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過去の周年行事

2008年、慶應義塾は創立150年を迎えました。(創立150年記念事業
ここでは、過去の周年行事から慶應義塾のこれまでの歩みを振り返ります。

創立50年

創立50年
1907(明治40)年4月21日、創立50年記念式典が三田キャンパスにて開催され、義塾関係者をはじめ3,000名あまりが集い、盛大な祝典が行われました。午後2時から大学部大講堂において祝辞が述べられ、学生は稲荷山傍広場で感謝式を行いました。庭に張られた大テントの下での宴会に続き、日暮れにはカンテラ行列の用意を整えて三田キャンパスを出発、銀座日本橋を経て日比谷で解散しました。また、このとき、『慶應義塾五十年史』を来会者に頒布。さらに、記念事業の一環として図書館を建設することになり、翌々1909(明治42)年に着工 、1912(明治45)年4月に竣工 。1969(昭和44)年に国の重要文化財に指定されたその赤煉瓦のゴシック式建築は、今日に至るまで義塾のシンボルとなっています。
創立50年は、慶應義塾にとって一つの区切りとなるものでした。制度の上でも、学事施設に関しても、教員・学生の研究活動においても、このころを境とし て、ようやく充実溌剌の趣を呈します。明治の時代が終り大正の年号を迎え、国際社会の中で日本は近代化に向かいますが、義塾も1917(大正6)年に大学部医学科が開設、1920(大正9)年には大学令による大学(文学・経済学・法学・医学の4学部により成る総合大学)となるなど、福澤諭吉逝去後の学問創造をすべく、さらなる充実を遂げていきます。

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記念絵葉書
記念絵葉書
図書館の大閲覧室
図書館の大閲覧室
創立50年を記念して建てられた図書館と田中一貞初代館長
創立50年を記念して建てられた
図書館と田中一貞初代館長

その他の出来事

創立75年

創立75年
義塾創立75年にあたる1932(昭和7)年5月9日、記念式典が挙行されました。学生はカンテラ行列や展覧会を行い、卒業生はその夜帝国ホテル宴会場において盛大な同窓会を開きました。また、式典には塾員の犬養毅氏が内閣総理大臣として出席し 、祝辞を述べましたが、その後数日にして、「五・一五事件」の凶手にたおれるという悲運に遭いました。日本は前年9月の満州事変、この年1月の上海事変などを経て、世情がきわめて緊迫し、時勢はいわゆる「暗い谷間」に向かって急速に傾斜しようとしていたのです。
一方、関東大震災の復旧が一段落した義塾の直面する課題は、校地の拡大により、環境を整備することでした。日吉の建設事業は林毅陸塾長から小泉信三塾長へと二代にわたり引き継がれた大事業でしたが、その建設資金等に関し、全国の三田会(慶應義塾の同窓会組織)を要に塾員(卒業生)の協力は高揚し、日吉には最新の設備による校舎および運動施設が逐次完成。1934(昭和9)年春には第一校舎などが竣工、大学予科1年の授業が開始されました。この年は福澤諭吉の生誕100年に相当したため、その両方を記念して11月に盛大な祝賀会が開催されました。次いで、医学部予科教室および図書室を含む第二校舎、鉄筋3階建の寄宿舎3棟と大浴場が1937(昭和12)年までに順次完成しています。

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参列された秩父宮殿下を送る塾生
参列された秩父宮殿下を送る塾生
祝賀会場での田中早大総長と林塾長
祝賀会場での田中早大総長と林塾長

その他の出来事

創立90年

創立90年
第2次世界大戦による戦災による打撃から立ち直るのは容易なことではありませんでした。極端な物資不足とインフレーションの進行は、復興計画の大きな障害となりました。 当時の潮田江次塾長は1947(昭和22)年の創立90年を契機として、義塾の教育精神を義塾内外に広め、これによって復興の機運を盛り上げようとし 、同年5月三田キャンパスにて、当時としては大変盛大な創立90年記念式典を挙行しました。三田キャンパスは戦火の跡もなまなましく、式典を挙げる建物もなく、焼跡の広場にテント張りの式壇を設け、 そこに私学としては初となる天皇陛下の行幸を仰ぎました。前年塾長代理を務めた高橋誠一郎はこの日は文部大臣として祝辞を述べ、天皇陛下からは「福澤諭吉創業の精神を心として 、日本再建の為」慶應義塾の努力を期待する旨のお言葉を賜りました。
創立90年を出発点として義塾復興の熱意は盛り上がりを示し、1950(昭和25)年の福澤諭吉没後50年の記念行事とあいまって復興事業は着々と力強い歩みを進めるに至りました。記念式典において、今後10年間に慶應義塾を戦前にまさるさかんな学塾に建て直そうと内外に呼びかけた潮田塾長は、復興の難事業に取り組み、三田・日吉・四谷(現「信濃町」)キャンパスのほかに小金井、志木にキャンパスをもち、いずれも戦前にほぼ匹敵する施設を復活し、 創立100年を期して一大躍進を実現する機運が醸しだされました。
また、戦後の日本教育にとってもっとも大きな変革である6・3・3・4の新学制実施に伴い、義塾においても1949(昭和24)年に新制大学発足(文・経済・法・工学部の4学部開設)。なお、新学制の実施に伴い、大学付属医学専門部、獣医畜産専門学校、商工学校、商業学校、工業学校等の諸学校が廃止となりましたが、獣医畜産専門学校は現在の志木高等学校の前身である農業高等学校となっています。

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天皇陛下をお迎えして
天皇陛下をお迎えして
祝賀行進
祝賀行進

その他の出来事

  • 【1944年 昭和19年】 工学部増設
  • 【1945年 昭和20年】 日吉キャンパス施設、アメリカ軍に接収される(~1949年秋)
  • 【1948年 昭和23年】 通信教育課程開講
  • 【1951年 昭和26年】 義塾が学校法人となる
  • 【1952年 昭和27年】 新制大学医学部発足

創立100年

創立100年
1958(昭和33)年、慶應義塾は創立100年という大きな節目を迎えました。この年は慶應義塾にとって、太平洋戦争による大きな被害からの復興を成し遂げるとともに、次の100年に向かって飛躍の第一歩を踏み出す画期的な年でもありました。ちなみに、創立90年までは創立50年目 、創立90年目に記念式典を催してきましたが、創立100年にあたっては、「満100年」をもって祝うこととなりました。記念式典を盛大に挙行できるよう、日吉記念館を建設しましたが、慶應義塾全関係者、全塾生が一堂に会す場所は求めようもないため、3日間にわたって祝典を開催しました。
まず、昭和33年11月8日には、国内外の大学、駐日外国大公使、福澤家等4,600余名の関係者が参列し、天皇陛下をお迎えして記念式典が開催されました。この日のために作成された「慶應義塾創立100年記念祝典曲」 でしめくくられるまでの1時間10分にわたった式典の模様は、テレビで実況放送されました。
翌11月9日は「塾員の日」とし、全国連合三田会の主催のもと、祝典が挙行されました。卒業生の参加者は10,000名を超え、用意した記念品が不足してしまったほど。参列者は記念館前広場に臨時に設けられた園遊会場に集いました。 記念式典の4日後の11月12日は「塾生の日」。全塾の学生、生徒、児童約5,000名が集まりました。当時の奥井復太郎塾長は式辞で、「将来の慶應義塾を背負って立つものは、・・・・・・・皆さんが倶にその双肩にかけている。」と義塾に学ぶことの誇りを強調し、いっそうの奮起を促しました。
記念式典以外にも、一年間を通じて、記念講演会、芸能祭、福澤諭吉展、観劇会といったさまざまな記念行事が行われました。また「慶應義塾発祥の地記念碑」が建設され、4月23日(開校記念日)に除幕式が挙行されました。
記念建設事業としては、上記の日吉記念館の他、特に校舎の整備に力が入れられました。三田(南校舎、西校舎、中等部校舎)、日吉(第四校舎)、信濃町(医学部基礎医学第一校舎、第三校舎等)と、まさに面目を一新。次の100年への布石となりました。

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創立100年記念式典
創立100年記念式典
記念切手
記念切手
三田南校舎(1959年竣工)
三田南校舎(1959年竣工)

その他の出来事

創立125年

創立125年
1983(昭和58)年に創立125年、1984(昭和59)年に日吉開設50周年、1985(昭和60年)に福澤先生生誕150年と、義塾にとって3か年にわたり記念すべき年が続きました。
創立125年の記念式典は、ウェーランド経済書講述記念日の5月15日(日)に日吉記念館で挙行されました。参加者は約5,500名。当時の石川忠雄塾長は式辞で「将来に向けて社会の期待に応え、学問を通じてわが国の発展に貢献しうる義塾でありつづけるためのいっそうの努力を誓う」旨を述べました。また 「慶應義塾創立100年記念祝典曲」 に補筆された「慶應義塾祝典曲」を披露。創立100年とは趣が異なり、簡素ながらも気品に溢れた式典となりました。陸上競技場フィールドでは大天幕を仮設し、祝賀会が行われました。
記念行事として、記念講演会、国際シンポジウム、高橋誠一郎コレクション浮世絵名作展、歌舞伎「福澤諭吉」上演等を催しました。記念行事の掉尾を飾った国際シンポジウム「アジアと日本」は、東アジアの各国・各界を代表する人物を招き、11月7日から11日にかけて大々的に開催。なお、この時に「マレーシアよ、何処へ」と題する講演をした当時のマレーシア首相兼国防大臣マハティール・ビン・モハマド氏に対して、義塾は2004年6月2日に慶應義塾大学名誉博士号の称号を授与しました。
記念事業としては、中心をなした医学部付属病院新棟をはじめ、日吉新図書館・事務棟、三田大学院校舎、高等学校教育棟、体育会山中山荘が建設されました。
日吉開設50年記念式典は、1984(昭和59)年5月12日に挙行。塾生教職員以外にも、日吉開設1回生にあたる昭和9年大学予科入学者など日吉キャンパスに関わりの深い人々を招待し、約3,200人で祝いました。福澤諭吉生誕150年記念式典は、1985(昭和60)年1月10日 、三田キャンパス西校舎518番教室(現在の西校舎ホール)にて挙行。例年にも増して1,000名近くが集いました。

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創立125年記念式典
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日吉開設50年記念式典
日吉開設50年記念式典
福澤諭吉生誕150年記念式典
福澤諭吉生誕150年記念式典

その他の出来事

創立150年

創立150年記念式典
創立150年記念式典
創立125年記念事業の成果を基盤として、慶應義塾はさらに発展を続けました。
1990(平成2)年に湘南藤沢キャンパス(SFC)を新設、総合政策学部・環境情報学部を開設し、新たな時代の教育・研究のひとつのモデルを創造しました。さらに翌年には、同キャンパスに6年制中等教育学校の魁ともいうべき湘南藤沢中・高等部を開設しています。

その後、SFCには大学院政策・メディア研究科(1994(平成6)年)、看護医療学部(2001(平成13)年)、大学院健康マネジメント研究科(2005(平成17)年)が開設され、その教育・研究は広がりを見せています。
一方、グローバル時代に向けての人材育成を見据え、海外拠点の一つとして米国にニューヨーク学院(高等部)を、1990(平成2)年に開設。その後も複数の海外拠点を設けています。
2004(平成16)年には、義塾初の専門職大学院として法科大学院(大学院法務研究科)を開設し、新たな法曹養成の附託に応えようとしています。
2005年10月からは、2008年の創立150年の年をはさむ10年間にわたる創立150年記念事業が始まりました。「未来への先導」をテーマに、「開かれた学塾」と「独立と協生」をコンセプトとする同事業において、新たな時代の先導者を育むためにさまざまな取り組みがなされています。

2008年、慶應義塾は創立150年を迎えました。
2008年4月には、学校法人共立薬科大学との合併により、薬学部・大学院薬学研究科が開設、また創立150年事業の一環として、新しい複合領域で活躍する人材の育成を目的とした大学院システムデザイン・マネジメント研究科と、大学院メディアデザイン研究科が開設されました。
2008年11月8日(土)、創立150年記念式典が日吉キャンパス陸上競技場において挙行されました。

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