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2002年11月21日 日本の大学改革:現状と将来

慶應義塾長  安西 祐一郎
1 フランスと慶應義塾

ジャック・シラク大統領代理Madame Valérie Terranova様をはじめ、フランス政府、産業界、教育界、ジャーナリズム界等の皆様、在フランス日本国大使館の皆様をはじめ、日本政府、産業界、教育界、ジャーナリズム界等の皆様、国際機関などからの皆様、そしてフランスに深く関わりを持たれている慶應義塾の卒業生の皆様にご臨席いただき、本日ここフランス共和国パリの日本文化会館において、慶應義塾長として講演を行うことをまことに光栄に存じます。また、この講演の準備に際し多大なご尽力を賜りましたMaurice Gourdault-Montagne前駐日フランス大使をはじめとする駐日フランス大使館の皆様、磯村館長をはじめとする日本文化会館の皆様に厚く御礼申し上げます。
前回私が家内とともにパリを訪れたのは、今からちょうど25年前、1977年の7月14日、パリ祭の日でした。バカンスたけなわの7月、スペインのマドリードで小さなルノー5を借り、地中海沿岸からピレネーを越えて南仏に入ったとき、国境の役人が我々のパスポートを頭上にかざし、「日本のパスポートは初めてだ」と珍しそうに眺めていたのを思い出します。ニースから飛行機でパリに着いてみると、やや閑散とした夏の街が待っていました。
パリではセーヌ川近くの「オテル・ボン(Hotel Bon)」という小さなホテルに飛び込んだのですが、フロントの夜勤の男の子-ダニエルといいました-がとても親切だったことや、“Cafe, the ou chocolat?”と歌うようにオーダーを取って歩く食堂の女の子のことを、家内と2人今でもよく覚えています。長い間にフランスの方々から多くのことを学びましたが、ずっとフランスに良い印象を持っているのは、あのときの「オテル・ボン」のお蔭もまたあるのかもしれません。今でも「オテル・ボン」はあるでしょうか。
思い出ばなしはそのくらいにして、本題に入りましょう。
私が塾長を務めている慶應義塾は、1858年に福澤諭吉によって創立された、日本で最も長い高等教育の伝統を誇る私立学校です。9つの大学学部、9つの大学院研究科、5つの高等学校(うち1つは別法人)、3つの中学校、1つの小学校、20あまりの研究所や研究センター、3つの病院等からなる大きな組織です。慶應義塾とフランスの関係は、慶應の創立からわずか4年後、1862年に創立者の福澤諭吉がフランスを訪問して以来のことです。福澤は同年3月初めにマルセーユに上陸し、リヨンを経てパリを訪れました。フランスでは、学士院や病院をはじめ多くの施設を見学し、慶應や日本の将来についてもたくさんの示唆を得ています。パリでは大きなホテルに泊まったことが『福翁自伝』(The Autobiography of Fukuzawa Yukichi)に書いてあります。パレ・ロワイヤル広場に面したホテルだったそうです。
その後、フランスのいくつかの大学と慶應義塾の間でさまざまな交流が行なわれるようになりました。現在の交流校を交流開始の順序で申し上げると、パリ第三、エセック、HEC-ISA、パリ政治学院、ECN(ナント)、リヨン第一、ニース、パリ第一、トゥールーズ社会科学大学にお世話になっております。フランスと慶應義塾の交流にご尽力いただいてきた関係者の方々、慶應側では松原秀一名誉教授、戸張規子名誉教授等が本日出席下さっていますが、フランスと慶應義塾の交流に貢献されてこられたすべての方々に深く感謝申し上げます。
さて、慶應義塾は、創立以来一貫して、国のあり方、社会のあり方、教育・研究のあり方を先導してきた学校です。たとえば最近では、新しい教育の理念と方法を実践するキャンパス-湘南藤沢キャンパス-を1990年に創設し、他の大学にたいへん大きな影響を与えてきました。
湘南藤沢キャンパスの教育理念と方法の独創性は、伝統的な学問を学生が受動的に吸収するのではなく、学生と教師が一緒になって問題を発見し、その解決方法を創り出していく点にあります。また、その過程を通して、学生が未知の問題の発見と解決のための知識とスキルを身につける点にあります。
慶應が湘南藤沢キャンパスを開設した1990年の頃から10年あまりの間に、国際社会の状況は急激に変化してきました。また、日本国内の状況も急速に変わってきました。そして、それらの変化が日本の大学全体を揺さぶるようになりました。この数年、国内の新聞、雑誌に「大学改革」の記事が出ない日はないと言ってよい状況です。
私の予測では、現在日本で進んでいる大学改革は、日本の大学間に新たな競争関係を導入することになるでしょう。そしてそれが、教育、研究、社会貢献のレベルを高め、国際的な大学間連携をもレベルアップさせることになると思います。
そうなると、国際社会に現れるさまざまな課題についても、日本の大学を含めた大学のリーダーシップによって、より良い解決を図ることができるようになるでしょう。たとえば、日仏両国合わせ、慶應を含めて約60大学が参加して今年調印された日仏共同博士課程制度は、そのきっかけの一つとなるかもしれません。また、慶應の学生も参加させていただいておりますが、ルノー財団が支援するパリ国際MBAプログラムは、産業界と日本・フランスの大学間のより一層緊密な連携を形成し、大きく国際社会に貢献していくことになると思います。
今日の講演では、日本の大学改革の現状と将来展望について、国際社会の動きとの関係を踏まえながらお話ししたいと思います。

2 1990年:日本の大学改革と国際社会の変化

日本における最近の大学改革は、慶應義塾による1990年の湘南藤沢キャンパス開設をはじめとするいくつかの先端的な試みを経て、具体化が始まったと言ってよいと思います。
たとえば、制度の面から見ると、1991年の大学設置基準の大綱化、平たく言えば規制緩和が、大学改革への具体的出発点の一つとなりました。大学設置基準は、大学の新設や改組の認可基準を定めた文部省令として1949年に施行され、長い間厳格に適用されてきましたが、その規制緩和が1991年を期して始まったわけです。
現在では、大学の新設や改組について、10年前には考えられなかった規制緩和が進みつつあります。一方で、第三者(当該大学および利害関係者以外)による大学評価と評価結果公開の義務づけも予定されており、大学の活動内容の評価と情報公開が急速に進む方向にあります。
こうした変化が急速に生じてきた背景にはいろいろな理由があるかと思いますが、最大の理由をひとことで言えば、大学においても「戦後という特別の時代が終わった」ということです。
日本では、戦後50年近くの間、世界的な冷戦構造のもとで、経済の高度成長と、それを達成する原動力となった産業界・官界・政界・学界の護送船団体制が長く続きました。大学の位置づけもまた、そうした時代の枠組みの中に固定されていきました。
しかし、こうした状況は、1989年のベルリンの壁崩壊を象徴的できごととして、その直後1990年の東西ドイツ統合とともに終わりを告げました。ヨーロッパ統合の流れは、マーストリヒト条約、アムステルダム条約、そして今年1月のユーロ通貨圏成立につながります。その間、ヨーロッパとは物理的な距離を隔てた日本もまた、1990年頃を境として国際政治とグローバル経済の新たな道に踏み込み、現在に至っています。
慶應義塾がその後の世の中に大きな影響を与えた湘南藤沢キャンパスを開設したのは、まさにこの1990年のことです。先ほども申し上げましたが、慶應の湘南藤沢キャンパスにおいて創り出された新しい教育理念と教育方法は、世界的な時代の移り変わりから見ても、新たな時代への先駆けとなったわけです。
1990年頃の時代は、国際的にも新しい時代の出発点でしたが、日本の大学改革においても新時代への転換点だったということが言えると思います。

3 1990年から現在まで

1990年頃以降、日本の大学改革は急速な展開を見せています。その理由として、外的な要因と内的な要因を挙げることができますが、ここでは主な外的要因を列挙してみましょう。

3.1 少子化
第一に、日本では、高等学校卒業年齢にあたる18歳人口が急速に減少しています。日本の大学生の大半は高校卒業直後か数年後までに大学に入学することが多いので、この少子化の傾向は、大学に大きな影響を与えています。
18歳人口は、1991年の205万人から、現在はその約75%に過ぎない約150万人に下がっています。2009年にはさらに、1991年の約60%の120万人になることが予測されています。
一方で、日本には今年4月1日現在で669校の大学(短期大学を除く)があります。内訳は国立大学99校、公立大学74校、私立大学496校で、学生数では私大が約73%を占めています。日本の大学は多くが私立大学である点、フランスとは異なっています。
少子化を背景として、日本の大学は学生獲得競争の最中にあります。競争を乗り越えて個性ある一流の大学として認められるには、大学自らが教育内容や研究推進に知恵を絞らざるを得ない、そういう時代になっています。

3.2 大学入学者比率の増大
第二に、高校卒業生の大学入学者数比率が急速に上昇しています。1963年には高校卒業生の約30%が大学に入学していたのが、現在では約50%近くになっています。これだけ大学進学者が増えてくると、ひとくちに大学生といっても、その内容は昔とは異なると考えられます。
大学側から見れば、どのような学生を入学させればよいか、そのこと自体が競争の種になっています。たとえば、リカレント教育にシフトするとか、留学生の数を増やすか、それぞれに知恵を絞って特徴を出さなければならない学生獲得競争が始まっているわけです。

3.3 入学認定と高校の学習内容
第三に、入学認定の方法や高校の学習内容が変化しています。
フランスには大学入学資格としてのバカロレア等、統一的な資格認定制度があります。一方日本では、大学入試センターが提供している、大学が任意に使える共通試験のほかには、統一的入学資格認定制度はなく、入学認定は各大学に委ねられています。
大学の入学試験は、受験生が高校でどんなことを学んだかによって内容が変わってきますが、高校の学習内容が近年大幅に変化しています。
たとえば、1994年以前は高校では物理、化学、生物、地学が必修でしたが、文部科学省の指導でそれらが選択科目になりました。また、2003年から中学、高校の学習内容が改訂され、数学、理科等の学習内容が削減される予定です。それによって浮いてくる時間は、総合的な学習や生徒の自主的な活動に充てられることになっています。
こうした高校カリキュラムの変化は、大学の入学試験に影響をもたらしています。少子化のもとでの学生確保の目的もあって、大学によって相当に違った内容の入学認定が行なわれるようになりました。
大学によっては、入学認定を甘くすれば学生は集まるが入学後の質が懸念され、質を良くするために入学認定を厳しくすれば学生を集められないということで、知恵を絞らなければならない状況が起こっています。

3.4 国立大学の法人化
第四に、私立大学のみならず国立大学もまた、急激な変化を余儀なくされています。2004年4月を期して、すべての国立大学の「法人化」が予定されているからです。
現在のところ国立大学の教職員はすべて国家公務員であり、国立大学の予算、人事等は、基本的には文部科学省のもとで管理されています。しかし、2004年4月から彼らは公務員でなくなり、予算、人事、意思決定の仕組み等も基本的には各大学に任されることになります。したがって、2004年以降、従来のような「国立大学」は一つもなくなります。また、国立大学の統廃合が進むことになっており、すでに筑波大学と図書館情報大学が合併しています。法人化による意思決定等の自由度の増大と引き換えに、各国立大学法人は文部科学省に活動計画を提出し、計画達成の評価結果に応じて大学への予算配分を受ける仕組みが導入されます。
国立大学の法人化は、もともと行政改革の一環として打ち出された国家公務員定数削減の論議を契機として、検討が始まった経緯もあります。いずれにしても、国家管理から法人組織への移行は、日本の国立大学にとっては歴史上まったく経験のないことで、近代日本の大学制度史において、1872年の学制公布、1918年の大学令、1949年の新制大学の発足と並ぶできごとと位置づけられます。
国立大学の法人化は、国公私立大学間の競争を激化させ、お互いのレベルアップを図ることにつながるでしょう。ただし、国立大学、公立大学、私立大学の理念、歴史、資産、予算等には大きな違いがあります。特に、99校で学生数は大学生全体の約20%、年間約1.6兆円の国家予算を投入している国立大学と、600校近くで学生数は全体の約73%、国家予算は年間約3300億円に過ぎない私立大学について、一律な競争が可能かどうか疑問の点が多々あります。
政治、経済、社会における国際社会・地域社会の多様化・複雑化に対応するために、これからの日本の大学教育にとって重要な施策は、多様な教育・研究環境を生み出していくことです。多様で生き生きとした高等教育環境をもたらすには、個性ある私立大学の財政基盤強化と内容充実が不可欠です。
日本の大学政策においては、多様な教育・研究環境を創り出しながら、フェアな競争関係を育てていくことが重要であると考えています。

3.5 経済状況の変化と産官学連携
第五に、1980年代末から現在まで、バブルの崩壊とその後の経済状況が続いています。経済状況の変化に伴う産業界の構造変化が、積極的な産官学連携を大学に要請するようになっています。
日本の産業界における研究開発は、1960年代に企業の中央研究所設立ブームが起こり、中央研究所と研究開発部門が中心となってなわれるようになりました。その後1980年代になると、企業がさらに基礎研究所を設置して、応用を指向しない基礎研究までも手がけるようになりました。ところが、企業のこうした研究開発戦略はバブル崩壊とともに急速に変化し、多くの研究所が縮小あるいは閉鎖され、その役割が大学に求められるようになりました。
現在、特に経済活性化のために産官学連携の必要性が強く叫ばれており、実際日本においては、企業から大学への転換がある程度成功しつつあるように思います。
こうした産官学連携への方向は、大学間競争において新しい要因を生み出しました。大学によっては、産業界との連携を柱の一つとしてアピールするところも出てきています。

3.6 大学改革の国際的動向
第六に、国際政治の複雑化、経済のグローバル化を背景に、多くの国々で大学改革が進んでいることが挙げられます。特にボーダーレスの経済競争は、アジア諸国をはじめ各国の大学の人材育成、産官学連携、新産業分野創造等に大きな影響を与えています。大学の存在価値自体が国家戦略に組み込まれる傾向も、国によっては強くなっています。
アジア以外では、ヨーロッパ大陸ではEUの新しい動きと並行して、外国での単位履修を義務づけるなど国境を越えた教育が盛んになりました。日仏共同博士課程はその一環とも考えられます。イギリスではサッチャー政権当時からの大学教育・研究評価改革が進みました。日本よりもかなり早くに少子化の時期を迎えたアメリカは、リカレント教育等の戦略によって経営の危機を乗り越えた経験をもっています。
国際的にも大学改革がいろいろな国で並行して起こってきた背景には、第2次大戦の終わりと新しい時代の始まりが、さまざまな国の大学教育や学術研究のあり方を変えつつある、ということがあると思います。
いずれにしても、日本の大学改革には、こうした国際社会の変化、およびそれに対応した諸国の教育改革が、主として政策立案者、助言者である行政・大学関係者を通して影響を及ぼしていると考えられます。

3.7 国家政策の変化
第七に、戦後の終わりを過ぎて、新しい日本を生み出すための政策が次々と打ち出されていることが挙げられます。
たとえば、小泉政権のもとで財政改革、特殊法人改革等の論議が同時並行的に公に進められるようになった一つの大きな理由は、戦後の終わりと日本新生の必要性を日本国民が感じ取っている点にあると思います。教育基本法改正への動きも、こうした背景のもとにあると考えられます。
大学政策についてもこうした国家政策の流れの中で捉えられる機運が熟しており、大学改革が進展する要因となっていると考えられます。

3.8 まとめ
他にもさまざまな要因があるかと思いますが、日本における大学改革の急速な進展が国際社会の変化と並行していることは、大学改革が、戦後の終わりを超えて21世紀の新生日本を生み出すための胎動だということでしょう。
もちろん、政策や外圧のような外部要因を待たず、他人がまだ感じていない未来を知覚して、未来を創る本質的な改革を進めてきた大学もあります。私は、慶應義塾大学が、そうした大学の中でも最も改革の実績を積んできた大学であることを誇りに思っています。

4 日本の教養教育

以下、日本の大学改革に纏わるいくつかの話題について触れたいと思います。まず、教養教育のことについて申し上げます。
制度化された大学教養教育が戦後の日本に導入されたのは、戦後の1949年に、それまでの大学制度に代えて新制大学の制度が発足した時期にあたります。新制大学のカリキュラムでは、人文科学、社会科学、自然科学についてそれぞれ同程度の単位数を、一般教育科目として専門科目とは別に履修しなければならない、と決められていました。
このカリキュラム体系は、戦争直後の米国の影響下で、米国流の教養教育を導入しようとして作られたものとみなすことができます。
教養教育を内発的にではなくトップダウンの制度として導入しようとした結果、大学での教養教育は、日本にはついに根づきませんでした。そして、1991年の大学設置基準の規制緩和によって、一般教育と専門教育の制度的区別が撤廃され、日本の大学における教養教育はいかにあるべきかという議論が展開されました。
たとえば最近では、中央教育審議会等において教養教育のあり方に関する議論が行なわれており、「教養」の概念をどのように捉え、教養教育を大学にどう位置づけていくかは、大学改革の一つの論点となっています。
翻って「教養」とは何でしょうか。時空を超えて人間のあるべき姿を求める「教養」の概念ももちろんあるでしょうが、それと並立して、おそらく時代によって、また場所や国によって違ってくる「教養」の意味もあり得るでしょう。
たとえば日本においては、江戸時代、明治、大正、昭和の時代の「教養」は、それぞれに違ったニュアンスを持っています。江戸時代は武士道や儒学、明治時代は西洋文明・文化についての基礎的な知識や経験が、「教養」という言葉の意味に重なっていたと思います。大正時代は文化的な意味での教養主義が花咲いた時期です。「教養」の時代的意味は、その時代の基盤となっている精神に依存します。
では、冷戦構造と経済成長に象徴される戦後という時代を超えて、複雑な様相を呈する不透明の時代を迎えた日本という場において、「教養」とは何でしょうか。 私は、日本における現代の「教養」とは、「自分を客体化できるための思考基盤」と考えるべきだと思っています。
たとえば、日本の風土と原風景もまた、これからの日本における「教養」概念の確立に関係してくるでしょう。自らを委ねることのできる安定した「原風景」を共有することで、自分を客体化できる思考基盤を磨く余裕が生まれてくる、これからの日本においてはこうした考え方も大切になってくると思います。
慶應義塾大学では、今年7月に「教養研究センター」が発足しました。このセンターでは、「教養」の概念にまつわるさまざまな事柄を研究していきます。私は、21世紀日本の時代精神に関する透徹した洞察なくして、教養教育の技術的な確立は困難と考えています。慶應の教養研究センターでは、時代精神についての根本的考察が行われることを期待しています。

5 大学院の多様化

日本の大学院は、理工系等の分野を除き、主として研究者養成機関としての役割を果たしてきました。
近代的な大学が生まれてから長い間、大学の中心は学部にあり、大学院は学部に付設されたような形になっていました。文部省令で大学院の設置基準が定められたのは1974年になってからのことです。
その原因はいくつか考えられます。
大学進学率が低かった頃は学部が最高学府と考えられていたこと、学部学生の方が圧倒的に多く、学部卒業生が社会に与える影響力が大きかったこと、さらには、経済的高度成長のための協調的働き手を育成するには、大学院生よりも学部卒業生を産業界等が雇用して白紙から教育すれば十分役立ったことなどが挙げられます。
また、理工系では相当数の学生が大学院に入学していますが、いわゆる文系分野においては、少なくともこれまでは、大学院修了者の就職先は限られていました。ただ、仕事の多様化、高度化、複雑化がますます進むこれからの社会において、文系、理工系を問わず、大学院はきわめて重要な人材プールを構成していくものと考えられます。
こうした状況を背景として、大学院の強化が重視されるようになりました。実際、日本の大学の大学院生数は、10万人強だった1992年から10年後の今日、すでに20万人を超えています。こうした中で、学術的な大学院とは別に、社会で働く専門家養成のためのさまざまな大学院が創られるようになっています。
たとえば日本政府は、司法制度改革の一環として、司法試験の改革に乗り出しています。司法試験は最難関の資格試験の一つで、本年度の合格者は約1200名、受験者は約41000名、合格率は約2.9%に過ぎませんでした。また、1年1度の試験に対して平均受験期間は5年を越えており、合格したときには受験勉強で消耗しきっている状況も稀ではないように思います。
一方で、社会の複雑化とともに民事、刑事、その他既存分野の法曹実務は急速に増え、その内容も複雑化しています。医療、情報通信、知的財産権、国際法務等々、法曹実務家のカバーすべき範囲も急速に拡大しています。さらには、法曹実務家の教養、人間性、広範な一般的知識のあり方も問われています。こうした中で、2010年頃までに司法試験合格者を3倍に増やす政策が打ち出されています。
この司法試験改革に向けて、2004年4月から法科大学院の認可が始まることが予定されています。このため、全国の多くの大学が法科大学院設置の準備を始めています。大学で教鞭を取ってもよいという経験豊富な法曹実務家には、複数の大学からオファーが集中する状況となっています。
慶應義塾大学においても、2004年4月設置を目途として法科大学院の計画を進めています。慶應らしい法科大学院を設置すべく、企業法務、渉外法務、国際法務等に重点を置いた検討を進めています。
法科大学院の設置は、日本の大学院制度の多様化を加速させることになるでしょう。専門職大学院としては、法科大学院以外にも経営大学院(ビジネススクール)その他いろいろに考えられ、今後大学院の多様化が急速に進むものと思います。
たとえば慶應義塾大学には、先般もある新聞社のランキングで1位になった、日本で最も長い伝統と実績を誇るビジネススクールがあります。慶應ではこのビジネススクールを、国際的なレベルの本格的経営大学院に改編する計画を進めています。また、的確な予測に基づく合理的長期計画を立てられる戦略構想力をもった社会的リーダーの育成を目指す、戦略構想大学院(Graduate School of Strategy Design)の設置も検討しています。専門職養成のための大学院は、これまで日本ではあまり顧みられてきませんでしたが、今後専門職大学院の設置は大学院の多様化を促進します。また、学術大学院に刺激を与えることによって、学術大学院の教育レベル向上にもつながるものと考えています。

6 競争的研究資金の拡大

日本の大学における研究資金源は、国から52.2%、民間から47.8%となっています。フランスでは国から約90%、アメリカは約67%、イギリスでは約65%ですから、日本は国からの研究資金は決して多くありません。
そうした中で、大学研究者の研究資金として最も広範な分野をカバーしている文部科学省科学研究費補助金は、今年度総額1703億円となっています。この補助金は公募審査によって採択された研究に配分されますが、件数が多く(今年度約45000件)1件あたりの金額はそれほど多くなくテーマも比較的自由な、いわば基礎的な研究資金とみなすことができます。
これに対して最近では、1996年の第1期および2001年の第2期科学技術基本計画を背景として、戦略的創造研究推進事業、未来開拓学術研究推進事業、その他、採択件数が少なく、テーマが絞り込まれ、1件あたりの金額が年間数千万円以上になるような、競争の激しい公募研究資金が増えてきました。今後、国からの研究資金についてはこうした競争的資金の割合がますます増え、大学間、研究者間の獲得競争が激化していくと思います。
このような競争政策を顕著に表現した最近の例として、文部科学省が打ち出した「21世紀COE(Center of Excellence)」と呼ばれる研究資金(正確には若手研究者や博士課程学生の育成支援資金を含む研究教育資金)が挙げられます。当初トップレベル30大学のランキングを国がつけるという衝撃的な政策として「トップ30大学」の俗称でマスコミに取り上げられ、大きな反響を呼んだ政策です。
この政策については外国のジャーナリズムからのインタビューも多々受けましたが、ここでまとめてお話ししておきましょう。「21世紀COE」は、各年度5分野ずつ、計10の学問分野(うち1つは同一分野の2年間重複)について、大学院研究科専攻レベルの研究および博士課程教育の拠点形成プログラムを全国の国公私立大学から公募するものです。応募の際には、研究者の研究教育実績、拠点形成の将来計画、および学長のリーダーシップと大学全体の将来構想を提出します。応募したプログラムについて、審査によって1分野あたり20件程度の研究教育拠点を選定し、5年間にわたり(2年後の中間評価を経て)資金を交付する、というスキームです。つまり、すべての大学に開かれた、しかし応募した大学すべてが同じラインに立って競争する、ということです。
今年度の総予算額は182億円で、すでに募集、審査が完了していますが、「生命科学」、「情報・電気・電子」、「化学・材料科学」、「人文科学」、「学際・複合・新領域」の5分野について、計464件の応募があり、合わせて113件の拠点が選定されました。選定された拠点数だけを見ると、トップ5は、1位東大、京大(各11件)、3位名古屋大学、大阪大学(各7件)、5位東北大学、慶應義塾大学、早稲田大学(各5件)となっています。小規模の私立大学でも選定されているところがあります。なお、慶應の場合、応募した5件すべてが選定されています。交付金額は総額約167億円、大学別では1位京都大学(約19億円)、2位東京大学(約18億円)、3位大阪大学(約12億円)、4位慶應義塾大学(約9億円)、5位東京工業大学(約7億円)となっています。
21世紀COEの政策について、これまでほとんど競争環境のなかった日本の大学に、国公私立大学すべてにわたる競争関係を導入したことは評価すべきと思います。182億円程度の予算で全国の大学学長を走らせ、あるいは少なくとも学長のリーダーシップを考える状況を大学に与えたことは事実であり、日本の大学改革を促進する役割を果していると言えるでしょう。
もちろん、募集から審査の期間が短かったこと、審査基準の詳細が公開されていないため応募した側にとっては採択・不採択の評価理由が分かりにくいこと、長年にわたって多額の資金が注入されてきた国立大学と不公平な寄付税制等のもとで自己経営努力を基本として教育・研究を行なってきた私立大学をまったく同じ基準で評価することの不公平さ等、さまざまな批判もあります。私自身は、伝統的な分野と伝統的な組織の枠をはめて公募を行なうと、従来の殻を守ってきただけの組織が評価される可能性があることを、早くに指摘した覚えがあります。
実際、当初から予測されていた通り、これまで国家予算が際だって多く注入されてきた主要国立大学に、さらに国家資金が流入する結果となりました。こうした大学にとっては、21世紀COEによる研究教育資金はとりたてて騒ぐほどの額ではありません。むしろ、国家予算の投入額が国立大学に比べて圧倒的に少ない中で自己改革を重ねてきた慶應や早稲田のような私立大学が、トップレベルの国立大学と肩を並べる評価を得ていることの方が、大学のあり方として注目に値するように思われます。
なお、来年度は「数学・物理学」、「医学系」、「機械・土木・建築」、「社会科学」、「学際・複合・新領域」の5分野が募集されることが決まっており、今年度以上の大学間競争が起こる可能性もあります。

7 産官学連携

フランスを含めていくつかの国々において、大学と産業界との連携が強くなってきています。日本においても、1990年代になってから急速に産官学連携が推進されるようになりました。パリに向けて発つ直前の去る11月18日に東京で「産学官連携サミット」が開催され、多数の参加者がありました。私自身大学側の2人の代表者の1人として、産官学連携のあり方と慶應の取組みについて述べたところです。
科学技術に関する産官学連携強化政策は、日本では、内閣府、経済産業省、文部科学省、他の省庁等にわたる多くの政策を総合して取られています。具体的な政策としては、1995年の科学技術基本法制定を皮切りに、96年科学技術基本計画策定、98年大学等技術移転促進法(TLO法)制定、99年産業活力再生特別措置法(日本版バイ・ドール条項)制定、2000年国家産業技術戦略取りまとめ、産業技術力強化法制定、2001年第2期科学技術基本計画策定、同年の省庁再編に伴い内閣府に総合科学技術会議発足等と続いてきました。
こうした中で、企業から大学等への研究開発外注額は、1994年の約1600億円から1999年には2300億円程度に増加しています。特に、企業から大学への委託研究費は、国内の大学に対しては1991年の約450億円から1998年には600億円程度に上昇しています。ただし、外国の大学に対しては1991年の約550億円から1998年には1400億円近くにまで増大しており、外国の大学への投資額の上昇が顕著になっています。この事実は、産官学連携に関して国内外を問わない大学間競争が起こっていることを示唆しています。
慶應義塾大学は、創立以来の実学の精神に基づき、産官学連携にも力を入れてきました。たとえば、大学院理工学研究科付属の「慶應義塾先端科学技術研究センター」では、100件を越える産官学共同研究を、生命科学、電子、情報、通信、機械、化学、材料、ロボット、その他多くの分野にわたって行なっています。また、医学部付属の「総合医科学研究センター」では、約45件にのぼる産官学共同研究を、新医療技術、再生医学、創薬、その他多岐にわたり行なっています。湘南藤沢キャンパス(SFC)では「SFC研究所」で、次世代インターネット、E-learning、コミュニティシステム実験、E-care、電気自動車システム、その他新しい分野の産官学共同研究を行なっています。
他にも、神奈川県川崎市の協力を得て「慶應-川崎タウンキャンパス」を川崎市に置いています。そこではたとえば、ヒトゲノム解読計画の重要な一端を担った21番・22番染色体のゲノム解読に世界で初めて成功した生命科学プロジェクト、世界最高速のプラスチック光ファイバー技術を核とするギガハウスタウン・プロジェクト、リアルタイム通信インタフェース部分の国際標準化が作業段階にある高性能リアルタイムマイクロプロセッサ、ロボカップ2002で中型機部門の世界一に輝いた自律移動知能ロボット、遠隔手術の実用化を目指すバイラテラル遠隔操作システム、その他世界最先端の研究開発を行なっています。また、山形県と鶴岡市の協力を得て鶴岡市に「先端生命科学研究センター」を置き、ポストゲノムおよびバイオインフォーマティクスの研究開発を行なっています。さらに、イギリスの「人文科学研究センター」では、聖書等の古典原本のディジタル化を大英図書館等と共同で行なっています。先般はケンブリッジ大学コーパス・クリスティコレッジの協力を得てベリー聖書のディジタル版を完成しました。
一方で慶應義塾大学は、1998年に知的資産センター(Intellectual Property Center)を設置しました。同センターは1999年にTLO法に基づく承認TLO機関となり、特許をはじめとする知的財産の申請・保護・蓄積・管理・利用等、技術移転・ライセンシング、さらには啓蒙活動、知的財産に関する教育等を行なっています。今年10月時点で特許出願約280件、特に学生の発明に関わる特許出願が50件以上あります。また、技術移転契約は約50件にのぼり、商品化された技術もいくつか出ています。
もちろん、慶應義塾大学の研究には、産官学連携によらないものが数多くあります。人文科学、社会科学、自然科学、医学、工学、学際的学問分野、その他さまざまな分野で、アカデミックな研究がたくさん行なわれています。慶應の歴史は、社会に中立なアカデミズムの立場と産官学連携のような社会コミットの立場の両方を貫いており、現在もそれは一貫しています。このことは、以下に述べる大学の存在価値について、大切なことを示唆しているように思います。

8 大学の存在価値:社会中立と社会コミット

大学改革について語ろうとすると、大学が時代の流れに単に取り込まれているかのように伝わってしまう可能性があると思います。そうだとすると誤解を招くことになるので、ここで大学の存在価値について述べます。
大学は社会の支点です。国際政治の状況、経済市場の状況から、国や地方自治体の行財政政策、国政選挙、地方自治体選挙、マスコミの論調等々、さまざまな要因によって、社会の動向や風潮や流行は短期的に揺れ動きます。大学は、その短期的波長を超えて、長期的視野に立った崇高な人間精神の涵養、教養ある人間の育成、オリジナルな知的価値の創造、社会のあり方の探求を行なう場であり、その意味で、大学は社会から基本的に中立な組織でなければなりません。
しかしまた大学は、社会に役立つ人材の育成、知識の社会還元、医療・健康支援、産官学連携等を通じて社会に直接貢献し、実世界を開拓していく組織でもあります。大学は、時代、歴史、国家、政治・経済・社会の世界的・地域的状況と関係しながら、卒業後社会に貢献していく人々の学びの場として、また学問の成果を社会にもたらす組織として、社会に積極的にコミットする組織でなければなりません。
21世紀の大学は、社会から中立的な立場と社会にコミットする立場の両方のバランスを、ダイナミックに取りながら発展する、そういう組織を念頭に置くべきだと思います。
たとえば慶應義塾大学は、1858年に福澤諭吉によって創設されて以来150年近くの間、伝統と実績を誇る学塾として、一貫して「独立自尊」の人間精神を涵養し、個の確立と民主主義を基本とする国家・社会のあり方を探求し、社会科学、人間学、医学、健康、自然科学、工学等の分野、さらには新たな学際的分野にわたって新しい多様な価値を創造してきました。
一方で慶應義塾大学は、政治、経済、行政、法律、教育、医療・健康、科学・技術、芸術、その他あらゆる分野に人材を輩出するとともに、多くの新しい社会活動の分野、産業の分野を興し、社会を直接にも先導してきました。
日本の近代を、封建国家から近代国家への第一の開国(1868年)、軍事中心の近代国家から経済中心国家への第二の開国(1945年)、経済中心の国家から国家新生への第三の開国(現在)の3つの節目によって大雑把に分けてみると、慶應義塾大学は、そのすべてを通して揺れ動くことのない理念と信念をもった私立の学塾として、社会に中立な立場を堅持し、社会の長期的発展に大きな貢献を果たしてきた大学であります。また、すべての節目にわたって社会に積極的にコミットし、社会の変化を先導してきた大学でもあります。
フランスの大学およびグランドゼコールもまた、フランスという国の長い歴史を貫くとともに歴史にコミットしてきた高等教育機関であります。フランスにおいても日本においても、大学の存在価値は歴史を貫くことによって高まり、また歴史にコミットすることによって高まるのです。

9 近代日本の大学史

日本では私立大学、公立大学、国立大学が併存しています。またバカロレアのような統一的入学資格制度も基本的にはありません。このように、日本の大学全体の骨格はフランスとはかなり違いますので、そのことについて触れておきます。
それぞれの国に特有の高等教育史があるように、日本の高等教育にも長い歴史があります。近代の大学に連なる教育組織の原点の一つとしてよく取り上げられるのは、1630年に林家の私塾として江戸に創設され、その後幕府直轄となって、合わせて約240年の間姿かたちを変えながら続いた「昌平坂学問所」(時代によって名称は異なり明治初期には国の教育機関として大学校と呼ばれるようになった)で、旗本の子弟を中心に諸藩の藩士に学問を授けたところです。その後、幕末が近づくにしたがってさまざまな学校が生まれ、特に、新しい理念をもったいくつかの私塾が創られました。たとえば、1857年に吉田松陰が主宰者となった「松下村塾」は、高杉晋作、伊藤博文をはじめ幕末から維新に活躍した志士を多く輩出した代表的な学塾です。また、慶應義塾大学は福澤諭吉が1858年に創った蘭学塾を原点としています。
慶應義塾のような私塾がその後の私立大学の母体となっていったのに対して、幕府が幕末の1856年に設置した「蕃書調所」のような国家機関がその後の国立大学の源流となっていきます。このように、日本では私立大学と国立大学の相違が、1868年の明治維新による近代化以前から歴史の底流として存在していました。入学認定についても、大学入試センターがオファーしている任意の共通試験はあるものの、すべての大学に共通した入学資格制度がないのは、こうした歴史の流れから来ているのかもしれません。
特に、明治維新以後、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げは私学が行なったと言って過言ではありません。初代の文部大臣、初代の東京大学総長は、ともに慶應義塾の出身者でありました。
また、明治初期に官界、教育界、経済界で活躍した人々の中には慶應出身者が多数いました。慶應の卒業生の活躍が主として経済界で目立つようになったのは、1881年の政変以降のことです。
こうした中で、明治政府は、欧米列強に追いつくための国力増大に向けて、官立の大学を設置するようになりました。
たとえば、それまであった東京開成学校と東京医学校を合併して1877年に東京大学が設置され、1886年には帝国大学令により東京帝国大学(現在の東京大学)となりました。この東京大学をはじめとする旧帝国大学は、その国家官僚育成の理念についてはフランスのエコール・ノルマルやエコール・ポリテクニークのような国家官僚養成校の理念を受け継いでいるように思われます。また、研究を行なってその成果を教育に反映させるという教育・研究方法についてはドイツ流の考え方を受け継いでいるように思われます。たとえば講座制のような教育研究システムは、1810年にベルリン大学を創設したアレキサンダー・フォン・フンボルトの影響を受けていると考えられます。
一方、私立大学は、多くが独自の建学精神をもって創設され、それぞれ仏、英、米などの大学の影響を色濃く受けています。しかし、私立・官立を問わず、大学の組織はおしなべてドイツ流の、専門分野ごとに縦割りの学部・学科等を設け、専門分野の研究者としての学者が教育を行なう類の組織になっていったと言えるでしょう。
戦後になって、米国の影響下に置かれた日本は、米国流学部教育のリベラルアーツ的な考え方を、国公私立を問わず導入しました。もともと英国のリベラルアーツ教育の影響のもとに始まった米国の大学学部教育は、今日に至るまで英国流の大学教育を基本としており、それが戦後わが国に導入されたと見ることができます。
ただし、米国流のリベラルアーツ教育は、先にも述べたように、1949年の新制大学制度の施行によって半ば強引に輸入されたと言ってよいでしょう。
この米国流教育の導入は、それまでのドイツ流学部教育体制を覆すことはありませんでした。それまでの大学予科と学部専門課程を統合して新制大学が生まれたとき、基本的には、予科の内容を学部低学年のカリキュラムに移行して一般教育と称する共通科目とするに留まり、専門教育の部分は高学年の部分にそのまま残りました。
このため、専門分野にこだわらない米国流の横断型学部教育組織は低学年のところに導入され、高学年の部分には専門分野縦割りの学科や講座が残りました。こうしてわが国の大学学部教育では、ドイツ流専門教育と米国流リベラルアーツ教育が単に形だけ接着されたような組織で行なわれるようになりました。
このような、木に竹を継いだような組織形態は、いわば戦争の落とし子だったのですが、戦後50年近くの間、大学設置基準の省令のもとで厳しく保たれてきました。米国のリベラルアーツ教育では、分野横断型を維持するために、教員によるカリキュラムデザインと学生による科目選択の両方に相当の自由度があります。ところが、わが国の学部教育カリキュラムは、長い間きわめて厳格な規程のもとにあって、国公私立を問わず、どの大学においても同じようなカリキュラム体制が組まれていたのです。
ところが、大学審議会答申に基づく1991年の大学設置基準大綱化によって、教養教育や専門教育のカリキュラム等の制約が大幅に緩和されました。これによって、学部教育の方法は基本的にはそれぞれの大学が自由と責任をもって決めることができるようになりました。大学側の反応は当初鈍かった面もありますが、その後10年あまり大学改革がどのように進展してきたかについては、先に述べた通りです。

10 日本の大学改革:課題と展望

日本の大学改革全般について、課題と展望を述べておきます。
日本では現在、行財政構造改革と景気浮揚の2点について、どちらが先か、同時に進めるべきか、あるいは構造改革を基本路線とするなら景気対策をどのような政策によって付随させるか、といった議論が白熱しています。
いずれにしても、現在の日本の状況は、戦後半世紀にわたって成功を収めてきた産官政学護送船団体制が、戦後の終わりとともに崩壊しつつあることの現れと考えられます。
こうした状況を克服し、日本が国際社会の先導的メンバーであり続けるためには、大学改革による新生日本の人材育成、未来社会基盤の創造、国際社会への貢献は必須の条件です。
大学改革の現状は、速さはともかくとして、基本的にはこの方向、つまり希望多き方向に進んでいると思います。国立大学の法人化、私立大学の寄付税制の規制緩和等はこのために役立っていくものと思います。
ただ、21世紀の日本新生を図り、未来の国際社会に優れた貢献をしていくためには、大きな課題があることは疑いありません。たとえば、高等教育への国家投資額は、対GDP比で約0.43%で、他の先進諸国に比べて際立って少ない状況にあります。他の国の例を挙げると、フランスは1.01%、ドイツ0.97%、スペイン0.84%で、日本の約2倍程度になっています。
一方、日本政府の高等教育投資は、国立大学には1.6兆円、私立大学には約3300億円で、大学の数を考慮すると、私立大学に圧倒的に少ない状況となっています。もちろん私立大学は自らの建学の精神によるところが大きいのですが、私立大学の学生数比率が約73%に及ぶことから、日本政府の高等教育に関する方針が、高等教育予算を低く抑えておきながら、大学レベルの人材育成の大半を私立大学に頼ってきたことは否めません。
こうした状況を克服して新しい日本、新しい世界に貢献する人材を育み、新たな知的価値を創造していくには、私立大学の財政基盤を強化し、私立大学の特性を活かした多様な人材育成、多様な知的価値創造を行なえるようにすることが不可欠であります。
この数年、日本人がノーベル賞を受賞する機会が増えてきました。今年は物理学と化学で日本人がノーベル賞を受賞し、とりわけ田中耕一氏の化学賞受賞は、大学院に行かずに企業に就職して地道に研究開発を続けてきた技術者が受けたノーベル賞として話題になりました。このニュースは、基礎研究の成果が必ずしも国家政策的なトップダウンの研究資金だけから生み出されるとは限らないことを示した例として受け取られています。
結局のところ、外圧によって、あるいは限定的な国家政策だけによって教育と研究の方向づけを行なっても、それだけでは、感動をもって人を育み、新しい多様な知的価値を創造し、実の世界を開拓していくことは困難であります。学ぶこと、知ることは、本来自らの志とチャレンジ精神によるもので、そのことは個人だけでなく大学組織についてもあてはまります。
とりわけ日本においては、戦後という特別の時代を超えて新たな出発をするために、政治、行政、経済、教育、研究、その他あらゆる分野での「自己改革」が不可欠です。
特に、現在の大学改革を越えて21世紀の高等教育を創るには、教育への国家投資額の増大、私立大学の財政基盤の強化、そして大学自身の「自己改革」が最も重要と考えられます。

11 慶應義塾の総合改革

これまで述べてきたように、日本における現在の大学改革は、すでに終わっているはずの「戦後という時代」を乗り超えるまでを目標とした改革と位置づけられます。つまり、今の大学改革は、21世紀の大学像を具体化するためというよりは、過去を乗り越えるための改革であると思います。
現在の大学改革を超えた先導的方向づけは、1980年代から1990年頃にかけての大学改革黎明期にそうであったように、理念と信念と勇気に満ちたいくつかの先進的大学の「自己改革」によってなされなければなりません。慶應義塾大学は、そうした「自己改革」の先頭を切る大学であります。
実際、慶應義塾大学では、1990年の湘南藤沢キャンパス創設に続き、1996年から数年にわたって理工学部と大学院理工学研究科の総合的な変革を、誰にも強制されない、外圧もない「自己改革」によって実現しました。その骨子は、学部においてはボーダーレス時代に世界のどこに行っても通用する学問体系を教育し、大学院においては学生個人の自律的な判断力と実行力を教育する体制の実現でありました。
慶應では他にもさまざまな改革を行なってきましたが、特に昨年9月、「感動教育実践」、「知的価値創造」、「実業世界開拓」という3つの目標を含む「慶應義塾21世紀グランドデザイン」を発表しました。このミッション・ステートメントには、教育先導、学術先導、新実業先導、知識・スキル先導、知的社会基盤先導、キャンパス環境先導の6つの先導項目を書き込んでおり、これらの実現を通して国際社会に貢献することを慶應義塾の使命としています。
また、私学としての経営面では、今年2月に「合理と独立の学校経営」を学内に提示し、責任と権限の明確化、個人・組織・財政の独立を目標に掲げています。
さらに、こうした目標の実現に向けて今年7月に「総合改革プラン」を策定しました。この総合改革では、先導項目の実現と経営改革を含めた計画を、慶應独自の「自己改革」として実施に移すこととしています。たとえば、国際的な大学間連携強化、新しい大学院群の創設とその連携強化、新しい総合的研究推進の仕組みの実現、財政・経営システム改革、人事・給与制度改革、病院経営改革等が、総合改革プランの中に位置づけられています。とりわけ、フランスの大学や研究機関等との交流強化は、これからの慶應にとってきわめて重要と考えています。
現在の大学改革では、国立大学の法人化をはじめとして、基本的には大学横並びの活動が多くなっています。しかし、これからの日本の高等教育は、学生にも研究者にも多様な挑戦の機会を与えられる多様な場の創造に向かわなければなりません。
そのためには、大学改革の現状を超えて、それぞれの大学が独創性溢れた「自己改革」によって、未来を切り開かなければなりません。私は、慶應義塾大学の「総合改革プラン」をその先駆けとして位置づけています。
政治、行政、企業、大学、NPO、NGO、その他大半の組織、また国家自体、21世紀の新体制をまったくの白紙に描くわけにはいきません。現在動いている組織や体制を新しい社会に通用するように脱皮させていくにはどうすればよいのでしょうか。 このことは、今なお日本の大半の組織、特に大学に対して問われていることです。
変化と喧騒の社会にあって、大学が社会中立的な責任を全うしつつ、社会のありようを先導するためには、オリジナリティのある自己改革を続けなければなりません。先にも述べた大学の存在価値を考えてみれば、大学こそが、自己改革によって未来の希望多い世の中を創る先導的役割を果たすべきです。
慶應義塾大学の長年の歩みは、戦後という特別な時代を乗り越えるだけでなく、国際社会に貢献する新しい日本の創造が可能であることを示唆しています。あと数年で創立150周年を迎える慶應義塾大学の今後の展開は、希望溢れる未来の世界をもたらす自己改革の存在証明として位置づけられるでありましょう。


(フランス語はこちらに掲載しております)

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