ヘッダーの始まり
グローバルナビゲーションの始まり
パンくず式ナビゲーション
左カラムの始まり
ローカルメニューの始まり
メインカラムの始まり

[塾員山脈] 内野加奈子君(海洋写真家・執筆家)

2008/10/01 (「塾」2008年SUMMER(No.259)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。

自然と人間はつながっているということ、本当はみんなわかっているのです。
内野加奈子君の写真
【うちの かなこ】1999年総合政策学部卒業。大学時代に海の魅力に目覚め、海洋学を深めたいとの思いから、義塾卒業後、2000年ハワイ大学大学院に進学。サンゴの生態について研究するとともに、サブ専攻として写真についても学ぶ。大学院修了後もハワイに拠点を置き、海を中心とした自然の姿を人々に伝えることをライフワークとし、海洋写真家・執筆家として活躍する一方、サンゴの研究も進める。また、ハワイに昔から伝わるカヌーの伝統航海術も学び、2007年夏、伝統航海カヌー「ホクレア号」のクルーとしてミクロネシアから日本への初航海を果たす。その体験をまとめた『ホクレア星が教えてくれる道』(小学館)が6月に出版された。

海に出会ったSFC時代

——なぜ総合政策学部に進学されたのですか。

(内野)
当時SFCは開設6年目。
1つの分野に絞らず、世界を多角的な視点から捉えて学ぶという理念がとても新鮮で、心を魅かれました。私は幼い頃から自然に親しむことが大好きで、絶妙なバランスで成り立つ自然界のしくみにとても興味があったので、環境と開発をテーマにしたゼミに入り、人と自然とがどのように関わっているのかについて学びました。

——海との出会いを教えてください。

(内野)
以前から海は好きでしたが、現在の私につながるきっかけとなったのは、大学2年生のときに海好きの友人に連れられて行った三宅島。初めて足がつかない深い海を経験し、水面を境に上と下にまったく違うシーンが広がっていることに驚きと感動を受けたのです。
海は、すぐそこにある別世界。地球上に生きているすべてのものは、野生の世界の中で生かされているのだということを実感しました。それからは海にすっかりはまってしまい、週末ごとに伊豆へ。海は四季折々に違った顔を見せるので、それこそ若さと好奇心から真冬でも潜っていました。もともと私は将来のビジョンとして、人間と自然はこんなにも深くつながっているんだということを思い出してもらう、つまり“人と自然の橋渡し”をしたいと考えていたため、そんな生活を続けるうちに、海をメインに仕事をしたいと考えるようになったのです。そこで海洋学を学ぶため、ハワイ大学大学院への進学を決意。大学院では、海の中で実際に何が起こっているのかを知りたくて、サンゴの生態系を研究しました。そして自分が自然について知ったことを多くの人々に伝えるツールとして、サブ専攻で写真も勉強しました。

ホクレア号との出会い

——ハワイを選んだのはなぜですか。

(内野)
それは、「ホクレア号」というカヌーの存在を知ったから。大学時代にボランティア活動で知り合った友人が、すっかり海のとりこになっている私に1冊の本を渡してくれたのです。それが、ハワイを拠点とするホクレアとの出会いでした。観光客いっぱいの買物天国という印象しかもっていなかった私にとって、ハワイは進学先候補対象外だったのですが、この本を読んで、イメージが180度変わりました。ハワイには海を愛し、海のことを熟知している人たちがたくさんいること、太陽や星、風などの自然を手がかりにコンパスなしで大海原を進むカヌーの伝統航海術のこと、そして伝統航海術で30年以上にわたり何万キロを航海してきたホクレア号のこと……何もかもが驚きで、「これはハワイに行くしかない!」と。でももちろん、このときはまさか自分がクルーとしてホクレアに乗り込み、日本に向かって2000キロの航海に出るなんて、夢にも思っていなかったのです。

——では、何がきっかけで航海に参加することになったのでしょう。

(内野)
ハワイへ渡った後、ホクレアに会いに行きました。ちょうど長い航海を終えて陸に上がったところで、次の航海に備えての改修作業に私も参加したんです。1年がかりの完全なボランティア活動ですから、伝統航海術とホクレアを本当に大切に思っている、やる気のある人しか集まってこない。その中で過ごしていくうちに、いつしか彼らから伝統航海術を教わるようになっていきました。そして2004年、カウアイ島からミッドウエーまでの20日間の航海にクルーとして選ばれ、ホクレアに乗り込んだのです。それまで2~3日の航海は経験していたのですが、こんなに長い航海は初めて。見渡す限り水平線の大海原に毎日揺られていると、潮の匂いや風の音などが敏感に感じられるようになり、五感が研ぎ澄まされるのがよくわかりました。

ホクレア、日本へ

ミクロネシアから沖縄まで航海した「ホクレア号」(内野君撮影)
ミクロネシアから沖縄まで航海した「ホクレア号」(内野君撮影)
強い向かい風におされ止まっているように見える海鳥の群(内野君撮影)
強い向かい風におされ止まっているように見える海鳥の群(内野君撮影)
——2007年、ミクロネシアから沖縄へ、ホクレアは2000Kmの大航海をしました。なぜ日本に向かうことになったのですか。

(内野)
それまでホクレアは、伝統航海術で古代ポリネシア人が太平洋を渡ったという説を検証するために、ハワイ、ポリネシア、イースター島の3点を結ぶ三角形の文化圏内で航海をしてきました。30年をかけてそれをほとんど証明でき、違う場所に行ってみようとなったとき、一番多かった意見がハワイと古くから深いつながりのある日本だったのです。この航海のスローガンは「oneocean,onepeople」。文化を越えて1つの海がみんなをつなぐということ。伝統航海術を通してハワイの文化を日本の人たちに伝えたいという思いが強くありました。

——広大な海の真ん中に海図やコンパスなしで自然のみを頼りに出ていくことについて、不安や恐怖心はなかったのですか。

(内野)
もちろんあります。特に今回は5カ月にも及ぶ、ホクレア史上最大のリスクのある航海。海を熟知している人にとっても、大きな不安がついて回ります。では、どうすればいいのか——それは、航海前にこの不安とじっくり向き合うことでしか解決できないのです。キャプテンはクルーに対して何度も「どうしてこの航海をするのか。なぜあなたはホクレアに乗るのか」と問いかけます。私たちはそのことについてたくさん考え、答えを見つけていく。そうすると、自分の中で腑に落ちた答えが不安をオブラートのように包み込み、平静な精神状態で不安と共存できるようになるのです。

——内野さんの答えとは?

(内野)
「自分の楽しみや成長のためではない。この航海で、ハワイの文化・海の文化を日本の人々につなげることができるから乗るのだ」ということです。自分の楽しみのためだとしたらこの航海は私にとってリスクが大きすぎました。私は、ホクレアはメッセージを運ぶ船ではなく、問いかけをする舟だと思っています。はるか昔から連綿と続いてきた技術——大海原にこぎ出し、自分の持てる感覚をすべて使って自然を感じ取り、目的地に向かって進力に変えていく——を現代にどように生かしていくのか。ホクアはこの命題を行く先々で人々心に問いかける力を持っているだから、私たちはぜひホクレア日本に届けたかったのです。沖に到着する直前に嵐に見舞われのですが、クルーはみんな自分ちの気持ちを、そして自然を信ていたので、落ち着いて危機をり越えることができました。

——日本に着いて、何を感じましたか。

(内野)
日本は大小合わせて6000以上の島から成る国です。海から見る日本の島々の美しさは予想以上で、たくさんの島が海でつながれた国であることを再認識しました。また、沖縄から長崎、広島、横浜などに寄港して各地で歓迎を受けたのですが、地元の方々には伝統航海術について知っていただくとともに、自然とともに生きてきた日本人の智恵、日本文化の素晴らしさに気付いていただくことができました。ホクレアの目的の第一段階は達成したと思います。

私たちは、生かされている

内野加奈子君の写真
——日本への航海中、船上でどのように過ごしていたのですか。

(内野)
クルーはハワイの地元の人が中心で、20代から60代までと幅広い年齢層の11人が集まり、女性はそのうち4人でした。キャプテンが1人にナビゲータ役が1人。残りの9人が3チームに分かれ、毎日4時間×2の計8時間、ナ役の指示に従って3人がかりで舵をとります。私の担当は10時~14時と22時~2時。寝るのは夜と明け方2時間ずつで毎日4時間睡眠です。かなり厳しい生活ですが、不思議と海の上ではこれが苦にならない。それどころかナビを務める人は、眠らないんですよ。彼の頭の中に「今までどの方向にどれだけ進んだか」がつねにインプットされるので、眠ってしまっては情報が更新できなくなる。だから、ナビは合間合間に10~15分の仮眠を取りつつ、24時間絶えず起きているんです。こう聞くと、カヌーに乗っているのは人間離れした特別な人たちのような気がしますよね。でも決してそうではありません。大きな海の上を進む小さなカヌーに乗っていると、人間も自然を形成する一部にすぎないのだということを痛感すると同時に、自然の中に生きるものとしての潜在能力が目覚めてくるのです。太陽、星、風、空……私たちの周りには自然からのメッセージがあふれている。それをどのように自分の中に取り込んで解釈するかという翻訳能力が、海の真ん中にいるとどんどん高まっていくのがわかります。例えば夜は水平線と星の位置で方角を知るのですが、そのために覚える星の数は220個くらい。そんなの絶対無理」と思うかもしれませんが、人間にはそれを覚えて活用する能力が備わっている。ミクロネシアではみんなが自然とともに生活しているから「3時間後に雨が降る」などピタリと当たるんですよ。日本人ももちろんその力は持っていて、ただ便利な生活の陰に眠らせてしまっているだけ。”自然と人間はつながっている“このシンプルな真実を、みんな本当はわかっているのです。それを思い出してもらえるように活動をするのが、私の役割。そのための写真であり、執筆であり、ホクレア乗船であるのです。

——最後に、ご自身の今後の展望と、塾生へのメッセージをお願いします。

(内野)
日本への航海で得たこと、学んだことをより多くの人に伝えるために、『ホクレア星が教えてくれる道』(小学館)を6月に出版しました。また、ホクレアは2011年に世界一周の航海を予定しています。クルーとして乗るかどうかはわかりませんが、そのプロジェクトには積極的に関わっていきたいと思っています。航海中に確信したのは、”今あるものに生かされている“ということ。私たちが大海原の上で生きられるのは水と食物を積んだカヌーがあるからで、陸地で生きられるのも水と食物があるから。ハワイでは「カヌーは島だ」という考え方がありますが、確かに規模が違うだけで、限られた水や食料に支えられて生きているという点は同じ。私たちは自然に”生かされて“いるのであり、そしてそれはとてもすばらしいことなのです。私は義塾卒業から10年経ちますが、自分の好きなことを追って一生懸命やることが次へとつながり、学生時代からは思ってもみなかったところに人生が広がっていきました。塾生のみなさんにも、自分が心ひかれるものを大切にし、そこにありったけの力を注いで、楽しんでほしい。そこに未来が拓けます。

フッターの始まり