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鎌田 栄吉
鎌田 栄吉
1898~1922年
1898~1922年
(かまた えいきち)
安政4年、和歌山藩士鎌田鍬蔵の子に生まれる。
明治7年4月、同県から選抜されて慶應義塾に入学し、同8年卒業。翌9年4月教員の列に加わり、一時和歌山県自修学校長、鹿児島県鹿児島学校教頭、大分県中学校長、大分県師範学校長等に任じて、明治27年には衆議院議員に選出されたり、同39年貴族院議員に勅任されたりしているが、生涯を通じてほとんど慶應義塾に関係し、理事委員、評議員会議長、理事等をつとめ、ことに明治31年4月から大正11年6月までのおよそ25年間は塾長として義塾の経営につくした。
さらに、その間、高等教育会議議員、交詢社理事長、臨時仮名遣調査委員、教育調査会員、教育評議会委員、同会長、教科書調査会長等教育関係の多くの役職をつとめ、大正8年8月にはアメリカのワシントンで開催の第1回国際労働会議に日本政府代表として出席したこともあり、その外遊は明治29年に欧米各国に教育、行政、社会事情を視察したのを第1回として前後7回に及んだ。
大正11年6月文部大臣に就任、同12年9月辞任。昭和2年12月枢密顧問官に任ぜられ、同7年10月帝国教育会長に推された。
昭和9年2月6日死去、享年78歳。号、竹堂。
安政4年、和歌山藩士鎌田鍬蔵の子に生まれる。
明治7年4月、同県から選抜されて慶應義塾に入学し、同8年卒業。翌9年4月教員の列に加わり、一時和歌山県自修学校長、鹿児島県鹿児島学校教頭、大分県中学校長、大分県師範学校長等に任じて、明治27年には衆議院議員に選出されたり、同39年貴族院議員に勅任されたりしているが、生涯を通じてほとんど慶應義塾に関係し、理事委員、評議員会議長、理事等をつとめ、ことに明治31年4月から大正11年6月までのおよそ25年間は塾長として義塾の経営につくした。
さらに、その間、高等教育会議議員、交詢社理事長、臨時仮名遣調査委員、教育調査会員、教育評議会委員、同会長、教科書調査会長等教育関係の多くの役職をつとめ、大正8年8月にはアメリカのワシントンで開催の第1回国際労働会議に日本政府代表として出席したこともあり、その外遊は明治29年に欧米各国に教育、行政、社会事情を視察したのを第1回として前後7回に及んだ。
大正11年6月文部大臣に就任、同12年9月辞任。昭和2年12月枢密顧問官に任ぜられ、同7年10月帝国教育会長に推された。
昭和9年2月6日死去、享年78歳。号、竹堂。
























