の仕事に結びつくことはありませんでしたが、「きぼう」日本実験棟では流体力学の実験も行っています。
でも、正直にいえば、理工学部体育会ラグビー部での活動のほうが熱心だったかもしれません(笑)。前田教授には「4年春の大会が終わるまでは猶予をください、それ以後は研究室に泊まり込んで研究します」と頼み込んでいました。その4年の春の関東理工系リーグでは、惜しくも優勝を逃して3位。渋谷に仲間と飲みに繰り出して、悔し涙にくれたことは、今となっては懐かしい思い出です。ちなみに翌年、後輩たちが見事に優勝してくれました。
ラグビーで培ったチームプレーの精神は、宇宙飛行においても、クルーを含む多くの関係者との信頼関係を築くための基礎になっているのかもしれません。
ラグビー部のメンバーをはじめ、義塾の仲間とは先輩、後輩を含めて今も交流があります。また、今回のスペースシャトルの打ち上げ時には、日本時間で早朝にも関わらず多くの方々が大学に集まり、インターネット中継を見ながら応援してくださったと伺いました。本当にありがたいですね。安西祐一郎塾長もいらしてくださったそうですが、安西塾長は理工学部体育会ラグビー部の先輩でもあり、学生時代からずっと励まし、見守っていただいています。
——星出さんは飛行士として宇宙に飛び出しましたが、近い将来には一般の人々が宇宙旅行をできるようになるのでしょうか?
(星出)
アメリカでは民間で宇宙旅行計画も進めていますし、一部の実業家は既に国際宇宙ステーションを訪れています。宇宙ステーションまでなら、一般の人が行ける日も、そんなに遠くはないと思います。多くの人に宇宙から見る地球の美しさを実感してもらいたいものです。宇宙の魅力を宇宙飛行士だけが独り占めするのは、あまりにももったいないですから。
また、アメリカでは2020年頃にはもう一度月に、そしてその後火星に行こうというプロジェクトが進行中です。僕もなんとか月には行きたいと思っていますが、火星は僕の年齢だと、行くのはちょっと無理ですかね。でも、いま学生の皆さんが宇宙飛行士になれば、可能性はありますね。
——最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(星出)
義塾の自由な校風のもとで、多くの仲間、先輩後輩、尊敬する師と出会えたことが、その後の僕の大きな力となりました。大学はいろんなことに関心を持ちつつ、自分を磨き、そしてかけがえのない仲間を作るところではないでしょうか。自分の夢を実現するために、これだけは誰にも負けない、と信じられるものをつかんでほしい。僕は普通の学生時代を過ごしましたけれど、宇宙に行くという夢は常に頭の片隅にありましたし、多くの仲間に支えてもらいました。それが宇宙飛行士試験へのチャレンジ、候補になってから飛ぶまでの9年間を支える力になったのだと信じています。
























