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2002年01月10日 年頭の挨拶

慶應義塾長  安西 祐一郎
本日ここに、第167回目の福澤諭吉先生のお誕生日を、皆様とともにお祝いできますこと、まことに嬉しく光栄に存じます。また、併せて平成14年、2002年の新しき年、21世紀の新しい時を刻むこの新年の門出に皆様とご一緒に過ごすことができますのを、心から感謝いたしております。

昨年は、皆様よくご存じのように、福澤先生がお亡くなりになられて100年目の年であり、2月3日に東京麻布の善福寺におきまして、福澤先生没後100年の記念の会が執り行われました。また、東京、大阪におきまして没後100年の記念展が行われ、多数の入場者がありました。ほかにも多くの行事が行われました。今年は福澤先生が亡くなられて101年目になります。

そして皆様の心のふるさと、慶應義塾関係者の心のふるさとである慶應義塾が、1858年福澤先生によって開かれてから今年で144年目に入ります。167回目のお誕生日の年であり、亡くなられて101年目であり、慶應義塾が開かれて144年目の新しい年を、皆様とともにお祝いしたいと思います。

新年でありますので、慶應義塾の来し方についての私の想いと、これからの慶應義塾について私なりに考えますことを、この場をお借りして多少申し上げたいと思います。

いま、144年と申し上げましたが、もちろんその間に幕末、明治以来、慶應義塾が大きく発展してくるにあたっては、たくさんの方々のご尽力、ご貢献があったわけであります。慶應義塾のこれまでの先人の苦闘、先輩の方々のご努力は、皆様よくご存じの通りです。

今日講演される玉置紀夫君は、最近福澤先生の実業人としての生涯を英語の書物として出されており、それにも新しい面が書かれています。私自身、自分なりにいろいろ考えてみて、いったい福澤先生がどうしてあの時代に、ああいうふうに主張を貫かれ、また、言説が人口に膾炙して、いまに至るまであるいはこの先にも、その思いがずうっと伝わってき、これからも伝わるものであるのか、思い当たることが一つあります。そのことをまず申し上げます。

私の福澤先生の一番古い記憶というのは、昭和30年(1955)の頃のことです。福澤先生の別邸がいまの東京の広尾のあたりにありました。前に池があって畑があって、いまの東京とは違う昔のままの東京だったことを覚えております。あの別荘も福澤先生は使われて著作をされ、書物を読まれ、手紙を書かれ、あるいはいろいろなところへ出向かれた、もちろん私はその頃はおりませんでしたが、いろいろな情景が心に浮かんでまいります。

福澤先生は勉強もされた。適塾から始まって、自然科学、医学のみならず、社会科学、人文学の基礎的な知識、「知」に対して非常に謙虚であり、また好奇心もおありになった。一方で、人の気持ち、人と社会への配慮と、「情」についてたいへん濃やかな人であった。その後「独立自尊」を福澤先生が言われるようになった一貫した意志と実行力、「意」もまた福澤先生の大きな特徴であったかと思います。その「知」と「情」と「意」、この三つが高度にバランスがとれていた、絶妙のバランスをもった方であったということに気がつきました。

その頃の時代に、「知」に溺れ、あるいは「情」にこだわり、あるいは「意」に走って命を落とした、そういう人たちも多くあったと思いますが、福澤先生があの激動の時代に、「知」と「情」と「意」の大いなるバランスをもって世の中に啓蒙の論陣を張り続けていかれたことに、いまさらながら私自身気がつきまして、これは素晴らしいことだと思いました。

福澤先生が亡くなられた直後、慶應義塾ではどういうことがあったか。残された卒業生、あるいは学生たちが、評議員会を強化し、あるいは維持会を設立し、あるいは同窓会を全国規模に広げていきました。創設者が亡くなられた直後に、むしろ慶應義塾を大きく強化する方向に卒業生、あるいは学生の皆さんが大いなる活動を始められたわけであります。

なぜそんなことができたのだろうか。私はおそらく、いま申し上げた福澤先生の「知」と「情」と「意」の鼎のうえに立つ鼎立の精神を、残された人たちが心の奥底で受け継いでいたからであろうと思います。激動の時代にあって福澤先生は、本当の意味での常識の精神、「知」と「情」と「意」のバランスがとれ、すべての人たちがその人物のことを慕い、尊敬するような、そういう人であったのではないかと私は思うのです。

1906年には大学院が設置され、1907年には創立50周年、1912年には三田のいまの旧図書館のもとの建築が完成をいたしました。1901年に亡くなられたあと間もなくそういう計画が立てられて実行に移されたということは、もう一度申し上げますけれども、慶應義塾の根本的な精神が脈々と波打っていた、そのことの証左であろうかと思います。その後1932年の創立75周年のときには、日吉の校地がすでに寄付されておりました。

幕末から明治の時期にかけてを「第一の開国」とすれば、「第二の開国」はやはり戦後の復興期であろうかと思います。戦争中、あるいは戦争直後、慶應義塾が被った被害と、それを克服していった努力の大きさは、いまに深く語り継がれていることです。慶應義塾の関係者で戦争で亡くなられた方も多かったし、また学徒出陣等によって戦地にいかれ亡くなられた方も多いわけであります。もちろん施設の被害も甚大でありました。このときもまた慶應義塾は、関係者のたいへんな努力によって甦ったわけであります。

1958年、昭和33年に創立100周年を迎え、1983年、昭和58年には創立125年を迎え、そして1990年、平成2年湘南藤沢キャンパスが開かれました。戦後の復興期を乗り越えて、慶應義塾はわが国に冠たる学塾として、本当に甦ったわけであります。

そして、鳥居前塾長の時代に三田の東館、あるいは総合医科学研究棟、矢上理工学部の創想館、日吉新研究室棟、あるいは普通部、志木高校、幼稚舎等々、施設が立派につくられ、そればかりでなく看護医療学部、あるいは慶應義塾大学先端研究教育連携スクエアの設置等々、さまざまな発展がありました。

昨年には商学研究科で学術教育の新しいプログラムが始まることが決まり、理工学部に生命情報学科が設置されることが決まり、また、湘南藤沢キャンパスでは新しいカリキュラム、バージョン2.0が始まりました。慶應義塾ニューヨーク学院高等部はニューヨーク州私立学校連盟(NYSAIS)の認定を受けました。アメリカのニューヨーク州において一級の高等学校であることが正式に認定されたことは、とくに申し上げておきたいと思います。

こうしたことを含めて、私なりに振り返ってみた歴史をかいつまんで申し上げましたけれども、福澤先生がお生まれになって167年、没後101年目、諸先輩、諸先達のご尽力と社中の一致協力によって、慶應義塾が栄光ある歴史を刻み、時代のリーダーを続々と出してきたということは、紛れもない事実だと思いますし、今日ここに皆様とともに福澤先生のお誕生日をお祝いでき、新しい年を迎えることができるのは、こうした諸先達のおかげだと心から思っております。

「第一の開国、第二の開国」ということを申し上げましたが、それではいまのわが国がどういう状況にあるか。「第三の開国」とよく言われると思います。経済についてみれば、国内に閉じた物質経済の時代からグローバル経済、サイバー経済の時代に入りました。生産、流通、調達、あらゆる面にわたって世界的なネットワークのなかで日本の経済は動いていますし、電子的な決済を含めてあらゆる意味でリアルタイムの経済の時代、サイバー経済の時代になっています。

政治の面においても東西冷戦が終結してすでに10年以上がたちました。二大国の傘の中での構図ではなくて、国際社会における輻輳した非常に複雑な安全保障体制のあり方をめぐって各国が火花を散らす、そういう時代になっています。1月に始まった欧州12か国のユーロ通貨圏、あるいは中国のWTO加盟、とりわけ昨年9月に起こりましたテロ事件、そういうことをいろいろに含めて世界の状況は不透明さを増しているかと思います。

「第三の開国」と言われるのは、私なりにとらえてみますと、限られた政治圏、限られた経済圏、限られた社会圏のなかで暮らしていればいい生活が保障される、そういう時代ではなくなっているということであります。多様な人間、多様な能力、多様な組織、多様なこれからへの対応、それらを含んだ国のあり方、組織のあり方を、わが国が具体的に定着させていかなければいけない。画一的な時代から多様化の時代へと移っていることは、皆様もよくご理解いただけると思います。世界の多様化、世界の複雑化に対応していかないと、わが国は世界のなかで、流れていく時代のなかで孤立化してしまうであろう。孤立化した国家ほど恐ろしいものはありません。

ところが実際には、まだまだ画一化されたわが国の社会は、他方で先が見えない、そのなかでいろいろな人たちが右へいったり左へいったりしているという状況があるのではないでしょうか。

私が申し上げたいことは、福澤先生の頃の原点に帰ってみれば、この第三の開国の時期に、慶應義塾こそが時代の先導役を担うべきであるということであります。慶應義塾は多様な人間を出し、わが国の方向を結局のところ定めてきたわけで、福澤先生が、慶應義塾は「全社会の先導者たらんことを欲するものなり」と言い切られた、その時代の先導役をいまの時期こそ皆様の心のふるさとである慶應義塾が、福澤先生の原点に帰って新しい時代に向けて、社中力を合わせて果たさなければいけない、リードしなければいけない、そういう時代にきていると思います。

ところが、この「第三の開国」というのは、なかなか目に見えません。第一の開国のときは1853年ペリーが浦賀に来航しました。「泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)、たった四はいで夜もねむれず」という歌をご存じかと思います。上喜撰というのはその頃のお茶の名前で、上喜撰という上等なお茶四杯で夜も寝られないということを、ペリー艦隊の四隻の蒸気船来航による衝撃に重ね合わせた歌ですが、とにかく目に見えた。「第三の開国」は、なかなか目に見えない、何となくいまのままではだめだと言うけれども、いったい何がだめなのかよくわからない、そういう状況であります。

慶應義塾というのは時代のリーダーを生み、わが国の教育、学術研究、あるいは社会への貢献、産業界、経済界、政治の世界、行政の世界等含めて時代を先導してきた、そう思いますけれども、それでは慶應義塾が国際舞台にあって世界を引っ張っていく、そういう先導役になっているのかを問われますと、私自身は、いや、まだこれからではないかと言わざるを得ない。現在の国際社会のなかで、慶應義塾がどういう位置づけにあって、これからどういう役割を果たすべきか、なかなか見えにくい状況であるかと思います。

鳥居前塾長のときに長期基本構想が打ち出され、日本の慶應から世界の慶應へというメッセージが送られました。私はそのとおりだと思う、世界の慶應になるべきだと。それは単に追いつき追い越せという意味ではなくて、福澤先生の原点に立ちかえって、わが国の新しい時代を開き、世界のなかでのリーダーとしてわが国がもう一度、今度は国際社会をリードするために、世界の慶應にならなければいけないということだと思います。

ただ、本当にすでにそうなっているのかと言われると、まだまだであろうと。もちろん教育においても研究においても素晴らしい仕事がこれまでに出てきております。私が申し上げたいのは教育、学術研究、あるいは社会貢献、医療等のシステムにおいて、あるいはキャンパスの環境において、あるいは財政基盤の安定と強化において、世界の慶應として慶應義塾が胸を張って時代をリードできるようになるためには、やはりこれから益々の努力が必要であろうということであります。新年に当たりまして、いままでのことを振り返って、私なりに慶應義塾といまの日本に対する、あるいは世界に対するとらえ方を申し上げました。

それでは、これからどうしたらいいのか。私自身はやはり「教育」と「学術研究」と「社会貢献」、この三本の柱、この本道を本格的に慶應義塾は歩んでいく、知恵を絞ってそれこそ時代を先導する新しい成果を出していくべきであると思います。それについて、いま申し上げたようなことすべてを含めていろいろ考えまして、昨年の9月に学内に向けて「慶應義塾21世紀グランドデザイン」を発表いたしました。これはたいへん短いいわゆるミッション・ステートメントであります。抽象的であって具体的なことはいろいろ煮詰めていかなければならないと思います。そのグランドデザインのステートメントにおいて、私は教育と学術研究と社会貢献について、それぞれ一つずつメッセージを送らせていただいております。

その一つ目、私はやはり一番大事だと思いますけれども「教育」の問題について「感動教育の実践」をうたいました。「感動」ということばはなかなか気恥ずかしくて人前で、公の場で言いにくい。慶應義塾は幼稚舎から中学校、高等学校、大学、大学院に至るまで総合的な教育の場であります。その慶應義塾のこれからの教育について深く考えたときに、教育はどうあるべきか。

私はやはり小学生であっても大学院の学生であっても、慶應義塾において学んでいるときに、本当に心に残る、心の奥底の記憶に残る、そしてその後の人生に自らの人生に繰り返しくりかえし役立っていくような、そういう感動の記憶が重要であろうと思います。「感動」は与えるものではない、それぞれの生徒学生が自ら掴みとるものであります。したがって学校は感動を与えるというよりは、生徒、学生のそれぞれが感動できる、そういうことができるためのシステム、場を提供することが大事であろうかと思うのです。

これからは多様なできごとを予測し、対応すべき時代になっていく。何が起こるかわからない、それに対して優れた多様な経験と能力をもった人たちが対応していかなければいけない、そういう時代になります。慶應義塾は生徒から大学院生に至るまで、それぞれが自ら多様な経験を積んでもらいたい。それは学校の場、あるいは家庭の場だけではないかもしれない。

いまわが国で学力低下云々、学級崩壊等のことが言われておりますけれども、そういうことを乗り越えて、わが国の次の時代、次の次の時代を担う人間を慶應義塾が出していくためには、もっともっと広い場で多様な経験を積めるようにすることが必要かもしれない。そして経験のなかから自らの感動を掴みとるような、そういうことをもって次の人生をさらに積み上げていくような人間が出てきてほしいと思っています。

「教育」ということを一言で言うのはなかなか難しい。学校におられる方々、あるいは社会におられる方々、それぞれに教育論というのをお持ちだと思います。私が教育について一言でメッセージを送るというのは、たいへん覚悟のいることですけれども、「感動教育の実践」を慶應義塾はこれからやっていくべきであろうと。これにつきましては、幼稚舎から大学院に至る運営に携わっておられる教員の方々と私とで、会合をもちいろいろな意見交換をし、具体化をしていきたいと考えております。

グランドデザインにおける二番目のメッセージは、学術研究に主にかかわることですが、「知的価値の創造」についてです。学校、大学というところは知的な価値、未来の社会に役立つような知識、アイデア、それを深いところから生み出していく、そういう場だと思います。知的価値の創造は、もちろん狭い意味での学問だけに限られることではありません。文化の創造も広い意味では含んでおります。いずれにしましても慶應義塾が国際舞台で活躍する、世界のリーダーになるのであれば、知的な価値を生み出す力において世界一級になっていなければならないということであります。

それから三番目のメッセージは、社会貢献について、これは医療等も含みますが、「実業世界の開拓」ということばを使いました。福澤先生は実業に関することを繰り返し書かれ、晩年に『実業論』という著作にもまとめられましたが、福澤先生の頃に戻ってみれば慶應義塾、慶應山脈、慶應人脈が明治の新しい産業、新しい分野、新しい実業の場をつくり出していったということは紛れのない事実であります。

金融、保険、あるいは鉄道、新聞、全部言わないといけないかもしれませんけれども、とにかくほとんどあらゆる分野にわたって、いまで言うところの「起業」、業を起こす、これを慶應義塾の卒業生がやっていったわけです。いま「第三の開国」新しい時代になりまして、新しい起業家精神が求められている。その時代にあって新しい実業の世界の開拓を慶應義塾が率先してやっていくことは、やはり慶應義塾の原点に立ち戻った大きな役割だと思います。

ここで「実業」とは、もちろん経済界のことだけを指すのではありません。政治、行政、あるいは医療、あるいは法律、とにかく社会に責任を直接もって社会で仕事をする、そして社会をリードしていく、直接リードしていく、そういう活動をもって私は「実業」と言っているわけです。その実業の世界を開拓していくことを慶應義塾がやっていかなければいけないということです。

「感動教育実践」「知的価値創造」「実業世界開拓」この三つをメッセージとして、グランドデザインを発表いたしました。これらの実現にはいろいろな方法があるかと思います。いまとくにこれからの時代に向けて、大学院のあり方が問われることになると考え、新しい大学院のあり方はいかなるものであるべきか、ということの議論を始めております。とくにプロフェッショナルスクールのあり方について十分考えていく必要があります。

これまでの大学院がアカデミア、学術のほうに傾斜していた、このことは私は非常に大事だと思います。他方で専門家を養成するための大学院のレベルの教育も大事になってまいります。たとえば法科のプロフェッショナルスクール、いわゆるロースクールを、慶應義塾としてどうしていくかという議論も始まっております。ほかにも、教養の問題、教養教育の問題、あるいは外国語の教育の問題なども大切であります。

先程申し上げた「感動教育実践」「知的価値創造」「実業世界開拓」この三つを大きなメッセージといたしまして、そのために教育、学術、あるいは実業、あるいは知識のあり方、あるいはこれからの社会基盤のあり方、そしてもちろん慶應義塾全体のキャンパス環境のあり方、それぞれにわたって時代を先導するような構想をつくり、実施していくことがこれから大事になります。

もちろん慶應義塾の大きな財産である一貫教育校につきましても、生徒の問題などいろいろな問題がありますが、そういうことへの対応、あるいは一貫教育校と大学の間の関係をどのようにつけていくかにつきましても、検討すべきだと思っております。

慶應義塾の創立150年が2008年、平成20年にやってまいります。私がいま申し上げたわが国の現状、これからの世界のあり方、そして慶應義塾が本格的に目指すもの、これまでの144年の歴史と、それからあらゆる努力、諸先達、諸先輩の大きな努力の先に創立150年というわが国前人未到の学塾の歴史が刻まれます。そのときに、国際舞台で活躍して、そしてわが国の時代を先導している慶應義塾を、慶應義塾に参画するすべての方々の一致協力によって実現することが最も大切であると私は思っております。社中一同が、希望と勇気と信念をもって、こういう時代ではありますけれども、それを乗り越えて活動をしていくべき時期にあると考えております。

最後になりますけれども、福澤先生お誕生日167回目、福澤先生は陽暦では1835年の1月10日生まれです。旧暦、陰暦では天保5年12月12日のお生まれであります。数えで数えて午年でいらっしゃいます。今日ご列席下さっておられます福澤ご宗家の福澤範一郎さんも年男だそうです。たいへんおめでたいことであります。

167に1を足して168にして12で割りますと14になります。14という数字は大きいといえば大きいけれど、小さいといえば小さい。まだ干支が14回しか回っていない、何か福澤先生がとても身近に感じられます。その福澤先生がいまおられたらおそらく「どんな厳しい時代であっても、塾が開かれたときの原点に戻って、独立不羈の精神をもって、みんなで一致団結してやれば必ず乗り越えられる、慶應義塾の新しい時代が開ける」と言われるであろうなと思います。

これからを見据えるにあたって、福澤先生の原点に立ちかえるということです。ただ、一方で福澤先生は「自分のときとは時代がまた違う、君達の時代だ、君達がやるべき時代なんだ。自分は見ているから君達頑張って、自分達でやってみなさい」と、そう言われるのではないかとも思います。

これからの慶應義塾が福澤先生の原点に立ち戻るとともに、また他方では新しい時代を直視して、新しい意味での時代の先導役を担う、そのために私自身も全力を尽くす所存です。慶應義塾社中の皆様、そして慶應義塾の活動に関心のおありになるすべての方々に、いまの慶應義塾、未来の慶應義塾、いまのわが国と世界、未来のわが国と世界、そのあり方、いま私が申し上げたようなことをぜひご理解いただいて、これからもご指導、ご支援賜りますようお願い申し上げます。やはり慶應義塾の使命は関係者が一致団結して果たしていくものだ、ということを福澤先生は見ておられると思います。

皆様お一人おひとりの新しい年のご多幸とご活躍を心からお祈り申し上げ、そして慶應義塾のとこしえの発展を祈念いたしまして、私の年頭のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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