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[慶應義塾豆百科] No.5 咸臨丸

万延元年(1860)、日の丸の旗をかかげた1そうの小さな軍艦がアメリカへ渡った。わが国の船としては最初の太平洋横断で、「咸臨丸」というのがその船の名である。

もっとも、軍艦とはいっても、全長だかだか163フィート、全幅24フィートにすぎず、せいぜい300トン程度、500トンに足りない、オランダで製造された3本マストのスクーナ・コルベットで、港の出入りには石炭を焚いて蒸気(100馬力・スクリュー推進)にたよるが、あとは帆をつかってもっぱら風力で走るのであった。のみならず、搭乗の日本人はまだこんな遠洋航海の経験などまったくないひとたちばかりであったことを思えば、これはいかにもたいへんな壮挙であり、大事業であったといわねばなるまい。目的は日米修好通商条約批准書交換のための使節の警護という名目かたがた航海の実地訓練を兼ね、使節たちの乗るアメリカの軍艦の出帆直前の旧暦正月13日に品川を発し、横浜を経て浦賀を出帆したのが19日、それから37日かかってサンフランシスコに着いた。その間、連日荒天つづきで、船体が37、8度も傾く事がしばしばであったといわれ「その難航の模様を乗員士官(運用方)の鈴藤勇次郎が描いたものがある。

しかも、時に数えて27歳の福澤先生はみずから願ってこの行に加わり、司令官木村摂津守喜毅(よしたけ)の従者となってはじめての異国の地を踏み、まさに外事に活眼を開かれたのであった。