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2003年04月29日 大学通信教育課程入学式式辞

慶應義塾長  安西 祐一郎
本日ここに慶應義塾大学通信教育課程の入学式を迎えられた皆さん、おめでとうございます。慶應義塾を代表して心からお慶びを申し上げます。

 慶應義塾は今年で創立145周年を迎える、伝統ある、誇りある学塾であります。その慶應義塾社中の一員として、皆さんを大学生としてお迎えしたことは、私たちにとってたいへん大きな喜びであります。また、ご家族、関係者の皆様にも心からお祝いを申し上げます。これからの道程は簡単なものではないかもしれませんけれども、ご家族、関係者の皆様におかれましては、ぜひいろいろな形でのご支援をお願い申し上げます。

 せっかくの機会でありますので、いくつかのことを皆さんに申し上げておきたい。
 まず第一は、いま申し上げたように、慶應義塾は伝統のある、また、世の中に大きな影響力をもった学校である、ということです。とりわけこの通信教育課程は、よくご存じのように昭和23年(1948年)に創立され、今年で55年目を迎えた、たいへん長い歴史のある通信教育課程であります。1947年に慶應義塾の評議員会において、慶應義塾に通信大学を創ろうではないかということになりました。戦後すぐのときであります。廃墟のなかでこれからの時代、どのような教育をしていったらいいのかということを慶應義塾のその頃の人たちが真剣に熱意をもって考え出した、それでできたのがこの通信教育課程であります。
 また、1947年秋のことでありますけれども、皆さんがこれから使われる、あるいは、昨年入学された方はすでに使っておられるいろいろな教材、その他教科書等々を出版するための慶應義塾通信教育図書株式会社という会社を設立しました。その会社はその後慶應通信という名前になりまして、それから平成の世になって慶應義塾大学出版会という名前に変わりました。いま慶應義塾大学出版会として多くの優れた図書を出版している会社、これはもともと皆さんの通信教育課程の教材、教科書等を発刊するための組織として創られたものです。
 今年は、1948年に通信教育課程が創立されてから55年目の年になります。その間たいへん多くの先輩が卒業され、あるいはこの課程で学ばれました。卒業生の集まりである通信三田会等々の団体がありますけれども、多くの方々が社会で活躍され、また家庭や地域をリードされておられます。いま私が申し上げた伝統ある学校、伝統ある課程、そこに入学をされたのだということを、ぜひ心に留めていただきたいと思います。そして大いなる志をもってこれから学んでいただきたい。もちろん昨年から学ばれている方もおられるわけでありますけれども、改めて志をもって慶應義塾大学生として学んでいただきたいと思います。
 今日皆さんにとりわけ申し上げたいことは、大学で何を学ぶかということであります。
 一つは、ぜひ「知の楽しみ」、「知の驚き」、とくに「知の感動」、知ることの感動ですね、その経験を得てほしいということであります。人間の精神、人間の身体がつくってきた歴史、大きな知識の体系、あるいは、文学、文芸の世界。人間社会はたいへん複雑なものであり、一方でたいへん奥の深い豊かなものであります。そういう世界をつくってきたのは、紛れもなく人間である、人間の高い精神である、そういうことをじかに知ることができるのは大学をおいてほかにはありません。とりわけこの慶應義塾大学は先程から紹介がありましたように、優れた多くの教員がおります。いろいろな教員たちと対話をし、勉強して、ぜひいま申し上げた「知の楽しみ」「知の驚き」そして「知の感動」を得てほしいと思います。
 大学で学ぶ「知」は高等学校までに学んだ知識とは異なるものです。宇宙的な時間はとても長く、進化の過程のなかで人間が生きてきた時間はその宇宙的な時間に比べればそれほどのことはない。ただ、人間が歩んできた歴史のなかで、人間がつくり出してきた「高い知識」「大きな知恵」というのは、われわれにとってかけがえのないものであります。そのことを学ぶチャンスというのは大学、とくに慶應義塾大学、そこをおいてありません。ぜひその機会を使っていただきたいと思います。皆さん一人ひとりが「知の楽しみ」「知の驚き」そして「知の感動」を得られることを心から願っております。それが大学で何を学ぶかということの第一点です。
 皆さんに申し上げたいことはたくさんありますが、とくにここではもう一つ、それは「想像力」ということです。いろいろに想う、考える、英語で言えば「イマジネーション」です。人は何を考えているのか、友達は何を考えているのか、あるいは本を読んで、その本に書いてあること、その背景に何があるのか。いま国際社会は大きな激動のときを迎えているわけでありますけれども、地球の向こう側でいろいろな出来事が起こっている。また、国内においても経済をはじめ厳しい状況があります。国内、国外を問わず、自分が直接感じられない、遠く離れたところにいる人たちが何を考えているのか、どういう行動をしているのか、いまいったい社会はどうなっているのか。身近なところはもちろんでありますけれども、身近でないところについても想像する力、これはやはり大学で得るべき、学ぶべきことだと思います。
 直接見たものを信じる、あるいは直接聞いたことを信じる、これはたいへん大事なことです。ただ一方で、人間の常として、だれかから聞く、ちょっと聞くとそれをすぐ信じてしまう、そういう面も人間にはあります。どこかにちょっと書いてあること、それを読んだだけで、ああそうかというふうに簡単に信じてしまう、そういうところもあります。これは専門用語で言うと「代表性」と言います。何かが目に映る、何かを耳にする、何か書いてあることを読む、一つの例だけでそれがすべてだと思ってしまう。そういう性質は代表性、英語では「リプレゼンタティブネス」と申しますけれども、人間にはどうしてもそういった性質がある。そういうことを超えていろいろな情報をいろいろなふうに組み合わせて合理的にものを考えていく力、これがさきほど申し上げた「想像力(イマジネーション)」ということであります。それを本格的に身につけられるのはやはり大学をおいてないと思います。
 新聞、テレビ、あるいは最近の若い人たちですと携帯電話。例えば、携帯電話の枠というのはとても小さく、そこに書ける文章、見られる映像は限られています。新聞もテレビも同じであります。そういった文章、映像、そういうことを超えて、本当はどういうことなのかということを考える力、イマジネーションの力を養っていただきたい。
 そういえば、「百聞は一見に如かず」ということばがあります。中国の『漢書』に『趙充国伝』という本がありまして、そこに出ていることばであります。趙充国という将軍がいて、その将軍が命を受けて反乱を起こした人たちを討伐にいく。いろいろなことを聞くのですけれども、それよりもとにかく見にいかなければいけないというので、軍を引き連れて討伐に出掛ける。あるところまできて「百聞は一見に如かず」と、こう言うわけです。ところがその『趙充国伝』にはさらに先があります。百聞は一見に如かずだけれども、一見しただけでなく、将軍趙充国はその場所に1年ほど滞在して、いろいろな経験を積みました。兵隊も屯田兵としてその場所にとどまりました。紀元前60年頃の話だと言われています。伝説かもしれませんけれども、そういう話がある。「百聞は一見に如かず、しかし、一見はさらにいろいろなことを経験し、体験するに如かず」ということであります。
 一つの例を申しましたけれども、イマジネーションの力というのは、ただ、ただ、独りで籠って考えているだけで身につくものではないかもしれません。いろいろな人たちといろいろな話をし、体験を増やしていく。通信教育課程にはスクーリングもあります。そういう場を使い、いろいろな形でもって自らの体験を増やしていく。それぞれの仕事や家庭の場もあるでしょう。もちろん書物、そして教科書等々も大切ですが、いろいろに学ぶことによって、いま申しましたような想像する力を養っていっていただきたいと思います。それが第二点であります。

 最後にもう一つ付け加えておきましょう。これはさきほど慶應義塾と通信教育課程の歴史と伝統の話で申し上げましたけれども、ぜひこの通信教育課程でもって「志を高く」して学んでいただきたい、ということであります。この通信教育課程に入学していなかったら、そのレベルには達しないであろう、そういう志をぜひもっていただきたい。もちろんそういう志をもっているから入学したのだと言われるかもしれませんが、この中にはお仕事をもっている方もおられるでありましょう。勉強というのはなかなか大変なものです。しかし、それをくぐりぬける、そういう「勇気と志」をぜひもち続けていただきたい。昨日の自分よりも今日の自分はどれだけ高くなったか、1週間前の自分よりどれだけ高くなったか、1ヵ月前よりどうか、あるいはいまから1年たってこの入学式のことを思い出していただいて、あるいは入学したときのことを思い出していただいて、そのときよりも自分がどういうふうに高まってきたか。そういう思いをもってぜひ学んでいただきたいと思います。
 慶應義塾は、皆さんがそれぞれに大きな志をもって誠実に、真っ直ぐに、潔く、学生として学んでいくのであれば、きっとそれに応えてくれる、そういう学校であります。
 福澤先生が慶應義塾を創立されたのは1858年のことですが、明治になって著された『学問のすゝめ』、その第三編から引用をしておきたいと思います。「独立自尊」、これは慶應義塾の精神そのものでありますが、そのことについて書かれていることを申し上げておきたい。『学問のすゝめ』の第三編の中、

「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るゝ者は必ず人に諛ふものなり。常に人を恐れ、人に諛ふ者は次第にこれに慣れ、其面の皮、鉄の如くなりて、恥づ可きを恥ぢず、論ず可きを論ぜず、人をさへ見れば唯腰を屈するのみ。」

 こういうことばが『学問のすゝめ』第三編の中にある。「独立の気力」というのは、これからの日本、だれにとっても必要なものであります。とりわけ通信教育課程に入学された皆さん一人ひとり、そのことを想い、大きな志をもって勉学に励んでいただきたいと思っております。

 いろいろなことを申し上げましたけれども、現在、通信教育課程の卒業生を含めて29万人近くの卒業生が世界の各地で活躍をし、いろいろな人生を歩んでいます。繰り返して申しますけれども、皆さんはそういう誇りに足る学校に入学をしたのです。大きな志をもって学ぶことができれば、きっと「知の楽しみ、驚き、感動」、それから「未来を想像する力」「現在を想像する力」、そして「過去を想像する力」をもつことができる、そして、これからの大きな人生の糧になる大きな何かを得ることができる、と私は信じています。
 皆さんのこれからの大いなる健闘を祈りまして、私の入学式の式辞といたします。おめでとう。

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