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2001年06月01日 塾長就任にあたって

慶應義塾長  安西 祐一郎
5月28日、鳥居前塾長の後を受け継ぎ、塾長に就任いたしました。

この8年の間、鳥居前塾長のリードのもと、各常任理事、教職員の皆様、学生、生徒の皆さん、卒業生、そして塾を愛する多くの方々のご尽力によって、慶應義塾は大きな発展、拡大を遂げてきました。このことにつきまして、あらためて心より感謝申し上げます。

これまで本当に多くの方々が、福澤諭吉先生以来の建学の精神を胸に、文字通り身を削り命を賭けて143年の重みある歴史を創ってこられました。そのご献身を思うとき、慶應義塾の塾長職を引き継ぐ者として、責務の果てしない大きさを感じざるを得ません。また他方で、未来の社会のために慶應義塾こそが担うべききわめて大切な役割を思うとき、その責務に挑戦するエネルギーもまた、自分の心の奥底からふつふつと湧いてくるのを止めることができません。

福澤先生の著作にある有名な文言の一つに、次の一節があります。「ソコデ東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である。」(新訂『福翁自伝』富田正文校訂、岩波文庫、1978年、206ページ) 。

合理的思考の知性と独立の心情を持たなければならないと福澤先生が繰り返し説かれたことはよく知られています。福澤先生の大きな特徴は、先生ご自身がその「知」と「情」のバランス感覚にきわめて優れた人物であった、ということです。

そしてさらに、一生を通じてそのバランスを持ち続け、理念としての「独立自尊」を語り続けた意志と実行力は、「意」においても強靭なものをもっていたことを窺わせます。福澤先生は、「知」「情」「意」を揺るぎなく、しかもきわめてバランスよく三立させ得た稀有の人物でありました。

「知」「情」「意」の揺るぎなき三立というのは、言うに易く行うに困難なことです。幕末の大転換期には、多くの人々が「知」に溺れ、あるいは心の「情」にこだわり、あるいは「意」に走って命を落しました。

福澤先生は違っていました。混乱の時代にあって先生が世の羅針盤となり得、人々の心に大きな影響を与え得た大きな理由は、目まぐるしく転変する状況の中で、心の底では人々が「知」「情」「意」の揺るぎないバランスをもつ人物を求めていたことにあると思います。

独立自尊の精神とは、実は、自らの「知」をもって状況を冷静に判断し、「情」をもって他人に接し、「意」をもって方向を定め、それらを三立して揺るがない精神のことではないでしょうか。その精神には強靭さが要求されますが、実は、人間誰でもが自ら、経験と知識のバランスを通して学ぶことのできるはずの、本来の意味での「常識の精神」なのではないでしょうか。

福澤先生のことを長々と申し上げたのは、現在のわが国と世界の状況をみるとき、慶應義塾からあらためてこの「常識の精神」を鼓吹する必要があると思うからです。特に、目まぐるしく変化する社会に対して中立な立場を貫くとともに、他方でその社会に対してオリジナリティをもってコミットする立場を築き、その2つの焦点をダイナミックにバランス良く保ってゆく「常識の精神」を、21世紀の社会に対して慶應義塾が発信すべきだと思うのです。

慶應義塾の使命は、建学の精神のもとに、人を育み、学問と価値を創り、世界に貢献することを通して、社会を先導することにあります。この使命が本質的に果たされるとき、慶應義塾は世界のリーダーとしての地位を揺るぎなきものとし、国際社会から尊敬の念をもって迎えられる学塾となるでしょう。

これからの慶應義塾は、この使命を果たすことを目標として、特に教育と研究、そしてさまざまな社会貢献について、内容の充実を図り、名実ともに国際的なトップリーダーとなるための質的な基盤を確立しなければなりません。

世の中では、これからの学校のあり方について、マスコミを含めて議論が百花繚乱の状態です。ある人々は象牙の塔路線、ある人々は産業化路線を主張します。

しかし私は、社会中立と社会コミットの2つの焦点をダイナミックにバランスさせ、慶應義塾の使命の実現に向かって多くの人々が多様な形で参画してゆく、有機的なシステムとしての慶應義塾を思い描いています。この基本的な構想は、先に述べた福澤先生の「常識の精神」を、あらためてダイナミックなシステムとして21世紀の姿に立ち上げたものと考えることができます。

塾の組織は、私たち一人ひとりがこうしたシステムの創造に参画することを喜びとすることができるような、そういう組織でありたいと願っています。

そのためには、各キャンパス、教育・研究組織、社会貢献のための組織等における活動の中身の充実を図るとともに、これらを有機的に結合した多様な場と組織のグランドデザインを、あらためて策定していく必要があります。

教育においては独立と共生の心を持つ人間を育み、研究においては学問の本道を拓き、社会貢献においては情報公開と説明責任の原則のもとに創造的な役割を果たしていくことが大切です。また、人を活かし、それぞれのメンバーが自らの能力を発揮できる職場を創っていくことが重要です。

こうしたグランドデザインとその具体化には、さまざまな部門、組織、キャンパス等の間の有機的な関係づけが必要であります。たとえば、環境の問題については塾内の多くの教育・研究組織が関心をもっていますが、これらを総合的に関連づけ、学生からも研究者からも見通しのよい学びの場を創る、といったことは一つの例だと思います。

また、別の例として、学事、総務、財務、人事、施設、その他多くの活動を、縦割りの壁を超え、相互の連携をもってダイナミックに行なわなければ、慶應義塾の強さを発揮できる総合的な教育・研究の場は生まれません。特に、教育、研究、社会貢献の質的な充実によって国際的なリーダーの地位を揺るぎないものにするには、学事の基盤強化のみならず、財政・組織基盤の強化とそのための構造改革の断行が必要であります。

それは簡単なことではありませんが、慶應義塾の教職員、学生、卒業生、関係者が、塾の使命を理解し、共有することによって、有機的な関連性をもったシステムとしての慶應義塾を創造してゆけるものと信じております。

慶應義塾教職員の皆様、学生諸君、卒業生の方々、すべての関係者の皆様、私はこれからの慶應義塾がその使命を果たすことができるよう、全力をあげて努力を重ねる覚悟です。皆様それぞれに、国際社会のリーダーを目指す慶應義塾の使命を共有していただき、さまざまな議論を踏まえつつ、その実現に参画していただければ本当に嬉しく存じます。

 皆様のこれからのご指導ご鞭撻ご支援をあらためてお願い申し上げ、塾長就任のご挨拶とさせていただきます。

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