メインカラムの始まり
2004年01月10日 21世紀福澤塾—未来への先導
慶應義塾長 安西 祐一郎
新年明けましておめでとうございます。2004(平成16)年の新年を、慶應義塾社中の皆様とともにお祝いいたしたいと思います。また、この新しい年のはじめに、福澤諭吉先生の169回目のお誕生日を社中の皆様とともにお祝いできますことを、たいへん嬉しく存じます。本日お出で下さっておられます福澤ご宗家、福澤範一郎様ご夫妻にもあらためてお祝いを申し上げます。
昨年は日本にとって国際的にも国内においても多くの出来事がありました。政治、経済、社会、さまざまな局面において、またさまざまな地域、組織、個人において、大変厳しい判断を迫られる年であったかと思います。
大学、学校も例外ではありませんでした。日本全体について申し上げれば、大学、学校も、戦後60年近くを経て蓄積されてきた構造疲労からの脱却を目指し、もがいてきた、厳しい年であったかと思います。
そうした厳しい状況にありながら、塾員の皆様はさまざまな分野でリーダーシップを発揮されてこられた、そういう年でもありました。そしていまや、慶應義塾は日本の大学、学校として最高のモデルたりうる資格を備えつつあるように思います。義塾社中の皆様に、慶應義塾へのご支援、ご指導、ご鞭撻、ご貢献をあらためて感謝申し上げます。
さて、皆様とともに迎えたこの新しい年が、義塾にとってどんな年になるのか、また、どういう年にすべきかということ、年頭のご挨拶を兼ねて、この点についてお話しさせていただきたいと思います。
塾長に就任しました直後に「慶應義塾21世紀グランドデザイン」を発表いたしました。その中で、教育につきましては「感動教育の実践」、研究・学問につきましては「知的価値の創造」、そして社会貢献につきましては「実業世界の開拓」と、この三つを謳いました。
また、これらを具体化するための「六つの先導項目」を提唱いたしました。一昨年、 2002年の7月には、これらを実現するための改革の計画といたしまして、「総合改革プラン2002~2006」を発表しました。この改革プランは、教育・研究・社会貢献に関わる「総合先導プラン」と、組織と財政の構造改革のための「経営改革プラン」から成っております。
たとえば「総合先導プラン」について、すでに出発したもの、あるいは出発を間近に控えているものを少し申し上げてみたいと思います。
「教育先導」として、Keio CanDoNet(慶應感動ネット)が発足をしておりますし、また、外国語教育研究センターが日吉キャンパスに昨年出発をしました。「学術先導」として、教養研究センター、総合研究推進機構が創設されました。
「新実業先導」としては、塾員のためのキャリアディベロップメント支援の創設を考えておりますし、ベンチャー企業立ち上げの直接支援制度もすでに創設されております。
「知識・スキル先導」としては、大学院法務研究科、いわゆる法科大学院の創設が今年の4月に控えておりますし、「知的社会基盤先導」としてディジタル・コンテンツ研究運用機構の創設、「キャンパス環境先導」としては、学生の学習環境改善のために三田に新校舎を建設するということで、建設工事が進んでおります。
また、将来は塾員全体をカバーすることになる全塾メールアドレス環境の整備、これも出発を間近にしております。
昨年10月に発足しました総合研究推進機構の中には、 2 年間で12件採択された21世紀COE プログラムの各拠点が入っておりますし、また、私学のうち7 校が採用された知的財産本部、これは知的財産権に関わるものですけれども、この組織も総合研究推進機構は含んでおります。総合研究推進機構の創設記念シンポジウムが1 月29日に三田で開かれることになっており、すでに多数の出席希望者があります。
法科大学院につきましては、今年4月に最初の学生を迎えますが、多くの優れた受験生が応募していまして、明日1月11日、三田キャンパスで最初の入学試験が行われることになっております。
もう一方の「経営改革プラン」の方は、「財政・経営システム改革」として部門別配分調整費、「人事・給与制度改革」として年俸制の導入、また部門別配分人件費の導入を考えております。そして「病院経営改革」として、大学病院経営ボードが発足いたしました。新しい病院長、病院事務局長の任命制度も制定されております。
とりわけ病院経営改革は、信濃町キャンパスが全国の大学医学部・病院の未来を先導するために不可欠の方策でございます。また、義塾の財政基盤の安定化と充実のためにも、不可避の方策であります。この病院経営改革が、とりわけ医学部・病院関係者の大変なご尽力、ご協力によって出発したこと、これは義塾にとってたいへん大きな出来事であったと思います。
なお、 30年近くにわたり地域医療に貢献してまいりました伊勢慶應病院につきましては、慶應全体の財政状況に鑑みまして、昨年9 月末日をもって閉院、廃止をいたしました。医学部、病院、地域の関係者の皆様のご尽力、ご協力に、この場をお借りして、あらためて感謝を申し上げます。
こうして総合改革は、関係者、社中の皆様のご尽力、ご協力によりまして、「総合先導プラン」また「経営改革プラン」のいずれにつきましても、着実に歩みを進めていると言ってよろしいかと思います。今年はこの改革をさらに実のあるものにしていくことが重要であると考えております。
さて、他方で今年は、福澤先生が慶應義塾を創立された1858 (安政5 )年から数えて146 年目にあたります。創立150周年、つまり2008 (平成20)年まであと4 年しかないということであり、創立150周年に向けての準備を始める時期に差し掛かっております。
さきほど申し上げました「総合改革プラン」の成果を吸収しながら、義塾社中の一致団結をもって、日本の近代総合学塾として前人未到の歴史を刻むことになる創立150周年を立派に成功させよ
う、義塾社中の夢を150周年に結集させよう、 150周年よりあとの50年のための出発点を創りだしていこう、そういう時期にめぐり合わせた社中一同慶應義塾の夢を共有しよう、皆様とともに、今年はその第一歩を記す年になると考えております。
そう考えますと、間近に迫る創立150周年は、私たちにとって、また慶應義塾にとって、さらには日本と世界にとって、どういう時期に当たるのか。この問いは、いまの慶應義塾の社会的影響力を考えますと、塾員の皆様のみならず、すべての人々にとって大切な問いであり、私たちは正面からこの問いに答えなければならないと思います。
私は、この問いへの答の鍵は、私たち自身が、福澤先生が福澤塾を始められた当時の原点に立ち戻って、義塾の歴史をあらためてたどり直し、しかし時代背景は福澤先生の頃とは違いますから、21世紀の日本と世界に視野を置いて、十分な想像力と構想力をもってこれからの義塾のありようを見通す、ということにあると思います。
では、創立150周年という時期は社中一同にとって、また義塾にとって何なのか、そういう問い、その答はいったい何か、そのことを考えるために、新年に際しまして義塾の歴史を簡単に振り返ってみましょう。
今年は、さきほど申し上げましたように、福澤先生が1858 (安政5 )年、今の数え方で言えば23歳のときに江戸築地鉄砲洲の奥平家中屋敷に小さな塾を開かれ、慶應義塾の歴史が始まってから146年になります。
さまざまな学問を学んで世界の動向に目を向けられた福澤先生は、日本はこのままでは欧米列強に呑み込まれてしまう、そうした危機感をもって「一身獨立して一國獨立す」という考え方を実践され、幕末から明治にかけての時期を、日本の近代化の原動力として先導されたわけであります。
明治時代は福澤先生の思いが貫徹された時代でもあったと思いますけれども、創立以来146年目を迎え、わが国の近代総合学塾としては例をみない150周年を思うとき、私たちはこの福澤先生の思いと義塾の原点に立ち戻って、十分な想像力を働かさなければなりません。
その福澤先生の当時の思いと義塾の原点を私なりに申し上げるならば、それは「未来への先導」ということになるかと思います。福澤先生の心の目が、当時の国内の状況、あるいは当時の国際社会の目の前の状況だけではなく、日本と世界の未来に向いていたことは間違いのないことだと思うのです。ウェーランド経済書講義の例を引くまでもありません。
その場、その場の激情、感情に惑わされて命を落とすことなく、教育と学問に目を向けて、勉学と議論と著述に専心されたのは、その場のやりくり算段ではなく、理念と信念と勇気をもって未来を見つめていたからだと思います。
福澤先生が、亡くなられる5年ほど前の1896(明治29)年の頃でしたが、何度か述べられた、また書かれた、「慶應義塾の目的」という有名な文章があります。
「慶應義塾は單に一所の學塾として自ら甘んずるを得ず。其目的は、我日本國中に於ける氣品の泉源智徳の模範たらんことを期し之を實際にしては居家處世立國の本旨を明らかにして之を口に言ふのみにあらず、躬行實踐以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
慶應義塾は、創立以来150年近くの間、先導者としての精神を実現するために努力してきたと言っても過言ではありません。
しかし、 150年近くにわたる義塾の歴史はそんなに簡単なものではありませんでした。蘭学塾の創設から20年ほどを経た1877 (明治10)年を過ぎる頃には、西南戦役の影響もあって、義塾を閉じるかということも先生は考えられた。
学生数が激減して財政も逼迫していた、そういう時期もあったわけです。また、国策による官立の学校が全国に増えて、義塾とても官立からの差別を受けるようになった、そういう時代でもあったかと思います。ただ、そういう時期に慶應義塾社中一同が力を合わせ、勇気を奮ってその危機を乗り越え、その後の発展をつくり出していったわけです。
福澤先生が亡くなられたのは1901 (明治34)年のことでありますから、その頃あるいはその後に、たとえば1899 (明治32)年には義塾最初の留学生が欧米に派遣され、 1906 (明治39)年には大学院が創設された。 1902 (明治35)年には、三田会が結成されました。
そして1912 (大正元)年のことでありますが、創立50周年の記念事業として、三田の山に図書館、現在の図書館旧館が竣工いたしました。先生のご遺志を継いだ塾員、塾生たちの熱意が、創始者亡き後の学塾をさらに盛り立てていった。慶應の今日をもたらした大きな流れをつくったのは、塾員、塾生たちであったかと思います。
この時代は日本にとっても、欧米列強に肩を並べるに至る急速な近代化への時代でありました。官立学校とは違った形で日本と世界の第一線に根を張っていった塾員の力が、大いに発揮されていった時代でありました。国内はもちろんのこと、早くから海外において活躍する塾員の姿が見られたのも、その流れの代表的なものでありました。
こうしてみますと、いまから百年近く前の創立50周年という歴史の区切りがもしあるとすれば、それは、福澤先生のご遺志を継いで、慶應義塾が日本の近代化の原動力となった、そういう時代の象徴の時期であったというように考えられるかと思います。
官立の学校と私学の差別が歴然としてあった。それを跳ね除けて社会を先導し、日本を先導したのは、ほかでもない義塾社中の方々であったことは、特筆すべきことだと思っております。
余談になりますが、この4 月に国立大学がすべて国立大学法人になる。公立大学もまた同様の道をたどることになります。国公立大学は法人化されるといっても、そんなにすぐに変わることはないでしょうけれども、明治時代以来初めて国立大学が国の直接管轄組織でなくなるわけで、今年からはむしろ慶應義塾のような長い栄光と苦闘の歴史をもつ私学に、国立大学が学ぶことも多くなるものと思われます。
私学は学校法人と申しますけれども、国立大学法人、公立大学法人と併せて、今年は大学・学校の法人並立時代の元年と呼ぶべき年になっていきます。そして、全国の大学・学校の法人並立時代には、慶應義塾こそが「未来への先導」をつとめる時代になると言ってよいかと思います。
なぜなら、 慶應義塾こそが卒業生、学生、教職員、関係者の強い結束のもとに、自らの手で長い歴史と伝統を生みだし、教育、研究、医療のすべてに一流のレベルを持続し続け、向上させて、高いレベルで教学の質、経営の質の両立を果たしてきた、ほとんど唯一の学校であると言っても過言ではないからであります。
話を戻しますけれども、創立50周年をあとにいたしました慶應義塾は、たとえば1934 (昭和9 )年、日吉キャンパスを開設いたしました。今日お話をいただくことになっております神谷健一前評議員会議長をはじめ、多くの方々が、当時の学生として三田だけではなく、開設当初の日吉キャンパスについても記憶されておられるかと思います。
こうして発展してきました慶應義塾にとって、教育、研究、医療、その他あらゆる面で大きな痛手となったのが、さきの太平洋戦争であります。戦争によって亡くなられた塾生、塾員、関係者の方々も多くおられました。義塾は三田校舎の五割強を失い、日吉キャンパスも多大な被害を受けました。
全国の大学、学校の中で義塾が最も大きな戦災を受けた大学、学塾の一つであるということは、よく知られた事実であります。日吉キャンパスが1945 (昭和20)年から1949 (昭和24)年にかけて米軍に接収されていたということも、義塾にとってたいへんな痛手でありました。
こうした中で瓦礫の廃墟、キャンパスの接収、あるいは財政難から慶應義塾を立ち上がらせたものは、それはやはり、義塾社中の一致団結であったと思います。このことは何度繰り返しても申し上げ過ぎることはありません。こうして今日というお祝いの日を社中一同で迎えることができましたのも、戦争で亡くなられた方々を含めて、そうした方々に深く感謝を申し上げなければなりません。
1958 (昭和33)年、歴史の区切りとして慶應義塾は創立100周年を迎えました。そのときはまだ復興の槌音が大きく響いていた頃でありました。冬になれば雪が舞い込むバラックの校舎、カマボコ兵舎もたくさんある、そういう時代であった。それを何とかしなければならない、それができなければ先導者としての教育もあったものではない。100周年という節目は戦後の廃墟から義塾が立ち上がるための節目であったと申し上げてよろしいかと思うのです。
三田の校舎、日吉の校舎、日吉記念館等ができまして、義塾のキャンパスはやっとのことで最低限の学習環境を整えることができるようになりました。 100周年に当たっても社中一同の努力は並大抵のものではなかったわけであります。
施設の面では最低限のレベルに達した慶應義塾でしたが、その後も財政難に悩まされ、また私学の代表格としては政府からの補助金が私学にはほとんどこないという状況を打破しながら、実際にはまだまだ戦争の傷跡は癒えていない、一流と呼ばれるにはほど遠いキャンパスの状況が続いていた、そういう頃でありました。
1983 (昭和58)年、創立125周年を迎えたのは、そうした時期のことであります。 125周年を経てはじめて、義塾は戦後の復興期を乗り越えることができた、そのように申し上げてもよろしいのではないかと思います。
それには終戦以来40年の歳月を要し、また、多くの塾員、塾生、教職員、関係者のたいへんな努力を必要としたわけであります。
その後湘南藤沢キャンパスが1990 (平成2 )年に開かれまして、新しい教育の方法を義塾が先導しましたが、それは慶應義塾が新しい時代への第一歩を記した歴史上の節目として記憶されるでありましょう。また、その後の義塾が産官学連携をはじめとして、学術的な貢献を先導してきたということも特筆されるべきことだと思います。
昨今の慶應が先導的な改革を進め、また、多くの分野にリーダーを輩出して、全国の大学、学校の先導者とみなされるようになっているのも、創立125周年以前、またそれ以降の多くの方々によるご尽力の賜でありまして、新年に当たってあらためて深く感謝申し上げなければなりません。
しかし、それではわれわれの慶應義塾は、今日に至って福澤先生の精神、慶應義塾の目的、さきほど申し上げたとおりでありますけれども、それを実現したと言えるのだろうか。私は、「決定的に否」、であると思います。なぜなら、国際社会は、象徴的に申し上げればベルリンの壁が崩壊したのは1989年、東西ドイツの統合は90年のことですけれども、その前後を境として急速に様変りをいたしました。
では、その先の未来に向けて時代を先導できるような状況に慶應義塾がなっているか、本当に国際社会の第一線に立って未来を先導していく、そういう学塾として機能しているかと問われれば、それはまだまだこれからではないか、というのが私の思うところであります。
民族・宗教圏、言語・文化圏、経済圏、国家圏の複雑化、 多様化、 不透明化の進む21世紀を見通し、未来の世界を先導しうる質の高い教育、質の高い研究、質の良い社会貢献を行っていきたい、しかしそのためには、義塾の教育・研究基盤、キャンパス・施設、財政基盤は、きわめて不十分であると言わざるを得ません。
義塾創立150周年を考えるとき、私は何よりも国際水準での教育と研究の質の向上、またそのための仕組みづくりが最も重要であると考えております。学内におきましては昨年の11月に「教育研究未来会議」と称する会議を立ち上げまして、150周年の時期とその先における義塾の教育と研究の新しい仕組みについて、大学から一貫教育校までを含む関係者に集まっていただいて議論を行っております。
他方、教育と研究の質の向上にはどうしても施設の整備、それから財政基盤の整備が不可欠です。財政基盤の整備につきましては、これまでいろいろな努力をしてまいりました。施設の整備については、学生が安心して勉学や諸活動に打ち込める学習環境は、まだまだ整っていないと思います。校舎にいたしましても、 1958年当時、 100周年の頃に100周年記念事業として建てられた多くの建物がいまでもたくさん使われております。
財政の基盤については努力をしていると申し上げましたけれども、国際水準での質の向上を目指すには、とくに基金の蓄積において、基金というのは運用のできる資産ということでありますけれども、まったく手薄であると言わざるを得ません。
このことは世界の超一流と言われる大学と比較してみればすぐにわかることです。たとえば、 2000年度でハーバード大学の運用資産、基金が約2兆2000億円と言われております。慶應義塾は約290億円で、 現在もハーバードとの比率はほとんど変わっていないと思います。
相応の基金があれば、その果実を学生のための奨学金や教育環境の整備等々に当てていけるわけでありますけれども、それがままなりません。
これまで国内においてリーダーシップをとってきたということは、いま縷々申し上げたとおりでありますけれども、国際水準のレベルでもって慶應義塾が国際社会に貢献していこうと思えば思うほど、まだまだそういった基盤が未整備であると申し上げざるを得ないわけであります。
そのうえで、さらに申し上げたいことは、福澤先生の時代と今との大きな違いであります。現在のわが国は封建制のただ中にあるわけではありません。また欧米列強に追いつくことを目標にするという国でもありません。
いまは、知恵を絞り、確固たるオリジナリティをもって、実践を通して国際社会の安定と発展に主要な役割を果たす、それが日本を新生させていく重要な手立ての一つだと思います。複雑化、多様化している世界と日本の未来を先導する人間を育むこと、未来を先導する学問と価値を創りだしていくこと、それがこれからの慶應義塾が実践すべきことだと思います。
創立150周年は、こうした義塾が具体的な形をとるための出発点になる歴史の節目であるとみなすべきであります。創立100周年は戦争の廃墟からの本格的な復興の出発点でありました。創立125周年は戦後復興の完成点であり、その先への出発点でありました。
創立150周年はその後の50年にわたる慶應義塾の、 21世紀福澤塾としての発展の出発点でなければなりません。福澤先生の「慶應義塾の目的」にあります「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」ということばを、 21世紀の未来にあらためて映し出して、国際水準での「未来への先導」をつとめる、その出発点とするべきであります。
したがって義塾は、国際社会での先導ということを念頭に置いて、国際連携の活動を深めていかなければならないと思っています。たとえば、新聞報道にもありましたけれども、国際的な格付け機関による慶應義塾の格付けは、日本の学校に対する初めての国際的な格付けであります。
これは日本とアメリカの大学をある物差しで直接比較した日本最初の評価結果です。こうした外部評価は国際的活動のための助けになるものと考えております。
またたとえば、湘南藤沢、三田等々で行われております衛星回線を使った外国との遠隔学習、あるいはデジタルメディアとコンテンツの充実・強化等にさらに力を入れていくべきと考えています。
4月に発足をいたします法科大学院は、関係者の確固たる理念と実践により、国際化をひとつの大きな特徴として謳っておりまして、受験時点で外国語能力の証明書、たとえば英語であればTOEFLかTOEIC の成績を提出することを義務づけております。今年で創設14年目を迎えることになります。ニューヨーク学院高等部、受験生の数も伸び始めていて、国際拠点としての姿を見い出だしつつあると思っております。
本日、 「小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト」の表彰がこれからこの場で行われるわけでありますが、いくつかの作品を読ませていただきました。小泉信三賞の小松原優美さんをはじめと
して、 「世界と日本」 あるいは 「命」 「ユーモア」等々、若い人たちの観点がとてもやわらかな視野に立って、しかも深まっているということを如実に感じました。
慶應義塾は、こういう力を秘めた若い人たちを受け入れて、国際的にも質の良いレベルで育んでいく、そういう環境を整えていかなければいけません。
また、直接国際化に結びつくわけではありませんが、私は慶應義塾はある程度多様な学生を育んでいくべきだと思っております。場合によっては、頭脳だけという人間ではなくて、それだけではなく、文武両道にバランスのとれた「端正な人間」を育んでいくことが、国際的な人材の育成につながると考えております。
たとえば、体育会の関係者には、創立150周年を期して「陸の王者慶應」の復活を果たしたいと申し上げることがありますが、慶應の体育会はとりわけ、強さと端正さを兼ね備えた文武両道であってほしい。昨年は、たとえば端艇部や射撃部、自動車部などが全日本学生大会で優勝を果たしておりますが、彼等は決して小さいころからそれだけを専門にやってきたわけではない。
そういう学生でも、たとえば小泉信三先生の言われた「練習は不可能を可能にス」ということの実践によって、できなかったことができるようになる、それが「感動教育実践」の現れであります。
昨年は早慶野球戦100周年でもありましたが、義塾のスポーツには長年の栄光と伝統があります。義塾にとってこれからスポーツをどのように取り扱っていくべきか、塾生の模範として文武両道に優れた、外見も内面も端正な人間をどうやって育んでいくべきか、これもまた創立150周年に向けての大切なテーマの一つであると捉えています。
以上をまとめて申し上げれば、「慶應義塾創立150周年とは何だろうか」という問い、その問いへの私自身の答は《「未来への先導」をつとめる「21世紀福澤塾」の出発点となる》ということであります。未来への先導をつとめる21世紀福澤塾の出発点が、創立150周年を期してやってくるべきであると考えております。
福澤先生が塾を開かれたときの原点に立ち戻りましょう。他方で幕末、明治と現在の国際社会における日本の位置づけはたいへんに違っております。21世紀の未来における日本と世界の姿を描いてみましょう。この背景のもとに、福澤塾の原点を、日本のみならず世界に広げて、創立150周年の時代をみんなで創っていきましょう。
未来への先導を果たす慶應義塾、創立150周年の時代をみんなで創っていく、社中一同で立派につくり上げていく、今年は皆様とともにその準備を始める年になると考えております。
いまから100年近く前、 創立50周年当時、 1907(明治40)年の1 月26日、その年最初の三田演説会が行われました。当時の鎌田栄吉塾長はその演説会においてこう述べておられます。「此50年は、慶應義塾に於て大切なるのみか、日本國の最も大切なる時期である。」そして、こう結んでおられます。
「慶應義塾の如きは國の發達を計る一つの「メートル」になるのです。」あれから100年近くが経ちますけれども、慶應義塾が日本を測る「メートル」である、ということに少しも変わりはありません。むしろ義塾の現在の社会的影響力を考えますと、21世紀の未来に向けて日本を測る「メートル」である度合いは、ますます大きくなっていると申し上げてよいと思います。
義塾社中の皆様とご一緒に、一致団結して《「未来への先導」をつとめる「21世紀福澤塾」》を、創立150周年に向けて生み出していく。今年はその目標をもって、 150周年に向けての準備を始める年に当たると考えております。
本日ご列席の皆様、そして慶應義塾社中すべての皆様のご多幸、ご健康、ご活躍を心からお祈りをいたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
(三田評論二〇〇四年二月号より転載)
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