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小泉 信三
小泉 信三
1933~1947年
1933~1947年
(こいずみ しんぞう)
明治21年、かつて塾長をつとめたことのある小泉信吉を父として東京市芝区三田に生まれる。
慶應義塾普通部を経て明治43年3月、大学部政治科を卒業し、大学部教員となって大正元年9月経済学および社会問題研究のため、イギリス、ドイツに留学。
大正5年3月帰朝後は、同9年4月に経済学部教授となり、13年1月図書館監督、昭和6年4月高等部講師兼ね、ついで同8年11月には選ばれて塾長に就任、以来22年1月退任にいたるまでの13年余の長期にわたり塾務につくした。昭和9年6月経済学博士。同14年藤原工業大学の設立に際し学長を兼ね、18年11月帝国学士院会員となる。
昭和20年5月、戦禍をうけて負傷したが、戦後昭和24年には東宮御教育常時参与に任ぜられまた昭和29年6月米国コロンビア大学人文学名誉博士号贈与される。慶應義塾に関しては、同25年以来評議員に選ばれ、特に33年11月からは同会議長に推され、また、31年3月大学名誉教授に就任、学事顧問を嘱された。
昭和34年11月、文化勲章を授与される。
昭和41年5月11日没。78才。
明治21年、かつて塾長をつとめたことのある小泉信吉を父として東京市芝区三田に生まれる。
慶應義塾普通部を経て明治43年3月、大学部政治科を卒業し、大学部教員となって大正元年9月経済学および社会問題研究のため、イギリス、ドイツに留学。
大正5年3月帰朝後は、同9年4月に経済学部教授となり、13年1月図書館監督、昭和6年4月高等部講師兼ね、ついで同8年11月には選ばれて塾長に就任、以来22年1月退任にいたるまでの13年余の長期にわたり塾務につくした。昭和9年6月経済学博士。同14年藤原工業大学の設立に際し学長を兼ね、18年11月帝国学士院会員となる。
昭和20年5月、戦禍をうけて負傷したが、戦後昭和24年には東宮御教育常時参与に任ぜられまた昭和29年6月米国コロンビア大学人文学名誉博士号贈与される。慶應義塾に関しては、同25年以来評議員に選ばれ、特に33年11月からは同会議長に推され、また、31年3月大学名誉教授に就任、学事顧問を嘱された。
昭和34年11月、文化勲章を授与される。
昭和41年5月11日没。78才。
























