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2010年03月23日 平成21年度大学卒業式式辞

慶應義塾長  清家 篤
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 本日,学士の学位を与えられ,慶應義塾大学を卒業される皆さん,おめでとうございます。今日皆さんが手にされた学位は,それぞれの学業を終えられた証であります。ここまでの皆さんの努力を称え,敬意を表したいと思います。
 また卒業される皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも,卒業式へのご列席を感謝いたしますとともに,心からお喜び申し上げます。さらに卒業生たちをこれまで熱心に指導してこられた先生方,その勉学や生活を支援されてきた職員の方々にも,この機会を借りまして改めて御礼申し上げます。壇上には皆さんから見て右側に評議員会議長の福澤武君,塾員代表祝辞を述べてくださるスルガ銀行代表取締役社長の岡野光喜君,連合三田会会長の服部禮次郎君,そして慶應義塾の常任理事,塾監局長,学生部事務長がならんでおられます。また左側には,皆さんの学ばれた学部の学部長,通信教育部長,メディアセンター所長,学生総合センター長がおられます。
 皆さんは今日卒業しますと,慶應義塾の卒業生として「塾員」になります。今日は先輩塾員の方も多数お見えですが,とくに皆さんの後方上段のスタンド席には,卒業25年の塾員の方々が皆さんの卒業を祝うために全国から駆けつけてくださっています。卒業生とともに,私も慶應義塾を代表して,今日のご列席に心から御礼を申し上げたいと思います。

 さてわれわれは今,大きな変化の時代を迎えております。とくに今日の世界は,さまざまな面での持続可能性が問われるような,大きな構造変化に直面しています。たとえば,温暖化といった気候の構造変化によって,我々の住む地球という天体の持続可能性が問われています。あるいは人間の作った社会もまた,多くの面で持続可能性を問われており,最近注目されていることでいえば,金融危機や財政破綻の問題などは,国際社会や,個別国家の持続可能性を左右する問題となっています。
 そして今日の日本で,これから最も長期にわたって進む大きな構造変化が,人口の高齢化です。日本は現在,人口の5分の1以上が65歳以上の高齢者で,すでに世界一の高齢大国になっていますが,これは単なる通過点に過ぎず,もう3年後の2013年には人口の4分の1が高齢者となります。
 皆さんの多くは,1980年代後半のお生まれと思いますが,そのころ,日本の高齢人口比率は,まだ総人口の10分の1程度でした。それが今や人口の5分の1を超え, 4分の1になろうとするときに,皆さんは社会に出ていくわけです。さらに皆さんが働き盛りの40代を迎える頃には人口の3分の1が高齢者になり,そして皆さん自身が高齢者の仲間入りをする頃には人口の5分の2は65歳以上の高齢者になると予想されています。つまり皆さんは,まだかなりピラミッド型だった人口構造の下で生まれ,逆ピラミッド型に近い人口構造のもとで老いていくわけです。
 社会の基礎をなす人口構成がまさに逆転するような大変動の時代を生きることになります。このような大変化の時代には,これまでの延長線上で問題を解決することは難しくなります。新しい状況を自ら理解し,その理解に基づいて問題を解決しなければなりません。要するに,自分の頭でものを考える能力がますます問われる時代です。
 実は,慶應義塾の創立者であった福澤先生もまたそうした大激動の時代を生きた人でした。封建の江戸時代に生まれ,激動の幕末に成人し,そして明治維新を経て近代社会となった日本を生きた先生の同時代人を,福澤先生は「あたかも一身にして二生を経(ふ)るが如く」と表現しています。一人の人間がまるで二つの人生を生きたようなものだということです。
 そしてそうした大変化の時代に頼りにされたのが,「実学」でした。実学とは役に立つ学問という意味もありますが,福澤先生にとって実学とは「科学」とくに「実証科学」のことでした。昨年福澤展でその原稿をご覧になった方もあるかもしれませんが,時事新報に書かれ,後に『慶應義塾紀事』という冊子に収められた文章の中で,実学に「サイヤンス」とルビをふっておられることからもこれは明らかです。つまり対象としての事物の実体があり,それについての考え方を実証的に検証することが可能な学問ということです。

 検証は自然科学ならば実験等によって,社会科学ならば統計や実態調査等などによって行われます。むろん文学など人文科学でも,資料分析や文献考察などが行われるわけです。いずれにしても客観的,実証的な学問ということです。
 このような意味での福澤先生の実学の考え方を身につけることの第一の意義は,事物の真の姿は,学問を通じてはじめて正しく理解できるということを知ることです。私たちが常日ごろ見ているもの,実感しているものが必ずしも真実ではなく,真実はそれぞれの分野の学問を通じて理解されることを知る知性といってもよいかもしれません。
 これについて最も分かりやすいのは,福澤先生もよく例に出された天文の例でしょう。われわれが日常的に見ている空では,太陽が昇り沈みし,夜になれば星が季節ごとに天空を動く,まさに地球が静止し,太陽や星が動く天動説が,実感にぴったりです。しかし天空の真の姿はそうではなく,地球こそが自転し,太陽の周りを公転する,地動説によって理解されることを,われわれはコペルニクス以来の天文学によって知っているわけです。

 そして実学の考え方を身につけることのもうひとつの意義は,それが自分の頭でものを考えるという事につながることです。つまり科学的な分析は,先ず問題を見つけ,その問題についての仮説を構築し,その仮説を検証して,結論を得るというプロセスをたどります。そして何も学問といわずとも,一般的に自分の頭で考えるということは,考えるべき問題を見つけ,その問題がなぜ起きているかについての仮説を作り,それを何らかの形で検証して結論を,その結論にもとづいて問題を解決するプロセスに他なりません。
 では,こうした意味での自分の頭で考える能力とは,どのような力を皆さんに与えているのでしょうか。それは大きく分ければ二つほどあると思います。
 ひとつは新しい価値を生み出す力です。たとえば,研究者になる人にとっては,まだ誰も解答を与えていない問題に自分の頭で取り組み,オリジナルな研究成果をあげること,すなわち新しい学問的価値を生み出すことが,まさになによりも大切なことです。
 そしてこれはビジネスの社会に出て行く多くの皆さんにとっても同様です。新しい商品やサービスを作り出すことは大きな付加価値をもたらします。また,日々の業務の中での問題を解決するにも自分の頭で考えることが不可欠です。問題を見つけ,その問題がなぜ起きているかについての仮説を立て,その仮説をデータや実態調査などから検証し,解決策を導くということは,意識するとしないに関わらず,およそ知的作業を行う場合には必ず辿るプロセスです。
 もうひとつの力は適切な選択を行う判断力です。皆さんは仕事や個人生活,あるいは政治的な問題などで大きな選択を迫られることがあると思います。そして多くの選択は,あちらを立てればこちらが立たずといったぎりぎりの条件の中で行われます。そうしたとき,ともすると希望的観測や,精神論に引きずられてしまいます。そうならないように,客観的,実証的に自分の頭で考える知的強靭さが試されます。
 これは『文明論之概略』の中で,福澤先生が公智といわれたものに他なりません。福澤先生は,智恵と徳義の二つを,さらに公と私,すなわち公(おおやけ)と私(わたくし)に分かち,公智,公徳,私智,私徳という四つの要素にして説明を加えておられます。このうち私徳というのは,謙虚であるとか,律儀であるといった人の心のうちの徳義をいい,私智というのは,理論をよく理解しそれを応用するまでの智恵を指します。これに対してさらに重要なのは公の部分で,例えば公徳というのは,公平であるとか,勇敢であるといった,社会の中で発揮される徳義のことを指します。
 そして中でも福澤先生が最も重要とされたのが公智です。物事の軽重を正しく見極め,重いものを先に,軽いものを後に行う判断力です。理論を理解し応用するといったことが工夫の小智であるとすれば,これは聡明の大智であると,言っておられます。

 皆さんにはこうした自分の頭で考える力をもって,まずしっかりと仕事をし,自らの生活を営んでいってほしいと思います。人に頼らず,自らの能力を活かして収入を得て,独立した個人として生き,独立した家計を営むということで,これは福澤先生の言葉を借りれば一身独立ということになると思います。
 その上で,そうした仕事や,あるいは社会的な活動などを通じて,少しでも日本や世界をもっとよい社会にすることに貢献する,という意識をもっていただきたいと思います。

 先に述べたように,皆さんがこれから生きる時代というのは,様々な面で持続可能性の問われるような大きな変化の時代です。そうした中で皆さんはますます難しい問題に直面することになるでしょう。従って皆さんには,慶應義塾大学を卒業した後も,自分の頭で考える力にさらに磨きをかけていって頂きたいと思います。
 皆さんはすばらしい素質に恵まれ,そしてそれを伸ばす環境に恵まれてきました。いよいよその能力を活かす時がこれからやってきます。
 どうかそのような恵まれた立場を活かし,慶應義塾大学で培った力を,存分に発揮してください。そしてそれが皆さん自身のためだけでなく,皆さんの周囲や最終的には社会全体をより良くすることにつながることを願っています。皆さんにはそれができると信じています。
 そのような期待を込めて,改めて皆さんの卒業と,無限に開かれた前途を祝し,私の式辞といたします。今日は,まことにおめでとうございました。

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