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2004年03月23日 平成15年度大学卒業式式辞
慶應義塾長 安西 祐一郎
本日ここに卒業式を迎えた諸君、おめでとう。諸君の卒業を心からお祝いいたします。慶應義塾大学に学んだ何年かの間、諸君はそれぞれの学部等で学問を修め、友情を深め、先生方と交わり、あるいはスポーツ、芸術、いろいろな活動に精進してきました。
楽しかったことや、感動したこと、悩んだこと、辛かったこと、さまざまなことがあったでありましょう。そういったことすべてを包んで、諸君が努力を重ねてきた、そして今日卒業の日を迎えた、熱い思い出と友情と感動の体験を胸に、未来への先導者としてこれからの夢に挑戦していく、そのことを心から祝福いたします。そして、これからもチャレンジを続けていってほしいと願っています。
卒業生の諸君を支えてこられたご家族、保護者、関係者の皆様にも、心からお喜びを申し上げます。そしてこれまでのご支援に深く感謝いたします。また、卒業する学生諸君の学業、諸活動を導いてこられた教員の方々、職員の方々にも、この場を借りて深く感謝申し上げます。
今日、壇上には、福澤武評議員会議長、塾員の代表として福原義春資生堂名誉会長、服部禮次郎連合三田会会長、そして常任理事、各学部長、通信教育部長、メディアネット所長、学生総合センター長、塾監局長、学事センター部長の方々が参列しておられます。諸君の後ろには卒業25年目を迎えた、1979(昭和54)年卒業の先輩の方々が列席して下さっておられます。壇上の方々、卒業25年の皆様、ご列席くださっている評議員の皆様、ご家族、関係者の皆様、教職員の方々ともども、学窓を巣立っていく卒業生の新しい門出の日を、希望に満ちた気持ちでお祝いしたいと思います。
卒業する諸君が塾長の話を聴くのは、大学を卒業する塾生としてはおそらくこれが最後でありましょう。諸君をキャンパスから送り出すにあたって、はなむけのことばとして三つのことを諸君に伝えておきます。
一点目は、「誇りをもて」ということであります。とくに慶應義塾大学の卒業生として誇りをもってほしいということであります。
当たり前のことに聞こえるかもしれませんけれども、卒業に際しどうしても伝えておきたい。なぜなら、慶應義塾は1858年に福澤諭吉先生によって開かれて以来、今年で146 年目を迎える、多くの先輩が苦難を乗り越えて社会を先導し、栄光ある伝統をつくってきた学塾であります。いまもあらゆる分野で塾員、卒業生が活躍をしている、名実ともに日本のトップリーダーたる学校です。
今日、日本全国の大学という場が揺れ動いている、あっちへ揺れたりこっちへ揺れたり、外側だけ別の衣に変えて新しい大学だと言うような、そういう大学もたくさん見られるようである。そういった中でわれわれの慶應義塾は、いささかも揺らぐことなく、日本の近代総合学塾として最も長い歴史を創り出してきました。諸君は、その慶應義塾大学の学位を受けて、多くの先輩に続いて未来への先導者になるのであります。その諸君には、ぜひとも慶應義塾大学の卒業生、塾員としての誇りをもってほしいと切に願っています。
卒業生としての誇りをもっているのであれば、諸君は他人を羨むことはない、他人に威張ることもない、まして他人におべんちゃらを言って媚びへつらうこともない。人を羨まない、人に威張らない、人にへつらわないということは、頭ではわかりますけれども、実際には簡単なことではありません。自分の責任を棚上げにして人のせいにする、世の中ままならないことの不平を言って、自分の努力不足はそっちのけにして他人に多くを求める、権力をもつ人にしがみついてへつらう。慶應義塾という学塾の卒業生であることに誇りをもつことができれば、いま申しましたようなことは起こらないはずであります。
福澤先生のことばで言えば、たとえば『学問のすゝめ』十三編に次の文言があります。
「怨望は働の陰なるものにて、進で取ることなく、他の有様に由て我に不平を抱き、我を顧みずして他人に多を求め、其不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。」
他人の幸福を妬み、他人の足を引っ張り、他人にへつらうことに浮き身をやつす人々は、世間にたくさんいます。むしろ、あらゆる分野にわたってそうした人々がいるのが社会のありようであり、人間の業であると言ってよいかもしれません。
しかし、自分に誇りをもてない人々、他人にへつらい、他人を妬む人々には、社会を先導することはできません。民族、国家、宗教、政治、経済、社会、文化、あらゆることが絡み合って不透明さが増している今日の国際社会、また、国内の社会の枠を超えて、21世紀の新しい社会をリードする先導者になることは、そういう人たちにはできません。
もう一度申します。慶應義塾の使命は社会の先導者になることであります。義塾はまもなく創立150 年を迎えますけれども、その長い歴史を一貫して、新たな社会の先導者を育んできました。慶應義塾の歴史は決して順調なものではなく、苦難の連続でありました。遠く明治の初めには、西南戦争によるインフレの影響で学校を閉じようかという時期もあった、あるいは太平洋戦争の末期、キャンパスが壊滅的な打撃を受けたとき、あるいは戦後の復興期、財政窮乏のなかを廃墟から立ち上がったころ、さまざまな苦労があったわけでありますけれども、そういったあらゆる苦難を乗り越えて150年近くにわたるトップリーダーの伝統を創り上げてきた、諸君はその学校に学び、今日卒業するわけであります。
卒業生の諸君には、慶應義塾の伝統を受け継いで、誇りをもって21世紀社会の先導者になってもらいたい。そのための大切な要件として義塾の卒業生であることに誇りをもち、人を妬まず、人に威張らず、人にへつらわないことを心掛けてほしいと思います。
二点目は、「勇気をもて」ということであります。ただし、「正しい知識に裏付けられた勇気をもってほしい」ということであります。
未来社会への先導者になるということは、周りの人々、周囲の状況が自分の志とは違っている、そういう中で、勇気をもって自分の志を実現していかなければならない、そうした場面が多々諸君には出てくるでありましょう。そのときに果敢なる勇気をもって毅然とした行動をしてほしいと願っています。
しかし、勇気というのは猪突猛進することではありません。何の知識も経験もなく、軽率な判断によって行動する、視野の狭い独りよがりの行動、孤立した行動というのは往々にして惨澹たる結果を招きます。そればかりでなく、往々にして他人や社会に長期にわたるダメージを与えることになります。正しい知識や深い経験のない偽の勇気の発露によって悲惨な結果が生じ得ることは、世界史、日本史を問わず、歴史の証明するところであります。戦争や災害や社会のさまざまな場面において、世界と日本の歴史が実証していることであります。
勇気を発揮するには、裏付けとなる正しい知識が不可欠である。また、知識の妥当性を検証する多くの経験が不可欠である。正しい知識に裏付けられた勇気をもつということ、別のことばで言えば「智勇を兼ねる」ということが、21世紀社会の先導者たるべき卒業生諸君に求められる、大切な能力だと思います。このことについて、太平洋戦争の前から戦後にかけて塾長を務められた小泉信三元塾長は、1937年の大学卒業式式辞において次のように述べておられます。
「今日、この国の必要とするものは、学識ある勇者である。一方、学識ある者が屢々逡巡して決せず、他方、断行の勇気あるものが屢々学識を欠くということは、往々免れないところであって、国の不幸はこれより大きいものはない。・・・学識があって而して勇気のある人を必要とすること今日の日本の如く切なる時節はないと申して好かろうと思います。」
時代背景はまったく違いますけれども、小泉先生が昔の卒業式にあたって言われた「学識ある勇者たれ」ということは、今日卒業する諸君にも十分に通用することばだと言わねばなりません。
二つの点を申しました。慶應義塾の卒業生であることに誇りをもってもらいたい、そして、正しい知識と深い経験に裏付けられた勇気をもってほしい、ということを申しました。これらはどちらも、この義塾を卒業する諸君が、未来への先導者としての道を歩むにあたって必要なことであります。
三点目、それは「ことばの力をもて」、ことばの力、言語の力、語力を磨いてほしいということであります。
これからの社会は民族、宗教、国家、政治、経済等々、さらに複雑で動的な関係をもたらしていくでありましょう。諸君はそうした国際社会、国内の社会において、先導的な役割を担っていくことが多々あることと思います。そのときに決定的な要件となるのは、「ことばの力」、「語力」であります。自分の考えを自分の肉声ではっきりと言える、自分で選んだ単語と文章をもってはっきりとものが書ける、他人の痛みを感じることができて、その痛みを包み込むことばを使うことができる、ことばに自分の奥底から生まれるふくらみとエネルギーがある、つまりことばの力がある。慶應義塾の塾生には、この意味で「ことばの力」をもっている学生がたくさんいます。私はそのことをとても嬉しく、また誇りに思っております。
しかし、全国の大学生一般を見ますと、自分の肉声で語ることができない、あるいは自分のことばで文章を書くことができない、そういう学生がたくさんいるように思います。国際社会において正確な知識に基づいて自分の考えを人に伝え、他人の痛みを感じ取るとともに、ときによっては人を説得し、社会を先導していく、それはこの義塾を卒業する諸君の多くが見出だしていく道でありましょう。この道をいくには自分の抱く志のもとで、外国語、日本語を問わず、自分のことばで語り、自分のことばで書く、その訓練をしていかなければなりません。社会の先導者としての諸君に求められる三つ目の条件は、「ことばの力」、「ことばのエネルギー」をもつことであります。
たとえば、福澤先生の「慶應義塾の目的」と題する文章があります。
「慶應義塾は單に一所の學塾として自から甘んずるを得ず其目的は我日本國中に於ける氣品の泉源智徳の模範たらんことを期し之を實際にしては居家處世立國の本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行實踐以て全社會の先導者たらんことを欲するものなり」
有名な文章でありますけれども、福澤先生が「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」と言い切られたこの文章は、先生の志のこもった、私がここで言っている「ことばの力」の優れた例であります。これからの時代には、外国語の能力を磨くとともに、日本語の能力も磨き、自分のことばで語ること、自分のことばで書くこと、「ことばの力」を、とりわけ卒業する諸君には磨いていってほしいと願っています。
慶應義塾の伝統を受け継ぐ学生、卒業生であることに「誇りをもってほしい」、「正しい知識と経験に裏付けられた勇気をもってほしい」、「ことばの力をもってほしい」という三つのことを申しました。私は、諸君がこの慶應義塾大学に学んだ何年かの間に、いま私が申しました三つのことを必ずや身につけているものと思っております。しかし、今日この卒業式であらためてこれら三つの点を諸君に伝えましたのは、諸君が力を尽くしていくべきこれからの社会において、いま申しました三つの点が、必ずや諸君の志と夢を守り、君達が社会に貢献していくのを助けてくれる、大切なことだと考えているからであります。
とくに、今日ご列席いただいております卒業25年を迎えた卒業生、塾員の皆様、皆様が大学に学ばれた頃はちょうど学生運動もあり、また卒業のときには第二次オイルショック、就職難のときであったかと思います。しかし皆様は、卒業後25年の間、日本経済が大きく揺れ、日本の国際的位置づけも大きく変化した20世紀の後半から21世紀にかけて、日本と世界のさまざまな場において社会の先導者として精一杯の努力を果たしてこられました。その過程の中で、皆様は塾員としての誇りと勇気とことばの力の大切さを、身をもって強く感じてこられたに違いないと思います。
慶應義塾には、1963年に発刊された、40年余りの歴史をもつ『塾』があります。『塾』は、これまで年4 回、現役の塾生の保護者の方々に送られてきました。しかし、今日卒業式を迎えた諸君は、卒業してまもなくの今年の夏に、この『塾』という雑誌を受け取ることになるでありましょう。また、卒業25年の皆様、本日ご列席の塾員の皆様にも、同じ『塾』の夏の号が送られるはずであります。今度の7月に発行されるこの『塾』夏号は、現役塾生の保護者の方々だけでなく、住所の判明するかぎりすべての塾員の皆様に送られる予定です。卒業式を迎えた諸君は、本日の卒業式が過ぎても、これからずっと、今日ご列席の卒業25年の塾員の皆様、塾員すべての方々と同様に、慶應義塾の使命を共有する「義塾社中」の一員であります。
私は本日卒業式を迎えた諸君、またご家族、保護者、関係者の皆様、卒業25周年を迎えた方々、さらにはご列席のすべての皆様、慶應義塾社中すべての方々とともに、この卒業式の機会に、あらためて福澤塾の原点に立ち返り、今日はなむけのことばとして申し上げた三つのことを含めて、21世紀の新しい福澤塾の精神をさらに深く、また広く、社中の皆様、もちろん今日卒業式を迎えた諸君と共有していきたいと思っております。
本日をもって慶應義塾大学を卒業する諸君、明日からの新しい人生においては、失敗することも、悩むこともあるかもしれません。しかし、他方で新たな感動、新しい夢の実現に出会うこともあるでしょう。失敗にくじけず、常に可能性を求めて、夢をもって未来に挑戦していってほしいと願っております。また、慶應義塾の塾員としての誇りをもち、正しい知識と経験に裏付けられた勇気を発揮し、ことばの力を尽くして、社会の先導者としての道を着実に歩んでほしいと願っております。
諸君の前途が洋々たるものであることを祈りまして、また、諸君のこれからの健闘を祈りまして、式辞といたします。
卒業おめでとう。
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