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2012年01月10日 第177回福澤先生誕生記念会年頭の挨拶 「買うことのできない価値」

慶應義塾長  清家 篤
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実学・公智・徳心
あけましておめでとうございます。今年も,1月10日の福澤先生のお誕生日を皆様とともにお祝いできることを有り難く思っております。本日は福澤家を代表して福澤信雄様にご出席頂いておりますが福澤先生のお誕生日おめでとう存じます。
昨年は3月11日に東日本大震災が起き,未曾有の地震津波災害となりました。その犠牲になられた方には改めて深い哀悼の意を表します。またいまもなお厳しい状況の下におられる被災者の方々には心からお見舞いを申しあげます。被災者の支援と被災地の復興のために慶應義塾は,これからも出来る限りのことをしてまいりたいと思っています。そのときに,改めて思い起こされるのが福澤先生の言葉です。
一つは科学という意味の「実学」ということです。実学という言葉に「サイヤンス」とルビを振られたことからも分かるように,福澤先生にとって実学とは科学,とりわけ実証科学のことであり,その重要性を繰り返し強調されました。たしかに今回の震災は,一面では科学やそれにもとづいてわれわれの築き上げてきた技術が,自然の猛威の前にはいかに脆いものであるかを改めて知らしめるものでありました。しかし同時に,復興や回復が科学や技術の力なしにはなしえないことも事実です。
慶應義塾における研究にもそうした復興,経済の回復に資するものが少なくありません。すでに研究者たちは復興のため,直接,間接に貢献しはじめています。
そうした復興に資する研究の一部を紹介し,復興について考えるシンポジウムを昨年6月27日に南校舎ホールで開催しました。慶應の自然科学,社会科学の研究者からいくつかの提案もなされ,後半には東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長の講演に続いて国分良成法学部教授の司会の下活発なパネルディスカッションも行われました。
もう一つ福澤先生の言われた,物事の軽重大小をきちんと見極め,適切な判断を下すという意味の「公智」という言葉も大切です。とくに復興の計画,実施にあたっては,限られた財源や資源をどのように配分するかといったことについての優先順位を決めなければなりません。費用をどのように負担していくかといったことも含めて,政府,地元自治体,個人や企業などの経済主体の公智が求められています。
私ども慶應義塾でも震災当日から様々な判断を求められました。まず何よりも優先したのは学生,生徒,患者さんの安否確認と安全確保です。学生や生徒は多くの方々の親切にも助けられて,皆無事であることが分かり安堵しました。また病院の患者さんの一層の安全確保のため,病棟のさらなる耐震補強も速やかに実施しています。
お蔭さまで学生,生徒に怪我はありませんでしたが,被災地出身の塾生のなかには,ご家族が被災されたり,家計支持者が仕事を失ったりしたケースもありますので,そうした塾生には学費の減免措置を講じ,さらに生活支援のための特別奨学金を創設致しました。実はこの被災学生のための奨学金の最初の原資は,昨年の卒業式にお招きしていた127三田会からのご寄付によるものです。127三田会の皆さんには,私どもが日吉の記念館での卒業式を三田の北館ホールでの学位記授与式に変更するという前例の無い対応をさせて頂いている中で,当初の寄付計画を被災学生の奨学金に振り向けて頂いたわけで,そのご判断はまさに「公智」にもとづくものと思います。
もちろん被災した塾生だけでなく,被災地全体への支援活動も展開致しました。これにも慶應義塾社中が一体となって取り組みました。震災の翌週には,慶應義塾と,塾員組織である慶應連合三田会,そして塾生の組織である全塾協議会の三者で被災地向けの義援金の募集を開始し,最終的には2 億円以上の義援金を集め,日本赤十字社などを通じて被災地に送りました。またこれも震災の翌週から,医学部・病院の積極的な参加により慶應義塾救援医療団を9次にわたって被災地に派遣しております。
そうした活動のもとになっているのが,これも福澤先生が言われた「徳心」ということであります。ご存知の通り福澤先生の時代にも,やはり三陸沖の地震による津波災害や,濃尾地震といった大きな自然災害がありました。そのたびに先生は,主宰されていた「時事新報」などを通じて,義援金の募集など積極的な救援キャンペーンを張られました。
興味深いことに福澤先生は,そうした義援金などだけでは被災者を救いきれるものではない。それゆえ政府の大規模な救援活動が必要であると,冷静に分析もしておられます。にもかかわらず義援金の呼びかけなどを積極的にされたのは,それが困っている同胞を思う「徳心」の表れであり,この徳心なしには人の社会は成り立ち得ないからだと考えられたからです。われわれはその伝統を受け継ぎ,被災者の支援,被災地の復興に協力していますが,そうした精神はとくに若い塾生の間に脈々と受け継がれています。
たとえばその一例は,津波で最も甚大な被害をうけた地域である宮城県の南三陸町で,瓦礫の撤去,仮設住宅の整備,子供の教育支援,さらにはお年寄りの支援などを行った学生と教職員たちです。南三陸町にはもともと慶應の森があり,志木高生が自然学習などでお世話になっていたご縁もあり,夏休みを中心に10次にわたり,のべ300人近い学生,教職員がボランティア活動に従事しました。その活動は現在も続いており,地域の復興に貢献しています。

国民総幸福量
昨年はまた慶應義塾にとって喜ばしいこともいくつかありました。とくに多くの意義のある国際交流をできたことは嬉しいことでもありました。そのひとつは11月に,ブータン王国のワンチュク国王陛下を三田にお迎えしたことです。
ワンチュク国王陛下に対して慶應義塾は経済学部からの推薦で慶應義塾大学名誉博士の称号を授与することになり,その授与式と記念講演のためにお招きしました。経済学の名誉博士称号を差し上げることになった理由は,ブータン王国の提唱する国民総幸福量という新しい概念の発展普及に寄与されたということであります。
従来,国や社会の豊かさは,GNPといった経済指標で測られていました。それは定義から,その社会の経済的付加価値の総和,ということです。しかし,社会の豊かさはそれだけでは測れないのではないか,というのが国民総幸福量の考え方です。
具体的には,経済的付加価値に加えて,健康,文化,教育,環境,コミュニティー,さらには幸せな感情,といったものを何らかの形で測定し,総合的な指標として社会の豊かさを測ろうというものです。こうした指標と共に,民主的な立憲王国を発展させようとしていることが,世界中から注目されているわけです。
演説館での記念講演は多くの聴衆,とくに若い学生たちに大きな感銘を与えました。「皆さんが,最後に人生を振り返ったとき,悔いなく,幸福と達成感に包まれ,満足のいく素晴らしい人生だったと思えるよう,お祈りいたします。そして,私は,皆さんが,誇りを持って,一人の人間として成し遂げたあらゆる善行の知らせが,毎年届くことを祈っています。」と締めくくられた講演はすばらしいものでしたが,この国民総幸福量という考え方は,慶應義塾のあるべき姿を考える際にも示唆に富むものであったと思います。
われわれは教育,研究,医療を通じて社会に貢献することを目的としています。そのためにも,それらの質を常に高め,社会の進歩に貢献しなければなりません。ここまでは明快なわけですが,問題はそのときの社会の進歩とは何かということです。経済的な豊かさの増進だけが社会の進歩ではないことは間違いありません。

教育の経済価値
もちろん経済的な豊かさが,基本的には重要なものであることはいうまでもありません。例えば大学教育もその経済的豊かさをもたらすものであることをまず確認しておきましょう。大学教育の経済価値は大きく分ければ3つあります。
ひとつは投資ということです。具体的には大学教育を受けることによって,高校までの教育を受けただけの場合に比べてより多くの生涯所得を獲得できることです。投資ですから費用が掛かりますが,その費用は学費などの直接費用と,高校卒業後直ちに就職して大学卒業までの4年間働いたら得られたであろう収入という機会費用の合計です。一方大学教育の投資収益は大卒の生涯所得と高卒のそれとの差額です。
この投資収益が投資費用を上回れば,合理性のある投資ということになります。実はこれについての計算は経済学者によって山のようになされています。その結果は現在のところプラスであり,大学教育は投資として経済的意味があるということです。
こうした投資という意味での経済価値と同時に,大学教育には消費という意味での経済価値もあります。スポーツや芸術,さらには先に述べたボランティア活動などの課外活動をエンジョイすることなどはその例です。もちろん学問そのものの楽しみということもあるわけで,実際最近ではビジネスマンが定年後,もう一度学問を堪能するために大学や大学院に入りなおすといった事例も珍しくなくなってきました。
もちろん公共財という経済価値も大学教育にあることはいうまでもありません。大学教育によって経済社会の生産力が高まり,良き市民,最近の言葉でいえば「層の厚い中間層」を生み出し,また地域社会の文化拠点となるといったような,社会全体に益するような活動です。
だからこそ,学生やその家族は授業料を払って下さり,社会は公的補助を与えて下さるわけです。間違いなく大学教育は経済価値を持っています。われわれは,その機能をさらに充実させなければならないことは間違いありません。

教育の非経済的価値
しかし同時に,大学教育には,あるいは学校教育一般には,非経済的な価値もあることを忘れてはならないでしょう。例えば毎年の1月10日に,私たちは福澤先生誕生日を祝うことで,気持ちを新たにして清々しい新年を迎えることができ,慶應に学んでよかったという幸せな気持ちになります。
あるいは多くの塾員が誠に熱心に活動に参加されている三田会です。良き友人,先輩,後輩との交流をはかり,それによって慶應義塾にも大きな支援を与えて下さっています。そして皆さんそのことで慶應に学んでよかったと思って下さっています。
さらに言えば,福澤精神を身に付けて良く生きるということ。慶應に限らず私立学校の学生やOB・OGみなそうした建学の精神を共有することで絆を強めています。
これらのことを学生やOB・OGがそれで幸せになっているのだから,それは消費活動である,というふうに経済学的に解釈をすることもできます。しかし仮に少し譲ってそうした意味での経済価値はあるとしても,一つだけ間違いないことは,それらはお金では買えないということです。例えば今日のお祝いの会の入場券を売ったりしたらこの会の意義は台無しで,逆に価値はゼロになってしまうと思いますし,むろん三田会の友人や先輩や後輩もお金で買うことはできません。
さらに言えば慶應義塾の教育自体,お金で売ったり買ったりしているものではありません。たしかに学生や生徒から授業料は頂いていますが,それは教育に必要な経費を頂いているわけで,その意味では教育の質を高めるためにもっと費用を要するので学費を上げさせて頂くということはあるかもしれません。しかし慶應への需要が多ければ,つまり受験生が多ければ授業料を上げるといった価格調整は行いませんし,むろん規定以上の高いお金を払えば入学を許可するということもありません。それは学校の品位に関わるからということもありますが,理由はそれだけではないのです。
良い学校,価値のある学校というのは,質の良い教育に加えて,良い友人,先輩,後輩に巡り会える学校であるからです。またよい学校というのはその学生や生徒が様々に活躍し,その卒業生が社会に大いに貢献する学校だからです。その点でよい学生,生徒を集めることが,学校の価値を維持し高めるために不可欠です。

学生は顧客ではない
つまり学生やOB・OG,慶應で言えば塾生や塾員は,慶應義塾から質の高い教育サービスを買う消費者あるいは受益者であると同時に,慶應義塾の教育の質を高める生産者あるいは貢献者でもあるのです。慶應義塾はその人たちに良い教育サービスを提供すると同時に,その人たちの存在が慶應の価値を高め,そしてさらにまた次に良い学生たちを招くことができるという好循環ともなるわけです。
これと関連して,一時,大学改革などを語る場合に,学生の「顧客満足」といった言葉が使われましたが,それにはかなり強い違和感を持ちました。もし学生が顧客ならば,授業料分の教育をしてどこかよいところに就職させればそれでよし,ということになるのでしょうが,教育というのはそういうものではありません。
われわれ教師は,自分の教えた学生が,よい人生を歩んでいるかどうか,卒業後も気になるわけです。そしておそらくわれわれの教育の評価は,教えた学生,生徒が,最終的に,自分はほんとうによい学校に行ったと思ってその人生を終えてくれるかどうか,そして先のワンチュク国王陛下の言葉を借りれば,「最後に人生を振り返ったとき,悔いなく,幸福と達成感に包まれ,満足のいく素晴らしい人生だったと思えるよう」であるかどうかで決まると思います。その意味で,学生や生徒,慶應でいえば塾生はけして顧客などではなく,われわれにとって大切な人生の後輩です。
さらに塾生は,先に述べたような意味で,慶應義塾の教育の質を高める同志でもあります。これは授業だけでなく課外活動等においても,先輩の塾員は後輩の指導をするという意味ではサービスを提供して下さっているわけですが,同時に後輩の成長と活躍によってクラブの評価が高まれば自分も嬉しいという便益も受けるわけです。
実は慶應義塾の歴史を紐解けば,もともと半学半教という伝統がありました。塾生は教師に学び,その塾生が教師役となって他の塾生を教える。こうしたやりかたは苦しかった義塾の財政を助けるためにも寄与したと言われていますが,学生はたんに教わるだけの存在ではなく,教育に貢献する存在でもあるという意味で,まさに慶應義塾の教育のあるべき姿でもあったのではないか,と思います。
教職員,塾生,塾員が一体となって慶應義塾の教育がなされ,その質が高まっていくということです。その教育はもちろん経済価値を持つわけですが,非経済的な価値も持っており,そしてなにより大切なことは,その価値はわれわれが共に作り上げていくものであって,けしてお金では買えないということです。

福澤先生に立ち返る
一万円札の肖像として福澤先生は経済価値をあらわす紙幣の象徴になっておられます。しかし福澤先生自身は一万円札をいくら積んだとしても買えないわけであり,仮に慶應以外のどこかの学校が先生を創立者にしたいと思っても,それはお金ではどうにもならないのです。よく大変に貴重なものをプライスレスと言いますが,われわれにとって福澤先生はまさにプライスレス,すなわち市場では価格のつけようのない存在であります。
われわれは,そうした福澤先生の考えに基づく価値を共有しつつ,学生を育て,研究を進め,また医療を通じて,経済価値をもつものによっても,またそうでないものによっても,社会を豊かにし,進歩させるために貢献する使命を帯びています。いうまでもなくその中心にあるべきものは,福澤先生の繰り返し強調された学問ということであります。
学問によって,自分の頭で考えることのできる人材を育成する。学問によって世の中に新しい叡智を付加する。学問によって医療等社会貢献をさらに進めていく。今年もそうした学問による社会への貢献を着実に行っていくことが,学問を何よりも重視された福澤先生の創立による慶應義塾の使命であると考えています。
創立者を福澤先生とする慶應義塾の有り難さをかみしめているところです。改めて福澤先生の存在に感謝してそのお誕生日をお祝いし,新年の御挨拶とさせて頂きます。今日はこのあと,猪木武徳君の講演が予定されておりまして,皆さんも楽しみにされていると思います。私も猪木さんのお話を早く伺いたいと思いますので,私の話は以上とさせて頂きます。ご清聴有り難うございました。

(これは1月10日に開催された第177回福澤先生誕生記念会における清家塾長の年頭の挨拶である。)

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